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【番外編 1】君じゃなきゃダメだから、ね?

君じゃなきゃダメだから、ね? ④

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 急展開を見せたのは、千尋が来て四日目の木曜日。

 平日の早朝から、集合玄関のチャイムがけたたましく鳴らされた。
 梓が千尋のオムツ替えで手が離せないでいると、「しょうもない用事だったら殺す」と愛姫の着替えを慌てて済ませ、娘を左腕に抱えた怜が物騒なことを口走って、インターフォンのモニタをオンにする。

「どちらさ「息子をッ! 千尋を返して下さいッ!!」

 怜の声に被せて来た男の声に唖然としつつ、モニタを見入る。画面いっぱいに映り込んだ男は、血相を欠いているように見えた。
 ふむと男を眺める。
 三十代後半と思しき男の発言から、千尋の父親であろうことは推し量れた。が、慌てても先ず挨拶だろう。社会人として。無関係の怜に子供を押し付けて迷惑を掛けた謝罪もなければ、平日の早朝にいきなり来て名乗りもせず、いきなり『息子を返せ』はない。まるでこちらが攫ったみたいではないか。

 返事しないでそのまま眺めていると、モニタが消えた。
 するとまたピンポンピンポンけたたましく鳴り響き、モニタをオンにして相手の男を見た。今度はマイクをオンにしないで観察してやる。
 カメラの向こうに男以外にも誰かいる様子が伺えた。
 男の態度から誰かに怒っている様に見える。順当に考えて、千尋の母親だろう。
 カメラの前から男が退けた所でモニタが消える。
 今度は、チャイムが一度だけ鳴らされた。

「怜くん、誰なの?」

 千尋のオムツ替えを終えた梓が、渦中の子を抱っこしてリビングにやって来た。

「千尋の親と思われる失礼な奴。あんまり失礼だから、放置して眺めて遣ってる」

 憮然と言うとまたチャイムが鳴って、モニタをオン。映し出された女の顔は、何となく見覚えのある顔で、「誰だっけ?」と呟いて小さく唸る。脇からモニタを覗き込んだ梓は「やっぱり怜くんの子供でしたってパターン?」と胡乱な目で怜を見上げた。

「違うからッ」
「冗談よ」
「笑えないよ、その冗談」
「四日前、あたしも笑えなかったけど?」
「僕は無実だ」

 四日前のことを穿り返して厭味を言ってくる梓の頬が、不機嫌に膨らんでいる。

(あ、そっか)

 怜は急にご機嫌になって梓の頭をよしよしし、「アズちゃんは可愛いなぁ」とニヨニヨした。

「そんな言葉で騙されないから」
「騙すなんて人聞き悪い」

 二人が犬も食わない痴話喧嘩をしていると、再びチャイムが鳴った。
 怜はモニタを表示させると、「どちらさま?」と応答する。今度は遮られなかった。

「飯坂……同級の、佐藤明美。アッケだよ」

 今度はちゃんと会話になった。
 怜は “アッケ” と名乗った女性をマジマジ見、口中で『ああ』と呟く。高校を卒業してから彼女とは初めて会ったので、すっかり記憶に埋没していたが、姉御 鈴木由美と仲の良かった女子に思い至った。

「アッケ…老けたな」
「余計なお世話よ!」
「あのさ。勝手に僕の子ですって置いて行って、先ず言う事ないの? 凄く迷惑したんだけど?」
「……ごめんなさい。あの。息子…千尋を迎えに来ました」
「一緒にいるのは、旦那? 名乗りもしないでいきなり『息子返せ』って何様? 僕誘拐犯なの?」
「それは、ホントごめん。何度でも謝るから、中に入れてくれないですか?」

 懇願する眼差し。
 本来ならこんな事を押し付けられるような仲ではない。由美を通して偶に会話をするくらいの間柄だった。まあ由美の次に会話の機会があったことは否めないが。
 怜は鼻で嘆息する。

「しょうがないな。ちゃんと説明してよ?」
「はい」

 画面の向こうで頷いた明美を見て溜息を吐き、怜は梓を振り返る。梓は無言で千尋を怜に預けると、スリッパをパタパタ鳴らして「お茶の支度しまぁす」と台所に向かった。



 梓が飯坂夫妻をリビングに招き入れると、明美の夫は一目散に千尋に駆け寄り、ソファで子供二人を膝上であやしていた怜から半ば奪うようにして、我が子を抱き上げた。
 数日離れていた息子との対面で我を忘れて、とその気持ちは解らなくはないが、この男本当に失礼な奴だ。

 気持ちを汲んでやろうという気も失せ、怜が横柄な態度でソファに背凭れる。
 梓が二人に席を勧め、お茶を出そうとするのを怜は「男には出さなくていいよ」と喧嘩腰で言う。すると明美の夫は上目遣いに怜を見返した。

「けど淹れちゃったし、勿体ないよ」
「僕が飲むから。礼儀がなってない奴に出すお茶はウチにないからね?」

 にっこりと、目が笑ってない微笑みを久々に目の当たりにして、梓の喉が上下する。小さく「はい」と呟いてティーカップを下げるのを飯坂夫妻が眺め、怜は素知らぬ顔で愛姫をあやしている。

「南条くん。この度は、本当にご迷惑をお掛けしました」

 ソファから降り、床に額を擦り付けんばかりにそう切り出したのは明美だ。眉をそびやかせた怜が「ふん」と鼻であしらうと、明美は言を継いだ。

「この人、態度悪くて気に障るでしょうけど、一応これでも反省してるの」
「そうは見えないんだけど、僕の目がおかしいのかな?」
「ホントごめん!」

 明美は隣に座る夫の頭を無理矢理下げさせて、実はと事の発端を話し出した。



 二人は昨年の秋に授かり婚した。
 夫の家は弁護士や検事を多く輩出している家系で、片や明美の家は一般的なサラリーマン。
 それを姑は、家名が、格式が、学歴がと一々明美や彼女の生家を蔑み、大事な孫の教育を任せておけないと、彼女から子供を取り上げ、夫も全く頼りにならない。

 明美も結婚するまでは、凄い家系だと思っていたけれど、理由にもならない理由で彼女から子供を引き離して、自分たちの都合のいい子供に育て上げようとする姑に憤りを覚え、『家名云々偉そうなこと抜かすんなら、南条家ぐらいの富豪になってから言えや!』と衝動的に千尋を連れて家出したそうだ。

 二日ほどホテルで過ごし、ふと魔が差した。
 このまま本当に南条家の子になれたら、あんな姑の良いようにされなくて幸せかも知れないと考えていた。そうなると頭はそのことしか考えられなくなり、同窓会があると嘘を言って怜の実家からマンションの住所を訊き出した。
 由美から聞けば手っ取り早かっただろうけど、数年真面に連絡を取り合っていなかったし、由美の口からバレてしまうのは避けたかった。
 ただ直ぐに警察に連れて行かれては困る。だから “あなたの子” と偽った。明美にとってこれは賭だったのだ。

 明美の懺悔を聞き、怜は物凄く渋い顔をする。

「お陰で僕はコンシェルジュにまで浮気を疑われて、針の筵だったんだけど?」
「それは、ホント悪かったと思ってる」
「これで奥さんが実家に帰るような事になったら、どう責任取ってくれる心算だった訳?」
「いや本当にね。ははは……」
「笑い事じゃないよ? 彼女と結婚するまで、僕がどれだけ苦労したか知らないだろ!?」

 “自業自得で” と言う言葉は、敢えて口にしなければ彼女に分かるまい。
 本当に大変だった感を醸し出して明美に訴える怜の隣で、梓が何か言いたげにこっちを見ていたが、『何か?』と目で語れば彼女はふっと口元に笑みを浮かべた。代わりに愛姫が怜の頬をペチペチ叩いてくれたが、偶然たまたまだと思いたい。
 怜が軽く咳払いをして明美に視線を戻すタイミングで、ティーカップをソーサーに置いた明美が不思議そうに怜を窺う。

「風の噂で結婚したとは聞いてたけど、南条くんが苦労するなんてないでしょ?」
「結婚したの知ってて火種バラ撒くとか、鬼なの?」
「南条くんなら大した問題にはならない気がして」

 本気でそう思っていたらしい明美を、怜はしばらく言葉を失くして見つめた。

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