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9. うん。まあそれなりに……?

うん。まあそれなりに……? ⑧

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 翌日、何度電話しても繋がらない彩織に業を煮やした怜は、終業後実家に顔出した。

 ノックしてもウンともスンともない彩織の部屋に入ると、充満した酒の臭いに一歩後退り、思い切り顔をしかめる。怜は「酒臭ぁ」と文句を言いながら中を覗き込み、カーテンを閉め切った真っ暗な部屋のベッドで、死んだように眠る姉を発見した。
 ピクリともしない姉に近付いて耳を澄ませてみれば、一応息をしているようで少々安心する。と、無性に腹が立ってきた。

 スパ――――ンッッッ!!

 スナップを利かせた張り手を俯せで寝こける彩織の後頭部に食らわせ、ベッドの傍らに仁王立ちになる。
 いきなりの衝撃に腕を突っ張って上半身を起こした彩織が、豆鉄砲を食らった顔で飛び起き、「なにっ!?」と周囲を見回す。暗がりの中で背後に廊下の明かりを背負った怜を発見し、彩織はジンジンする頭を擦りながら、衝撃の根元であろう弟を睨みつけた。

「痛いわねッ! 寝てる姉に何て事すんのよ!!」
「そーゆー事は先ず、姉としての尊厳を見せてから、言って頂きたいものですね」

 ふんと鼻を鳴らし、細めた双眸で冷ややかに見下ろす。

「毎度毎度酔い潰れて、アズちゃんとのスウィートタイムを邪魔しくさるばかりか、昨夜はこの僕に噴水のようなゲロを吐きかけ、心配して見に来れば暢気に寝転けているとか、有り得ないでしょう?」

 嘔吐は怜が乱暴に彼女を揺すらなければなかったかも知れないが、前後不覚になるまで飲んでいた彩織に問題があるので、責任の所在は自分にない。彼女がそこまで酔い潰れたことは嘗てなかったし、あくまで被害者だと思っている。
 中指を立てた拳骨で彩織の両こめかみを挟み、「我慢の限界ですよっ」と鬼の形相でグリグリする。

「ぃ…だ――――ッ! 痛い痛い!! れ、怜くんっ! ソコ急所だから!!」
「それが何か?」

 抑揚のない弟の声音に、本能的な震えが走る。
 見る間に蒼褪め、怜の手首を掴んで離そうとする彩織に、容赦なく拳骨を押し当てた。

「こんなことじゃあ、昨夜の話も覚えていないんでしょう?」
「ゆ、ゆ……べの話って、っててて……な、ななによッ」

 涙目で見上げ、案の定聞き返してくる彩織に、怜は鼻で嘆息する。

「城田、しばらく姿晦ますってよ」
「…………はい?」

 何を言われているのか解らないとばかりに、きょとんとする彩織。
 今度は彼女の両耳を引っ張り、底冷えのする笑みを浮かべた。

「よっぽどサオ姉がウザかったんじゃない?」
「いたたたたッ! れ、ひど」
「どっちが酷いの? 僕、被害者でしょ?」

 彩織にぐっと顔を近付けて「ねえ?」と同意を求めると、瞠目した彼女は「その通りです」と強ばった笑みを浮かべる。怜は一瞬目を眇めて、彩織の耳を放した。
 胸の前で腕を組み、耳を擦っている姉を見下ろしながら、慎太郎から得た情報を思い出し、ちょっと躊躇いながら舌に乗せる。

「タロさんの話では、明日の夕方の便で日本を発つらしいけど、このまま黙って行かせても良いの?」
「なっ……ななななな」
「散々僕たち夫婦を巻き込んでんだからさ、いい加減その爛れた想いに決着つけてきてくれない?」
「た、爛れたって、何がよ!?」
「城田が好きなんじゃないの? 高校の時から」
「はッ!? ば……」
「バカな事じゃないでしょ? バレバレだっての。お願いだから、もう僕たちを巻き込まないでね?」

 怜を見上げたまま茫然とする彩織に嘆息し、頭をポンポンすると踵を返して部屋を出た。



 正直、城田のことは嫌いだ。
 一瞬でも梓の心を捕らえたと思うだけで、腸が煮えくり返る。
 もし仮に彩織と上手くいったら、非常に面白くない事態になるのだが、城田を一人フラフラさせておくよりはマシなんじゃないかと考えた。
 梓に近付かせる心算はさらさらないが、フリーでいられるよりは安心できる。
 自分も相当だと思うが、恐らくその上を行くであろう彩織の粘着気質に、少々期待しているのはこっちの勝手だ。

 梓を待たせているリビングに行くと、志織を筆頭に彼女を取り囲んでワイワイと賑やかだった。
 入って来た怜に気付いた梓が笑みを消し、「どうだった?」と心配気に訊いてくる。と同時に、忙しくていない男二人以外の視線を一斉に集めた。
 家族たちの声にしない期待が、ひしひしと伝わってくる。
 怜は梓の隣を陣取っている甥っ子を膝の上に抱え上げ、「どうもこうも」とソファの背凭れに寄りかかった。

「どれだけ寝るんだか」
「サオちゃん寝起き悪いから」

 毎朝大変よと、志織がクスクス笑う。

「寝起きが悪いってレベルの問題じゃないでしょ。放って置いたらきっとまだ寝てるよ」
「それで、起きたの?」
「頭ふっ飛ばす勢いで叩いたら、流石に起きた。伝えることは伝えたし、この後どうするかはサオ姉次第ですね」

 怜がそう言っている側から二階が賑やかになり、階段をけたたましく駆け下りてくる音がする。騒音はリビングの前で止まり、お嬢様とは大凡言い難い乱暴な仕草で扉を開けはなった彩織は、目線を一巡して「出かけてくる。帰りは未定」と開けた時と同様、乱暴に閉めて家を出て行った。
 まるで台風のような彩織を唖然とした眼差しで見送った一同は、走り出した車の音が遠くなるのを聞いて、大きな溜息を吐き出した。



 彩織の首尾はどうなったか知らないが、翌日の夕方に泣き腫らし、疲れ切った顔をして帰宅したそうだ。
 そんな状態だったから志織も聞くに聞けず、その日彩織は部屋に篭もって出て来なかった。またその翌日には何事もなく仕事に行ったと志織に聞いた怜と梓は、言葉もなく互いを見合うと、どちらからともなく苦い顔をした。
 彩織の長きに渡る恋いに終止符が打たれたのかどうかは、彼女が何も口にしないので家族間に憶測が飛び交ったが、次第にそれも落ち着く。
 時間は瞬く間に流れ、南条家がまた騒がしくなり始める日が、刻々と近付いていた。


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