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8. 梓、一難去ってまた一男(難)…!?
梓、一難去ってまた一男(難)…!? ⑬
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城田の一件があって、翌日には軟禁解除にはなったけど、通勤は常に怜と一緒と条件が付いた。妊婦には電車はキツいから正直有り難いと思うけど、怜は今までよりも早く出勤することになったし、梓の帰りが遅くなった。でも彼がそうしたいと言って引かないのだから仕方ない。
ところがここに来て何の説明もなく突然、今度は一人での外出が一切禁止になった。
パソコンのキーボードを叩く手がふと停まり、また行きすぎた過保護にうんざりした溜息を吐く。
今回は怜だけじゃなく、翔まで声を揃えるから、何かしらの理由はあると思うのだけど、説明くらいあってもいいと思う。でなければ、しわ寄せが行く由美と清香に申し訳ないじゃないかと、梓は一人で憤慨していた。
由美は訳知り顔で『気にしない気にしない』と言うだけだし、清香は清香で『今は普通の状態じゃないんだし、きっとこの暑さで倒れたら困るからですよ』とそれらしいことを言っていた。
確かに “熱中症で倒れた” なんて話が毎日のようにニュースで流れてはいるけど、ちょっとそこまでの距離で、心配するほどのことかと思う。
(あたしに何かあったら、赤ちゃんにダイレクトに響くって言われたら、そうなんだけどね。にしたって過剰でしょ。どう考えたって)
ランチにも出して貰えず、朝も早くから怜がお弁当を作っていると言うのは、如何なものか?
(怜くんのご飯は美味しいから文句ない! けど女として問題ありだッ。あたし!)
けどどうしても起きられない。
妊娠してから、出勤時間に合わせて起きるのも辛い毎日なのだ。元々寝起きはよくないのに、輪を掛けて悪化中。
(怜くんは無理しなくていいって言ってくれるけど、妻として……つ、妻だって。あたしってば……あたしってば……く~ぅ……ハズい)
誰が聞いている訳でもないのに、一人で勝手に恥ずかしがって身悶えている梓に、正面の清香が「暑い日が続いてますもんね」と気の毒そうな眼差しを送って来る。
寧ろ気の毒なのは、事務所に詰めている面々だ。
梓がいるからエアコンの温度設定が高めになっているため、外回りから帰った営業が一番可哀想な事になっているかも知れない。それでも誰一人文句を言わない……否。言えない。翔と怜が怖くて。
梓一人のせいで頑張ってるみんなが可哀想な目に遭っていて、連帯責任者の部屋で仕事をしようかと提案をしてみたけど、怜が梓にかまけて仕事をしなくなると全体一致の否決を食らった。怜も否定しなかったし。
PC画面の右下の時計を見ると、じき十五時になる。
梓は席を立ち、ロッカールームに向かった。ロッカーのバッグから財布を取り出し、スタスタとエレベーターに向かう。
「梓さん何処に行くんですか?」
「ちょっとコンビニ」
受付嬢の滝本にそう答えると、タイミングよくやって来たエレベーターに乗り込んだ。滝本の「ダメですってばッ」と悲鳴に近い声を全部聞き終わる前に、自動扉が閉まり静かに下降して行く。
数軒先のコンビニに行くくらいでは、熱中症になる訳ないのに、会社全体が梓に過保護過ぎるのは、翔と怜の教育の賜物だろう。
(ホントどんだけよって話よね)
代表一の妹で、代表二の嫁なのは間違いない事実だけど、梓は梓だ。行きたければ行く、と良く解らないワクワク感に表情が緩む。
久し振りの解放感に、ご機嫌でコンビニの冷凍庫を開けた。中のアイスをせっせとカゴに入れていると、後ろから忍び笑いが聞こえて「すみません。邪魔ですね」と少し脇にズレる。笑っていた人物は「凄い量ですね」とカゴの中を見た。
「そ、そうですよね。あの。欲しかったもの、この中に有ったりします?」
「う~ん。この中には、ないかな」
そう言ってじっと梓を見詰めてくる。目が合った瞬間、ゾクリとした。
三十代後半と思われる男の舐め回すような不躾な眼差しに、嫌悪感が沸き上がる。
(もしかして、超ヤバ気な人……?)
梓は慌てて目を逸らし、人数分のアイスをカゴに入れて立ち去ろうとし、目の前を立ち塞がれた。相手を見上げ「通して下さい」と躱して脇を通り抜けようとするのに、また塞がれる。
(冗談にしても質が悪くない?)
むうっとして相手を睨めば、楽しそうに喉を鳴らす。梓がどう言う心算なのか詰問の声を上げようとした時、目の前の男の肩を乱暴に引っ張る怜の姿が目に飛び込んだ。
「おや。怜のお出ましか」
眉を聳やかせ「残念」と呟く。そんな彼を相手にもせず、怜は梓の腕を取った。
「行くよ」
「え? あの、怜くん? 知り合い? 良いの?」
「いいからッ」
怜に引っ張られてレジに向かった。後ろから纏わり付くようなクスクス笑いが追い駆けてくる。
「紹介もしてくれないなんて、釣れないなぁ」
そう言って怜の肩にしな垂れかかり、梓の顔を窺った。
「俺ねぇ、コイツの元家庭教師」
「聞かなくていいからね」
怜は身を捩って男を払い、会計を済ませて渡されたビニール袋を手にすると、不愛想な顔で手を引っ張り歩き出した。梓は疑問符を浮かべながら、目は怜と男の間を往復させる。
「なんだよ。お互い隅々まで知り合った仲だろ?」
意味深な含みを持った言葉に、梓が男を見返した。すると取って付けたような笑みを浮かべる。陰湿なものが絡みつくような、嫌な感じしかしない。
怜が梓をぐんと引っ張って、頭を抱え込むまでの僅かな時間。梓の耳に飛び込んで来た言葉は「怜の童貞食ったの俺だよぉ」と神経を逆撫でする声。彼女の身体が強張ったのを、怜はすかさず感じ取ったようだ。
見上げた怜の顔色は蒼白いのに、双眸には怒りが揺らめいている様に見える。対して男の顔には喜色が浮かんで、歪みを感じた。
危険だ。直感でそう思った。
抱き上げられ、怜は足早に会社に向かう。梓は男の顔をこれ以上真面に見ることが出来なくて、怜の首にしがみ付いて肩に顔を伏せた。
刺さるような視線を感じる。
梓が腕に力を篭めると、怜の手が軽く背中を擦った。
コンビニから会社までの距離は僅かなのに、酷く遠くに感じる。
怜はビルの中に入って来た男を振り返ると、凍り付きそうな視線を向けた。
「これ以上付いて来るなら、警備員呼びますよ?」
「おっと。面倒は勘弁」
お道化た口調。本当はコレっぽっちもそんな事思っていないのだろう。
彼は揶揄って愉しんでいる。
出会って数分で分かってしまう彼の歪みに、梓は嫌な汗を掻いていた。
エレベーターに乗り込み、自動扉が静かに締まっていくのを感じて顔を上げると、梓の顔を見た怜が大きな溜息を吐く。
「どうして言う事を素直に利けないのかな?」
怒りよりも、諦めの篭った口調で梓を窘める。そして彼女を抱き締めた腕にぎゅっと力を篭め「無事で良かった」と安堵の声を漏らした。
もしかしたら、彼が原因で外出禁止と言っていたのだろうかと、思い至る。
それならば解る。
僅かな時間のことではあったが、身の凍る思いと言うのを体感した。
八階フロアに到着すると、怜は買って来たアイスを受付に預け、「みんなで食べて」と言い置いて彼の部屋に向かった。
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