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8. 梓、一難去ってまた一男(難)…!?
梓、一難去ってまた一男(難)…!? ⑰
しおりを挟む下卑た笑みを浮かべて尚人が語った内容は、はっきり言って醜悪で、梓は吐き気を覚えた。それと同時に “何でこんな男に” と尚人への怒りも覚える。
「俺を翔から遠避けたいが為に、出した交換条件あっさり呑んで、あのプライドの高いお坊ちゃまが、俺に陵辱される様は中々見物だったよ。苦痛に歪んだ顔を思い出すと、今でもゾクゾクする」
蒼褪めた梓の表情を窺って、尚人がニヤニヤ笑っている。
翔の妹だと知っていて、こんな話を聞かせる尚人は、性格が悪いなんて代物じゃない。歪みまくっている。
翔を尚人から守るためだったとは言え、屈辱的だったろうと思うと、申し訳なさと感謝の思いに胸が苦しくなり、彼の深い愛情を知って切なくなる。そしてそこまでしたのに、梓を選んだ怜の気持ちが解らない。
つきっと棘が胸に刺さったような痛み。
尚人は更に追い詰めようと、容赦ない言葉を浴びせて来た。
「兄貴の男を奪い取る気持ちって、どんな? 何が良くてわざわざゲイと付き合いたいと思った訳? 酔狂としか思えないんだけどさ。異性愛者は異性愛者と仲良くやったらいいだろ」
尚人の言い方だと、梓が怜に迫った前提になっているようだ。
確かに、普通だったら性的少数者がアイデンティティである性的嗜好を容易に覆したりしない。尚人がそう考えたとしても、決しておかしなことではなかった。
(……お兄ちゃんから、怜くん奪おうとか、思ってなかったのに)
結果的にはそうなってしまって、どれだけ懊悩したか知らない尚人なんかに責められたくない。けど声に出して反論しようとは思わなかった。
(あたしだって普通の男の人と付き合って、結婚する予定だったもん。怜くんはイレギュラーだったんだから、しょうがないじゃん)
口を尖らせて尚人を睨めつければ、彼は全く答えを返してこない梓に苛立ちを見せて、また毒を吐く。
「…ああ。社会的な体面の為に、あんたの存在が必要だったのか。家族にゲイだってこと隠すために、俺に童貞を差し出した奴だもんな。それくらいのこと、怜なら平気でやるな。あんただったら余計な説明も必要ないだろうし、セックスを要求される心配もない訳だ。都合がいいな。確かに」
梓の表情を探るように見る目は、些細な油断も許されない気がする。
ここで『そうだ』と答えた方が良いのか、梓は思案した。
幸い、怜が結婚しているとは思ってないようだ。中にはカムフラージュで結婚する人もいるけど、尚人にはどうでもいい事なのかも知れない。彼の中ではあくまで怜はゲイのままなのだろう。
だったら尚の事。怜の子供を妊娠しているのは、絶対にバレては困る。
「ねえ。トイレ行きたいんだけど」
そう言ったら嫌そうな顔をされた。梓は不機嫌な顔を更に不機嫌に変え、
「ここで漏らされたら、困るのはそっちなんじゃないの?」
「…チッ。待ってろ。おいッ!」
尚人は廊下で待機している男たちに声を掛けた。摺りガラスの扉が開かれると、「トイレに案内してやれ」と彼女を追っ払うように手を振る。梓は「ちょっと」と物言いを付けた。
「このままじゃ出来る訳ないでしょ」
後ろ手に拘束された手をぶんぶんと振って見せる。尚人は尽々面倒な女だと言わんばかりの渋面になる。
「切ってやれ。どうせ逃げられない」
「いいわよ切らなくて。また縛られるんでしょ?」
「今文句言わなかったか?」
「だから必要ないの。こうすれば」
梓は肩をグニグニ動かし、腕を上にあげていく。肩がぐりんと回り、腕は頭上を通り抜けた。親指を結束バンドで繋がれたまま、「ほらね」と顔の前で両掌を開いて見せ、ニッコリ笑う。
「軟体動物か」
「失礼ね。一応、腕を前にする了承? 取りたかっただけだから。いつまでここに居なきゃいけないか分からないけど、トイレ行く度に切って括ってなんて資源の無駄でしょ。はい。トイレ案内して」
踵を返して廊下に向かう背後で「ぶっっっ」吹き出す音がし、振り返ると目の周りを赤くして笑いを堪える尚人の姿。梓は訝しんで眉を寄せた。
「お前もしかして、ホントは男か?」
言うに事欠いてそれかと、眉間の皺が深くなる。
「…何でそーなるのよ?」
「女にしちゃ肝座り過ぎだろ」
「残念ながら、男だったことはないわ。あたしもそう在りたかったけど、弟が欲しかった兄が、それで号泣したらしいから」
翔に号泣されたとは、今は亡き母の談である。
もちろん今は女であって良かったと思っているけど。
「もう行ってもいいかしら? 限界なんだけど」
「さっさと行け」
しっしと追い払われ、梓はぺこりと頭を下げてトイレに向かった。
個室に篭った梓はホッと息を吐く。
本当はトイレに用があった訳ではない。腕を前に持ってくる理由が欲しかった。これでいざと言う時にお腹を守ることが出来る。
容易く腕肩を回せるとなれば、尚人もわざわざ後ろ手に括る必要性を感じないだろう……とそう願っている。
まだ膨らみが目立たない下腹に手を当てた。
(もうちょっと、我慢してね? お父さんと伯父さんが、きっとお迎えに来てくれるから)
見た目、本当にそこにいるのかどうかも判らない小さな命に言葉を掛け、深く息を吐き出す。小さな声で「よしっ」と気合を入れ、梓は扉を開けた。
「龍兵。ホントにこのマンションなんだろうな?」
何の変哲もないマンションを見上げ、憮然とした面持ちで翔が問えば、龍兵と呼ばれた男が嫌そうな顔をする。
「ウチのネットワーク嘗めんなよ? 梓助けるのに手を抜く訳ねえだろ」
心外だとぼやき、剣のある顔を一瞬だけ情けなく歪めた。
三十前でありながら落ち着き払った表情を見せつつ、眼光は鋭い。逆らうことを許さない醸し出される凄みには、上に立つ者独特の風格がある。その彼の顔を崩させる人間は、そう多くはいない。
梓が拉致されてから、この時既に六時間が経過していた。
翔や怜の焦りが目に見えて分かるだけに、龍兵は力強く言う。
「梓はトモさんやミツさんの大事な天使で、俺にとっちゃ大事な幼馴染みだ。絶対に救い出す。…ところで怜。顔、大分悪くなってるぞ?」
右眉を聳やかせた龍兵がニヤッと笑って見せると、怜のこめかみがピクッとした。
「顔悪い? 上等だ。梓に傷ひとつでも付けてたら、地獄に蹴り落としてやる」
怒りのあまり、精神的外傷を完全に吹っ切った怜がマンションを見上げ、女神と称される美貌に禍々しい物を浮き上がらせる。龍兵はその顔に一瞬見惚れて唾を飲み、ニヤリと笑った。
「おう。地獄はウチの十八番だ。いつでも蹴り落とせ」
龍兵が凶悪な顔付きで笑みを浮かべサムアップする。するとそこに、どう差し引いても堅気には見えない男が「若っ」と龍兵を呼びに来た。
「待機完了っす。奴らデリバリー頼んだみたいなんで、届いたその時が狙い目かと」
「わかった。それじゃ、俺らも待機するか」
「「おう」」
翔と怜が異口同音に頷く。
三人がオートロックの自動ドアの前に立つと、待ち構えていた十代の男が中から開ける。龍兵を先頭にして、深く身体を二つに折る彼の前を通り過ぎた。
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