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9. うん。まあそれなりに……?

うん。まあそれなりに……? ②

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 血行を良くしないとね、そんな口実の元に、怜がしょっちゅう纏わり付いて来た。
 お陰様で鬱血痕はかなり薄くなり、メークで隠せるくらいにはなった。茶色に変色したそれは、シミかソバカスと言えば見えなくもない。

 式もいよいよ明日となり、会場に併設された宿泊施設に、午後からチェックインしている。
 自宅マンションから車で三十分やそこらだし、入りは当日でも良いと思っていた梓だったが、『どうせ貸し切りなんだし、当日にバタバタするよりは良くない?』と怜に押し切られて、泊まることになった。

 そう。百室以上ある施設を貸し切りなのだ。南条関係者の為に。
 親類は上階層に集まり、義母の凛子に階層引き回しの挨拶巡りに引っ張り出され、部屋に戻った頃には梓は元より、怜までコテコテに疲弊し切っていた。
 途中で挟んだディナーも、錚々たる面子を前に、緊張で何処に入ったのか分からない。怜は何度も『ごめん』と考えが足りなかった事を悔やんでいた。
 梓の顔が完全に強張ってしまった微笑みは、余程見るに堪えなかったのだろう。

(……やっぱ、当日入りにすれば良かった)

 今更言ったところで詮無いことだが、ベッドに突っ伏した梓から溜息が漏れる。そしてカウチの背凭れに身体を預けきった怜も同様に、長い溜息を吐き出した。

「「疲れた~ぁ」」

 同時に口を開いて顔を見合わせ、クスリと笑いが漏れた。

「アズちゃんの言う通り、当日入りにすれば良かったね」

 矢庭に立ち上がった怜が、備え付けの冷蔵庫からペットボトルのジャスミンティーを持ってくると、「お疲れ様でした」とキャップを弛めて梓に差し出す。それを受け取ってベッドに座り直すと、彼は隣に腰掛けた。

「明日が本番なんだよね。なのに何? このやり切ったような疲労感は…。僕でこうなんだから、アズちゃんはもっとだよね」
「……ははは」

 脚に腕を預けて項垂れる怜に、乾いた笑いしか出ない。
 遠方から来た親類縁者の所を鬼の様に回り、平然としていた凛子のパワーには本当、恐れ入る。

 ジャスミンティーをこくこく喉を鳴らして飲んでいると、不意に取り上げられて眉を顰めた。怜はそれをサイドテーブルに置き、尖らせた梓の唇にバードキスをする。

「アズちゃんとギリギリまでイチャつく予定が、大幅に狂った」
「怜くん、あのねえ」

 げんなりして夫を見る梓を不満そうに見返し、ワンピースのファスナーを下ろしていく。油断ならない手癖に、彼女の眉がさらに引き絞られた。
 するりと肩が開け、胸元が急に弛くなってストラップが落ちる。最近ちょっと増量中の乳房の重みに、チリリとした痛みが走った。
 咄嗟に胸を隠す梓の手を退け、怜は過敏になっている尖端を唇で食んだ。勝手に身体がピクリと揺れる。

「一日の回数減らしてるし、激しくしない様にしてるでしょ」
「毎日してたら、意味なくなくない?」
「気絶するほど啼かせたいの、我慢してるんだから、少しくらい…目溢ししてよ。セックスは……夫婦円満の、秘訣だよ?」

 怜の唇と舌が、言葉の合間合間に乳首へ優しい愛撫を加え、梓の表情が蕩けてくるのを愉し気に観察している。恥ずかしくて彼を押し退けようとするのに、手に力が入らなくて、そのまま怜に押し倒された。
 くすぐったいくらいの愛撫に、それでも官能が刺激されていく。
 お腹の奥で熱が生まれ、焦れったいようなもどかしいような切なさに、甘やかな吐息が漏れた。
 怜に触れられるだけで、もうこんなに気持ちが良い。  
 なのに――――
 怜の顔がだんだん険しくなっていく。
 梓への愛撫に集中しようとすればするほど、彼の苛立ちが増していくようだ。

「れい…くん。電話、出たら?」

 先刻から怜のスマホが鳴っていた。
 ムスッと不機嫌を露に電源を落とすと、今度は固定電話が鳴り出した。それもジャックを引き抜いて無視すると、梓の電話が鳴り、それも電源を落とす。
 怜の鬼のような形相に梓は息を呑んだ。

(そこまで、したいのか。単なる意地なのか……?)

 梓の飲みかけのジャスミンティーを一気に飲み干し、怜が苦い顔をして溜息を吐く。頭をふるふる振って気を取り直すと、ニッコリ笑って「続き、しよっか」と覆い被さって来た。
 が、そうは問屋が卸さなかった。
 電話では無理と判断を下されたらしく、扉をけたたましい程ノックし、怜の名前を連呼する。

(あ、青筋)

 怒りにぶるぶる震える怜の額に、血管が浮かんでいた。
 このフロア全部が怜の親類だ。いくら騒いだって、余所様に迷惑かけることもないから、どんどんエスカレートしていく。

「怜くん。諦めた方が、良くない?」

 簡単に諦めるとも思えないので、梓が怖ず怖ずと言ってみる。怜は溜息を吐くと、彼女の衣服を正し、泣きそうな目で一瞥した。
 扉の前でもう一度溜息を吐き、観念した彼が扉を開けると、怒涛の様に押し寄せた従兄弟たちに拉致され、後に残ったのは怜の尾を引く悲鳴だった。



 怜が戻って来たのは、明け方だった。
 空が白み始め、小鳥のさえずりが聞こえる。

 相当飲まされたのか、酒の臭いがプンプンし、そのまま梓の隣に俯せで倒れ込んでくる。怜のだらりとなった腕が彼女の上に伸し掛かり、退けようとすると引き寄せられた。
 向かい合って「重い。お酒臭い」と文句を言う梓に、ふふと緩みきった顔で笑って、すうすうと軽い寝息を立て始める。連れ去られていく時の悲鳴とは反して、楽しいお酒だったようだ。

 それにしても怜が酔い潰れるなんて、どんな飲まされ方をしたのだか。
 翔と怜は、巷では “枠” と呼ばれる酒豪だ。その怜をここまで酔わせる従兄弟たちの、何とも空恐ろしいことか。

(……妊娠中で良かった。うん。あたし、絶対無理)

 一緒になって飲んだら、確実に急性アルコール中毒になる。

(けど、こんなんなって大丈夫なのかなぁ?)

 普段会えない親類たちが、この機会に飲みたいと思うのは分かるけど、主役の片割れが果たしてこれで良いのだろうか?
 怜が二日酔いになった事は未だ嘗てなかったけど、祝いの席で初お披露目になるかも知れない。彼のことだから平然を装い、何食わぬ顔をして高砂に座るのだろうけど、未知の出来事に言い知れない不安が過る。

(身体、保つのかなぁ?)

 何しろ、披露宴は二部構成だ。
 挙式が終わったら、親類や友人たちを招いての披露宴で、その後に南条の関係者やAZデザイン事務所の関係者を招いている。前半は兎も角、後半の失態は許されない。

(南条家の面子、潰すようなこと怜くんがする訳ないと思うんだけどね)

 そういう隙の無さは、毎度感嘆する。

「今は隙だらけだけどね~ぇ」

 怜の頬をツンツンすると、片目を薄く開けて梓を確認し、ふにゃっと笑って鼻の頭にキスをしてくる。

(お~ぉ!? なんだぁ? 怜くんが可愛いぞ!? 酔っぱらうとこんなに可愛くなるの!?)

 飲んでも顔色が全く変わらない彼の、激レアな可愛さに身悶える。
 むにゃむにゃと口を動かしている様子が超絶に可愛くて、悶絶死してしまいそうだ。

(あ、スマホッ!)

 ずっしり重い怜の腕の下敷きになりながらも、やっとこさ半身を返してサイドテーブルに手を伸ばした。
 保存先がSDであることを確認し、録画時間の制限を解除する。
 梓は録画モードのレンズを向け、チョッカイかけてては彼の反応に悶え、一人ニヤニヤしていた。怜が目を開くまでは。
 画面越しの怜の目がじっとこちらを見ている。

(ちょ…悪戯しすぎた……? 寝惚けてる、だけ…かな?)

 無言で見詰めてくる怜に焦りを感じるも、身動ぎできないまま録画している。
 蛇に睨まれた蛙の様だ。

「何してるの?」

 掠れた声がした。と同時に梓の手からスマホが離れて行き、画面を確認した怜がにっこり笑った。

「僕の寝顔、録画して楽し?」

 目が笑っていない笑顔のまま、怜の指が操作しようと動く。梓はその手を掴んだ。

「やぁあ。消さないでぇ」
「ダメ。消す。どうせならちゃんと撮ってよ」
「やだ。だって萌怜くんなんて、またいつお目に掛かれるか分からないのにぃ。それ消したら、口利いてあげないからねッ!」

 梓の脅し文句に、怜の顔が一瞬で凍り付いた。
 今日これから挙式を上げようという日に、これはあんまりかなと思うけど、レア映像を守るためである。
 暫らく梓をガン見していた怜が、しょうがないとばかりに溜息を吐き、「わかった」と微笑んで頭を撫でてきた。彼女が目をパッと輝かせて彼を見ると、黒い微笑みが目に飛び込み、梓は嫌な予感がしてすぐ後悔することになる。

「僕も可愛いアズちゃんを録画していいなら、コレ残してもいいよ?」
「え……っとぉ…それって……」

 みなまで訊くのが恐ろしい。

「二十六分かぁ。同じ時間だけ、アズちゃんを撮ってもいいよね?」

 そう言って怜は、彼女のスマホから自分のスマホに持ち替えた。


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