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9. うん。まあそれなりに……?
うん。まあそれなりに……? ⑬
しおりを挟む息の詰まる膠着した空気。
(世の中、そんな甘くないよね)
対峙した二人の間を、見守る四人の目が何度も往復する。
今リビングのソファに城田と彩織が向かい合って座り、梓たちが成り行きを見守っていた。
本来なら、先ずは二人きりで話すべき事案なのだろうけど、彩織の性格を知り尽くしている怜と城田が、せめて会話になるようにと望んだ結果こうなった。
つまり。城田一人相手では、ほぼ条件反射で喧嘩を売るから見張りが必要って事らしい。それってどうよ、と思う。
彩織が逃げ出さないようにサイドを怜と梓で固め、梓に至っては彩織の腕にがっちりとしがみつき、翔と聖一は出入り口に近い所で、キッチンから持ってきた椅子に腰掛けている。
ここまでされてようやく彩織も諦め、ずっと項垂れたまま無言だ。そんな彼女を見る城田も挨拶してからずっと無言を通している。それが小心者の梓には居た堪れず、微かに強ばった表情で、小さく溜息を漏らす。
城田を呼んだのは、外でもない怜だ。
自分のテリトリーに敵愾心を持っている相手を招き入れることは、怜にとって苦渋の選択だったかもと思うと、後から彼を宥める作業が恐ろしく感じる梓である。
とは言え、だ。
志織から匿うにしたって、家長の許可なしに話は進められない。梓はオブラートに包みながら怜に相談したのだけど、妙に勘の働く怜に隠し通せる筈もなく、彩織もじわじわと追い詰められて、白状するに至り……。
当然、怜がぶち切れた。
元より城田には良い感情を持っていないし、自己完結している彩織にも怒り心頭だ。
妊娠出産が大変なことは、怜も梓で経験したばかりだ。何のかんの言ったって、大事な姉がシングルマザーを選ぶことを歓迎するわけがなかった。
重苦しい雰囲気の中、彩織が徐に息を吐き出した。それからアッシュグレーのウェーブが掛かったセミロングヘアを掻き乱し、勢い良くソファの背凭れに身体を預け、半眼で向かいに座る城田に視線をくれた。
「この子は、あたし一人で育てる。城田には関係ない。だから認知も不要」
やっと口を開いたかと思えば、拒絶を言葉にする彩織を城田が僅かに睨んだ。
「そう言う訳にいかないだろう?」
溜息混じりの言葉に彩織は柳眉を顰め、首を横に振りながら溜息を吐き返す。
「別に問題ないでしょ。あたしがそうしたいって言ってるんだから」
「問題だらけだろ」
「どこが?」
「子供を私生児にするのか?」
穏やかな声で問うた城田に、彩織はぐっと言葉を飲んだ。しかしそれも束の間のこと。彩織は上目遣いで城田を睨むと、意志を通そうとする厳しい顔付きで言を継いだ。
「それはこの子に申し訳ないと思うけど、あんただって子供のために好きでもない女と結婚して、後悔したくないでしょ。酔っぱらった女に襲われて美味しく頂かれてるんだから、デキた子供に気兼ねしなくて良いわよ。これはあくまであたしの自己責任なの。そこに茶々を入れられたら迷惑だわ」
言い切ったとばかりに彩織が鼻息荒くふんぞり返ると、襲ったの下りを知らなかった男三人が唖然と彩織に視線を向けていた。
(ははは…ごめんね。何か言いそびれてたよ)
翔が「さすが怜姉」としみじみ言ったのに対し、怜が「どーゆー意味?」と不快気に顔を顰めれば、翔は「自分の胸に手を当てろ」とチラリ梓に視線を寄越し、わざとらしい溜息を吐いた。そんな二人のやり取りに苦笑しつつも、梓はふと感じた違和感に小さく首を傾げる。
何か分からないけれど、モヤっとする。
周囲の心境など知ったことかと、視線を打つけ合って言い争う二人をじっと見ながら、何が腑に落ちないのか考える梓の眉間に皺が寄った。
彩織が来てからの会話を丁寧に思い返していると、先に視線を逸らしたのは城田の方だった。彼は膝に肘を預けて項垂れると、深くて大きな溜息を吐く。
城田は日に焼けてパサパサな茶色の前髪を掻き上げ、「いい加減にしろよ」と低く唸るように呟いた。
「一人で作ったみたいなことを言いやがって。種は俺んだッ! 関係ないって意地張るなら種返せ!!」
「ちょっと! 何無茶苦茶なこと言ってるのよッ! そんなこと出来る訳ないでしょ!!」
「無茶苦茶言ってるのはそっちも一緒だろッ。俺はただの種馬か!?」
「そうよ!」
売り言葉に買い言葉で、お互いを睨めつけ合っている。
城田らしくないなんて考えながら、梓は高校生だった頃の二人を想像する。きっと当時もこんな感じだったのだろう。想像するまでもなかったと少し後悔した。
なんだか威嚇し合う唸り声の空耳が聞こえて着そうだ。
「子供が出来るような事してるのに、何で普段から仲良く出来ないかなぁ」
梓が厭味を篭めてぼそぼそ呟き、大仰な溜息を吐く。怜は話にならない彩織を呆れた眼差しで眺めている。そんな二人に挟まれて居心地最悪の彩織は身を固くして俯き、向かいの城田は咳払いして目を逸らした。
どう見たって今回も、彩織が悪い。
普段は軽く去なす城田が彼女の挑発に乗ってしまったのは意外だったけど、温厚な方の彼が苛々するくらいには、腹に据えかねる案件だ。無理もない。
(お姉さん、歩み寄りが全くないもんなぁ)
彩織を見ている城田の顔付きがすこぶる険悪で、さすがの彩織も気不味そうだ。先刻からリビングに嫌な空気が漂い始めている。
(城田さんは自分の子供だって認めてるのに、何が不満なんだろ?)
酔った勢いの一夜の過ちで、妊娠しましたと言われて認める男がどれほど居るのだろう?
そう考えたら城田は潔い。
彩織も変な意地を張らないで、さっさと『お願いします』と頭を下げれば良いものを。
げんなりした気分で二人を見遣り、彩織の微かな変化に『あぁ』と思う。
そこで梓は、彩織の矛盾に気が付いた。
「あの、ちょっと良いですか?」
控えめな声を上げて彩織と城田を見ると、城田はハッとしたように表情を緩め、少々ぎこちなく微笑んで「どうぞ」と促す。梓は軽く頭を下げると、彩織に向き直った。
「彩織お姉さん。認知しなくていいなら、どうしてあたしに父親を明かしたんですか?」
彩織の僅かに潤んだ双眸を覗き込む。彼女は弾かれるように梓を見た。
「え……?」
「あたしが同じ立場だったら、絶対に言わないと思うから」
そう言った梓をチラリともしない怜が「ヤなこと思い出した」と酸っぱい顔をして独り言ちたのをキッと睨むも、すぐに彩織に視線を戻した。
「だ…だって。言わないと、匿ってくれないと思って……」
小さく揺れる瞳に困惑を滲ませた彩織に、梓はにっこりと微笑む。
「訊いたけど、強要はしてませんよ? あたしから言わせて貰ったら、彩織お姉さんは一人で子供を産んで育てるなんて、無理だと思います」
「そんなことない」
「いえいえ。名前を明かしてしまった時点で、城田さんに知って欲しい欲求があったって事だと思うんです。それを意図してなかったとしても、隠したまま怜くんの協力を得るなんて先ず無理があるし、バレて怜くんが黙ってる訳ないですもん。文句ばっか言う癖に、お義姉さんたちのこと大事にしてるんですから。それを知らない訳じゃないですよね? とまあそう言う事なので、城田さん。義姉をよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げると、呆気に取られた城田が釣られて頭を下げる。梓は彩織の向こう隣で仏頂面になっている怜に、にっこり笑いかけた。
「怜くんも、分かってるよね?」
不承不承、本当に嫌そうな顔をして頷く怜に、「よしよし」と頷き返す。するとぶっと吹き出す音が聞こえて振り返れば、城田が笑いを堪えている姿があった。
渋面になる梓に尚更可笑しさが募ったようで、口を押さえて身を捩り、顔を背けてまで笑いを堪えられると、言葉に出来ない理不尽さを感じる。
可笑しい自分が可笑しいという、良くあるけど謎なループに嵌まっている城田が、やや恨めしい。
暫く膨れっ面で城田を眺めていると、何とか笑いを納めた彼が涙を拭って溜息を吐いた。
「何なんですか、もお」
「はぁ……お腹痛い。アズちゃん、逞しく、なったよね」
「それ褒め言葉と違いますからね?」
「いやいや。さすがお母さんだと思って」
そう言われるとちょっと嬉しいのだけど、微妙な感情も湧き上がってきたりする。だからつい愚痴めいた言葉も口を突く。
「愛姫の外に、おっきな子供がいますからねぇ」
溜息とともに項垂れると、向こう隣から「何それ、僕のこと!?」と物言いが着いた。間髪入れずに翔がニヤニヤと口を開く。
「自覚あったのか?」
「ほんと愛姫より手が掛かるもんね」
梓がやれやれとばかりに首を振り、「あのねえ」と不服そうに立ち上がった怜はソファの背を飛び越えると、梓の背後に回って背凭れを跨ぎ、彼女を抱えて座り直す。腰に腕を回して引き寄せ、肩に顎を置いて耳元に口を近付けてきた。
「いつもこうして甘やかしてるでしょ」
「怜くんがくっ着きたいだけじゃない」
「お姫様ばっかり抱っこしてたら、アズちゃん拗ねるじゃん」
「拗ねてませんから。寧ろそれは怜くんの方でしょ」
バカ夫婦の惚気に場がシラケると、翔たち男三人が何だかんだと話し始め、ぽつんと置き去りにされた彩織が肩を震わせながら「ちょっとちょっとちょっと!!」と声を張り上げた。
怒りで真っ赤な顔をした彩織を全員がきょとんとした顔で眺める。彼女は地団太踏みそうな勢いで喚きだした。
「何勝手に話纏めてんの!? ちゃっかり話題変えてるけど、あたしはコレッポッチも同意してないわよ!?」
荒い鼻息を吐き腕を組んで踏ん反り返る姉を見て、怜はうんざりした溜息を吐いた。
「また往生際が悪いことを」
「うるっさい!」
「あのさぁ。一体何が気にくわないの? 子供まで作っといて」
「……」
「高齢出産だからこの機会を逃せないとかって、理由としては薄いから止めてよね。サオ姉の性格からして、嫌いな男の子供を産むはずないんだから」
「……」
「あのさ。僕、夕飯の支度の途中なんだけど、サオ姉の乱入で食材放置したまんまなんだよね」
キッチンの方を指差した怜の食材を憐れむ声音が、遠回しに彩織を非難している。そんな弟を恨みがましく睨み、食って掛かって来た。
梓を抱えているからか、遠慮がちに怜の腕を突く。
「ちょっと! 姉の今後と夕飯、どっちが大事よ!?」
「夕飯。僕とアズちゃん、今日一食も食べてないからさ。結構切実にお腹減ってるし、ここはもう城田と二人で今後の話して」
堂々巡りの会話にいい加減飽き飽きしてますと顔に書き、突き放した言い方をする。
「怜くん。顔怖いよ?」
お腹が減ると、些細なことでも人間苛立つものなのに、彩織に根気よく付き合った怜は、彼にしたら充分に我慢したと思う。
ちょっと和ませようと、怜の眉間に刻まれた皺を人差し指でぐりぐり捏ねると、その手を取った怜が彼女の指をカジカジし、ちゅっと吸ってくる。
(や……やぶへび~ぃ!)
衆人環視の中、指差から生まれてくる快感と羞恥の狭間で気持ちが揺れ、油断したら漏れそうな吐息を堪える梓の目は涙目だ。
ぷるぷる怯える小動物のような梓に気を良くし、人目などまったく気にしない怜の求愛行動など見慣れてしまっている翔と聖一は、溜息と共に立ち上がってキッチンに消えて行く。怜の行動を止めてくれるはずの翔がいなくなり、世の無情さに天を振り仰いだ梓は、ぶるりと震えた。
「やーッ! 食われる~ぅ」
中指まで口に含まれ、舌先が指の股を這う。人前で感じる表情を見せようものなら、羞恥で何回でも死ねそうな気がする。
梓は怜の額をグイグイ押し、食されている右手を何とかして取り戻すと、「怜くんの馬鹿」を連発してえぐえぐとしゃくり上げた。
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