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8. 梓、一難去ってまた一男(難)…!?
梓、一難去ってまた一男(難)…!? ⑯
しおりを挟む後ろに回された手は、親指同士を結束バンドでしっかりと固定され、布状の物で目隠しをされている。口には粘着テープを貼られていて、両脇には男が座っている。
少なくとも車の中には運転手を含めて三人。
どこに向かっているのだろう。
こんな事をする人物は一人しか思い当たらないけど。
行き成り催涙スプレーを吹き掛けられ、身動き出来なくさせる根性の悪さ。涙も咳も止まっていないのに、目隠しと粘着テープはメチャクチャ苦しかった。実行犯ではなくても尚人は嫌いな人一位認定だ。
ようやく治まって来た激痛の恨み、絶対に忘れてやらないと心に誓う。
恐らく由美も催涙スプレーの被害に遭っている。
(由美さん、大丈夫かな……?)
人の心配をしている場合ではないけど、抵抗することも適わない、逃げることも無理だ。泣き喚いたところで相手を悦ばせるだけだし、今はどうにも出来ない状態なので、開き直って、そんな事をぼんやり考えていた。
拉致されたというのに、比較的冷静だ。
今頃、由美は翔に連絡を取って、何らかの対策を執っている。そう考えただけで少し気持ちが落ち着いた。
窮地にありながら、兄に対する絶対的信用。いつだって翔は梓のヒーローだ。
兄を思い浮かべて、大丈夫と微かに頷いた。
十中八九、尚人の差し金なんだろう。
最近大人しいと思ったら、梓を誘拐しにくるなんてビックリだ。
(攫ってどうする心算だろ?)
こてんと首を傾ぐ。
いくら怜が気に食わないからと言って、ここまでする彼が理解できない。
尚人が脅したい相手は病院に救急搬送されている。梓を攫った所で意味がないように思えて小さく唸った。尚人の意図が読めない。
(事故は、偶然だった?)
今度は反対側に首を傾いで、眉を寄せる。
怜の事故を知らなければ、この誘拐もあっておかしくないかも知れない。怜の現状が分からないので何とも言えないけど、尚人の計画が徒労に終わる可能性も有る。そうなった時、梓が無事に解放される保証はない。
(もおいいわ。さっさと帰れ、な~んて事には、ならないよねぇ……はぁ。怜くんがダメならあたしで溜飲を下げる、ってパターンだって考えられるし。それ、死んでもヤだな。……死にたくないけど)
尚人の絡み付くような眼差しを思い出して、梓は小さく肩を震わせる。
しかし。
絶妙なタイミングだった。梓がビルの外に出ることを予め知っていたように。
他の誰かと間違えた、なんて事はほぼないだろう。
(そもそも、事故自体が出まかせだった……?)
そんな事に思い至って梓が唸ると、右隣から舌打ちが聞こえた。
(誘拐されてるんだから、唸るくらいいいじゃんさっ。泣き喚いたり、暴れたりされるよりは、断然扱いやすいと思うのよね)
誘拐されといてこの開き直りもどうかと思うのだけど、粘着テープで塞がれた唇を可能な限りで尖らせる。
ガードが堅くなった梓を誘き出すための罠だったら、まんまと引っ掛かってしまった訳だけど。
(でも。旦那さんが事故に遭ったって連絡来て、慌てなかったら嘘だよね。一応新婚なんだし。……うわっ。姑息!)
聞きたいことは山ほど有るし、腹も立っているけど、微かに希望が見えてくる。
(もしかしたら、怜くんは無事かも知れない)
救急搬送されたとしか分からなくて、怜の状態は分からないと言われた。
まず最初に、病院に確認を取るべきだったと今なら思う。
事故に遭ったと聞いて、パニックに陥った自分が呪わしい。挙げ句に拉致されるなんて、最悪だ。
とは言え、事故で亡くなった両親のことがオーバーラップし、冷静で居るなんて無理だった。事故後の抜け殻になった梓を知っているから、普段は冷静な筈の由美も慌てたのだろう。
どのくらい走ったのだろうか。
車が徐行し、不意に停まった。すると直ぐに引きずり下ろされ、再び肩に担がれる。
(なんなの、先刻からこの荷物扱いはッ!? 非常に不愉快だわ!)
女性扱いして欲しいなんて贅沢は言わないけど、せめて人間扱いして欲しい。これでは米俵だ。
かと言ってこの人たちにお姫様抱っこされるのは、もっと嫌だ。
暫くすると、エレベーターに乗ったようだ。目を塞がれているせいか、妙に重力を感じる。誘拐犯たちは直ぐにエレベーターを降り、歩いている。背後でスチールの扉が閉まる音がして、今度は階段を上がっているようだ。
何を面倒臭い事を思ったが、これもきっと場所を特定されにくくする為の工作なんだろうな、と何となくだけど納得している。
ドアチャイムの音。暫く待つと開錠音がし、「やあ。いらっしゃい」とまるで客を招くような明るい尚人の声がした。
由美が梓の声で振り返った時には、彼女はガタイの良い男に担ぎ上げられていた。戦慄が走った後の粘膜を焼くような激痛。
酷い涙と咳きに襲われた。
通行人が声を掛けてくる。
梓と一緒にいながら、何もすることが出来なかったばかりか、攫われてしまった不甲斐なさに、催涙スプレーの痛みではない涙が零れる。激しい憤りと後悔を感じていた。
翔も怜も、由美を責めなかった。それが余計に辛い。
白昼堂々の誘拐劇は目撃者も多く、直ぐに警察が動いた。
けれど二人は警察を当てにしていない。
二人の目付きがやたら剣呑だ。
翔がどこかに電話していた。その内容を聞いていて、相手が誰なのか分かってしまった由美は、これから起こるであろう阿鼻叫喚地獄に身を強張らせる。
翔を本気で怒らせてしまった尚人の自業自得とは言え、些かの同情は禁じ得ない。
恐々と二人を見遣って物言いたそうにしている由美に、「司法の処罰なんて、生温いことする訳ないだろ」とガチギレしている翔は、まさに魔王降臨の様相を呈していた。
尚人の元に連れて来られると、目隠しと口のテープは剥がされ、最初に言われたことは、今のところ梓に危害を加える心算はないらしい。
誘拐も一応、立派な危害だと言い掛けて、止めた。尚人の気が変わったら困る。
一見、普通のマンションのリビングだ。
梓をここに連れて来た三人の男たちは、今はここに居ない。廊下の方で話声がするから、出て行ったりはしていないようだ。女だと侮って尚人と二人きりにされているのに、少々イラっとする。
梓はソファに座らされ、ムスッとして向かいでコーヒーを飲む尚人を睨めつけている。
「ちょっとお訊ねしますが、怜くんが事故に遭ったって電話」
「あれ。嘘だよ。あんたを誘き出すためのね」
悪びれずに言われ、「やっぱりかぁ」とぼやいてしまう。
(なんでもっと慎重にならなかったかな~ぁ)
それでも、怜が何ともないと分かって安堵する。
梓の取った行動で、怜や翔の足を引っ張ってしまうのは、非常に居た堪れないけど。
由美だってきっと傷付いている。
がっくりと頭を垂れて悔恨の溜息を吐き、再び尚人に目を遣った。
「あたし攫ってどうする心算ですか?」
単刀直入過ぎたか、と思わないではない。尚人は眉を聳やかせ「保険」と一言言って、ジロジロ舐め回すような視線を向けてくる。
(保険って、言い変えたら人質ってことだよね? 怜くんに来て欲しいような欲しくないような……)
複雑だ。
怜を呼び出して、何をするつもりなんだろう?
訊き出そうと梓が口を開きかけると、尚人の方が少し早かった。
「こんな女の何処か良いんだ?」
失礼な物言いに、不愉快をあからさまに顔に出すと、尚人が鼻であしらう。
「何をトチ狂って……まだカミングアウトしてないのか?」
「あたしに訊いてます?」
「他に誰がいる」
威丈高な言い方にカチンときた。何とかしてこの男を凹ましてやりたい。
でもどうしたら危害を加えられないまま、凹ませる事が出来るだろう。
「大学の時に、家族にはカミングアウトしてるみたいですけど」
取り敢えずそれだけ言う。
尚人の顔は、だったら何で? と言いたげだ。
(それはあたしも知りたい。基本、ゲイなのは変わらないと思うのよ。そこに食い込んだあたしって? とか思うしね。長年一緒にいたから、情が湧いた?)
むーんと考え込んでいると、背凭れに肘を着いて足を組んだ尚人が、こっちを見ていた。底意地悪い笑みを浮かべている。
きっと尚人も梓を凹ませようとしているに違いない。彼女は眉間の皺を深くして、掛かって来いとばかりに睨み据えた。
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