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9. うん。まあそれなりに……?
うん。まあそれなりに……? ⑮
しおりを挟む「怜。ちょっとお座んなさい」
ベビーベッドを挟んだ向こう側、応接セットを指差した彩織が言う。
梓はチラチラと二人を窺いながら、グラスに買って来たばかりの麦茶を注いでいた。
束の間姉を見、怜は応接セットを振り返って、もう一度姉を見る。目の座った微笑みを前にして、怜は抵抗するのを諦めた。
彩織は「いてててて」と前傾姿勢で腰を擦りながら、浮腫んだ足を引き摺って来ると、恐る恐るソファに腰を下ろす。背凭れに踏ん反り返るように寄り掛かり、目の前に座る怜に冷ややかな視線を送った。
「女の子は早熟と聞くけれど、アレはないわ」
「……アレとは?」
素っ惚ける怜の腕から抜け出し、愛姫はてててと梓に駆け寄って「ママあーたん」と脚に絡みつく。それを目で追った怜の視線が彩織に戻る。
「あんた子供の前でも相変わらずなの?」
「相変わらずって何がです?」
あくまで空っ惚ける怜は悠然と微笑んで首を傾げる。しかしその視線はチラチラと梓たちに向けられ、落ち着きを欠いたものだ。
梓はトレイごとテーブルに麦茶を置き、怜と彩織に出しながら「赤ちゃん抱っこさせて貰っても良いですか?」と義姉に訊く。愛姫の催促に根負けした彼女のおねだりの眼差しに苦笑する彩織が頷くと、梓は空かさずベビーベッドに向かった。
足元に絡みついている愛姫と一緒にソファに移動し、梓が怜の隣に腰掛ける。二人の間をよじ登ろうとする娘を怜がひょいと抱え上げると、愛姫が振り返ってにっこり笑う。その笑顔に脳殺されている弟を白い目で見る彩織は、「そろそろ考えた方が良いんじゃない?」と苦い顔で口を開いた。
「愛姫も色々と言葉を覚える時期でしょ? 先刻の『いやぁん』は完全に梓ちゃんの口真似と見たけど」
図星を刺されて梓の口元が大きく引くつく。抱っこした甥っ子から顔を上げられずにいると、彩織の「やっぱりね」と溜息混じりの声がして、更に言葉が続く。
「ゲイだった弟が女性に開眼してくれたのは喜ばしい事なんだけど、のべつ幕なし妻を愛でるケダモノと化すとはねぇ。せめて子供の前では自重しなさいよ」
そう言った彩織の顔は酸っぱい顔になっている。
本当にその通りだと思う。賛同の声を上げようとした梓の袖を愛姫に引っ張られ、そちらに気を取られていると、代わりに怜が口を開いた。
「アズちゃんが可愛くて、ついチョッカイ掛けたくなるのは、如何ともし難い」
「あんたねぇ。子供の教育上、褒められた事じゃないでしょ。時と場所を選びなさいよ」
「両親の仲が良いのは良い事だと思う」
怜は、腕を組んで偉そうに言い切った。
そんな時に、事件が勃発する。
梓に抱っこされた従弟に、愛姫がキスをした。マウストゥマウスのバードキス。
「……あ」
思わず漏れた梓の声。
子供たちを見たまま凝固する姉弟と、得意げな顔をする愛娘。
「あーたん、かーいね」
ふわふわの綿毛のような髪の毛を椛のような可愛い手が撫でる。
梓は完全にひきつった表情を張り付け、心中で乾いた笑いを漏らしていた。
やらかす兆しはあった。
(これは紛れもなく、怜くんに因る弊害だわね)
最近、愛姫は可愛いものにやたらキスをする。彼女基準の可愛いモノなので、当然一切を問わない。ぬいぐるみであろうと絵本であろうと、愛姫の心の琴線に触れるものならば、何でもアリだ。
それは見ていて、とても微笑ましい光景ではあるのだけれど。
微動だにしない怜を見て、『ご愁傷様です』と心の中で呟いた。
梓や愛姫に、『可愛い』と言ってはキスをする怜の真似っこだ。彼女はそれを当たり前だと覚えている。そして図らずも覚えさせてしまったのは、隣で呆けている夫なのだ。自業自得としか言えない。
(怜くん……ドンマイ)
声に出したら怒られるから、絶対に口に出来ないエールを送る。
そんなパパの心境など知りもしない愛姫は、きゃっきゃと可愛い笑い声を立てながら、同じく可愛らしい従弟にぞっこんのようで……。
「ちょ、あたしもまだ息子に洗礼のチューしてないのにぃ……愛姫に、愛姫に先越されたッ。梓ちゃん。うちの子返して!」
「は、はいっ」
ようやく気を取り直して立ち上がった彩織の息子を返すと、彼女は「上書きぃ」と我が子の唇を奪って少し安心したようだけど、梓は複雑な心境になる。
(なんか、ごめんね?)
生まれて二日目にして、娘が奪ってしまった甥っ子のファーストキス。
後々それがカウントされないことを祈るばかりである。
彩織に移動してしまった従弟を追って、よいせよいせとソファを下り始めた愛姫を茫然と眺めていた怜が、ハッとして抱き上げた。抜け出ていた魂がようやく帰還したらしい。
「めごひめぇ。パパ以外の男にチューしたらダメでしょ~ぉ」
「それもどうかと思う」
「アズちゃんは黙って」
半泣きの怜に一言申したら、涙目でギッと睨まれてしまったので、取り敢えず言われた通り黙ることにした。
こっちでも我が子に上書きをしているのを見て、梓はやれやれとばかりに首を振り、深く長い溜息を吐くのだった。
それからどうなったのかと言えば、事の発端は怜にあるとして、彩織に懇々とお説教を食らい、愛姫の前では絶対に、いかがわしい行動を慎むように約束させられていた。『承知しないなら、息子の貴重なキスの対価に愛姫を嫁に貰うわよ』と脅迫されれば、娘を手放したくない怜としては頷く外なかった。
彩織はやると言ったらやる。
その後の怜のグレようは、傍迷惑なくらいウザかった。
後日、甥の名前が “竣” に正式に決まったと連絡があったのだけど、そこでもまた一悶着あったらしい。
一度は城田籍に入れると納得した筈の彩織が前言撤回し、結局届け出の期日ギリギリまで駄々を捏ねまくった挙げ句、双方の親に説得――――堪忍袋の尾が切れた凛子に『嫌ならちゃんと結婚しなさい』と散々ど突き回されて、やっと城田姓で出生届を出すことが出来たと、城田が苦笑して言っていた。
姉弟揃って本当に手の掛かる人たちである。
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