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【番外編 1】君じゃなきゃダメだから、ね?

君じゃなきゃダメだから、ね? ⑤

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 きっと明美の中の怜は、“氷王” と徒名されるハイスペック男子のままで、その彼に袖にされても纏わり付く女子たちのイメージが、ずっと残っているのだろう。
 これまでのように、怜に付き纏っていた野心溢れる女なら、浮気如きで離婚しないだろうとでも考えたのかも知れない。

「彼女は、翔の妹なんだ」

 溜息混じりにそう言うと、明美は瞠目し、口をパカッと開けて怜を見返してきた。彼は無言で頷く。

「あー……成程。うん。ごめん。何事もなくて、良かった」

 苦労の意味する所が解って、明美が素直に頭を下げた。それから上目遣いで梓をしげしげと見遣り、

「二人のシスコンぶりは、当時の生徒で知らない人いなかったものね。女子たちが本気で小学生相手に嫉妬燃やしてさぁ。そっか。彼女が」

 明美はちょっと感慨深げに梓を見て、二人目が合うとどちらからともなく微笑む。
 当時、怜と翔から雑談を振る女子は、由美くらいなものだった。女子と笑って会話するなんてほぼ皆無に近い二人が、梓の話をする時だけはいい笑顔になるので、由美や梓を懐柔して二人に近付こうとする女子も居たのだが、先ず大概が由美の妨害で撃沈する。彼女には大変お世話になり、お陰で未だ頭が上がらない。

 明美の夫の腕の中で千尋がグズりだし、彼女は息子を受け取る。横抱きにしてお尻をぽんぽん叩くと、安心したように寝息を立てていた。
 梓が「良かった」とぽつり呟いた。
 飯坂夫妻はそんな梓に申し訳なさそうな笑みで会釈すると、梓がはにかんで怜の腕に擦り寄ってくる。
 梓は千尋の行く末を案じていた。本当に我が子を捨てたわけではないと知って、梓の肩の荷も降り怜も一安心だ。

「で。これからどうするの?」
「うん。取り敢えず、旦那の親とは別居することにした。会うのも休みの日だけにして、お互い距離を置きましょうってことで同意かな」
「良かったじゃん」
「アラフォーの息子がやっと結婚して、出来た孫ごと嫁に逃げられたとなると、外聞が悪いからねえ」
「実に耳が痛い。僕も諦められていたクチだからねえ」

 親が諦める理由に違いはあれど、思わぬ同胞に視線を向けた。明美の夫が苦い笑みを浮かべて小さく頭を下げる。いまいち気に食わない男ではあるが、ここは怜も大人しく頷き返した。

「本当ごめんって。このお詫びとお礼は、後日改めてさせて?」
「いや。別にいらないし……ああ。でも僕の奥さんには感謝してよ? 怒って家出ても誰も文句言わないのに、娘と遜色なく面倒見てくれたんだからさ」

 ぴたりと横にくっつく梓の頭を撫でると、怜を見上げてふにゃっと笑う。
 級友夫妻の前だと言うのに、ついうっかりニヤケた顔で「アズちゃんはホント可愛いなぁ」と彼女の頭にキスの雨を降らせてしまった。 

「ちょ、怜くん! 人前人前~ぇ」

 耳まで真っ赤な梓に押し遣られ、怜が僅かに口を尖らせる。引き気味の飯坂夫妻をじろりと横目に睨み「もお帰っていいよ?」と冷ややかな声で告げれば、明美が唖然とした顔を引き締めた。

「変わらずベタ惚れなのね」
「当然。僕の紫の上だからね」

 意図して紫の上にしようとした訳ではないけど。
 思わず見惚れる怜の微笑みを前にして、我に返った明美が額をペシッと叩いた。その後で軽く擦る。ちょっと痛かった様だ。

「うわ~っ。ロリコンもアリだったのか」
「それは違う。彼女以外の女に興味なかったけど、未成年のうちに手は出してないからね。それはもう大事に大事にして来たんだから」

 あの日まで。
 悉く男を排除して。
 これには梓も言いたいことが山ほどありそうだけど、彼女が大好きだと言う微笑みで見詰めれば、えへへと擦り寄って来る。このチョロさも堪らなく可愛い。
 ギャラリーが居なければ、直ぐにでも押し倒しているであろう手を辛うじて彼女の頭の上に収め、癖のある猫っ毛を指で梳く。
 この柔らかな髪に口付け、耳殻を甘噛みしたい欲望をどうしてやろうか、などと不届きなことを考えていると、明美が「胸やけしそう」と渋面になった。

「なら帰れば?」
「女に塩対応は相変わらずねッ!」
「無駄な労力は使いたくない」
「はいはいっ。帰りますぅ。奥さん。千尋の事、大事にしてくれて有難うございました。今度ゆっくり、お食事にでも行きましょ? 南条くん抜きでッ!」

 梓に微笑んだあと怜を睨み付け、展開に戸惑っている夫の腕を引っ張って「ホラ行くわよ」と立ち上がる。
 梓も慌てて立ち上がり、マザーズバックを彼女の夫に手渡すと、来た時と同様忙しなく飯坂夫妻は帰って行った。
 そして残された二人は束の間ぼうっとし、何気なく見た壁掛け時計の指し示す時間に、悲鳴を上げたのだった。



 仕事をサクサク終わらせて帰って来れば、怜が予想していた通り、梓と愛姫は気の抜けた様子で幼児向けの番組を眺めていた。
 たった三日とちょっと。
 ペットロスならぬベビーロス。
 四六時中一緒に居た訳ではない怜でも少し寂しく感じているのだから、二十四時間体制で面倒を見て来た梓が寂しくないわけない。まだまだ赤ちゃんだと思っていた愛姫だって、思わぬ成長を見せてくれる程、千尋を可愛がっていた。

 脱いだスーツの上着と鞄をソファに置き、カッターシャツの袖を捲りながら台所に向かう。コンロの鍋の蓋を開ければ、ちゃんとロールキャベツが出来上がっていた。
 コンソメの香りに食欲を掻き立てられつつ手を洗い、目では他のおかずを探していると、怜の帰宅に気付いた梓が慌ててやって来た。

「おかえりなさい。ごめんね。ちょっとボーっとしちゃってた」

 怜と場所を入れ替わって手を洗いながら、寂し気な笑顔を見せた梓の額にただいまのキスをする。

「いいよ。忙しかったのに急にいなくなったら、気が抜けちゃっても仕方ないって」
「直ぐにおかず温め直すね」
「ゆっくりでいいよ。先にめごひめとお風呂に入って来るから」
「あーうん。そうして」
「ねえアズちゃん?」

 冷蔵庫を開ける梓の背中に声を掛けた。彼女は首を傾いで振り返る。

「なに?」
「二人目、本気で考えない? お姫様も良いお姉ちゃんになってくれそうだし?」

 梓が次の妊娠にあまり乗り気でないのは知っているけど、この機に便乗して持ち掛けてみた。
 怜を見返した瞳が忙しなく揺れる。
 否とは言わせない圧力を含んだ笑みで梓から目を離さないでいると、彼女はよちよち歩いて来た愛姫に、逃げるように目を落とした。怜はここぞとばかりに娘を抱き上げて梓の目線を取り戻すと「ね?」と小首を傾げ、愛姫も真似っこして「ね?」と可愛くお強請りする。
 梓が困った顔をして怜と愛姫を交互に見、溜息をひとつ吐く。

「………ん」

 短く答えて頷いた。

「よしっ。そうと決まれば、愛姫には早く寝て貰わないとね~ぇ」
「えっ。早速なの!?」
「当たり前でしょ。三日もしてないし、覚悟してね?」
「ちょっと待って。今日頑張っても妊娠しないからっ」
「……でもする。目一杯したい。ゴム解禁だし。じゃ、お風呂入ってきます」

 このチャンスは絶対逃さない。
 梓がやっぱり嫌だと言い出す前に愛姫の顔を覗き込んで、

「ママが赤ちゃん産んでくれるって」
「あーたん!? どこ!?」
「ママのお腹の中だよ」

 そう言って梓を見るとニヤリと笑い、撤回できない様に怜はサクサク外堀を埋めて行く。
 愉し気な二人の会話に口を挟む間もなく、浴室に向かう怜の背中を梓は茫然と見送るのであった。


*********************************************

終わる予定でしたが、おまけの《R18》続きます。
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