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8. 梓、一難去ってまた一男(難)…!?

梓、一難去ってまた一男(難)…!? ⑫

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 帰社するや真っ直ぐ翔のオフィスの扉をノックした。
 返事がするや否や、脇目も振らず翔のデスクに近寄る。翔が目を見開いて「どうした?」と聞くくらいには、怜の血相に只ならない物を感じ取ったようだ。
 怜はデスクに両手を着き、身を僅かに乗り出して翔の顔に見入った。

「尚人さんに会った」

 そう言うと翔の顔が瞬く間に渋面になる。そして苦々しい溜息を吐いた。

「それで? 尚人さん何か言ってたのか?」
「ああ。……アズちゃんのこと、知ってた」

 躊躇いがちに言うと、翔の顔がうげっと歪んだ。彼も尚人には良い思い出がない。

「悪い。僕のせいだ」

 尚人との会話を包み隠さず翔に話すと、デスクに肘を着き組んだ指に額を預けて深い溜息を吐き出した。
 尚人が梓に興味を持っていることが、何より心配な事案だ。
 怜と梓が結婚していることまで知っているかは定かではないが、『ヘテロのフリしやがって、面白くねえヤツ』と言っていたのが、妙に引っかかる。尚人を愉しませる気は微塵もないが、油断は出来ない。

 AZデザイン事務所のことを尚人は知らないはずだが、彼がその気になったらすぐにでも調べが付くだろう。彼にはそれだけの伝手もコネも有る。誰かにちょっと聞いただけで必要な情報を手に入れる事は容易い。

 偶然見つけた怜に、声を掛けてきただけなら問題はない。
 けど、それだけではないと何かが訴える。
 ただ久し振りだからと声を掛けるような人間ではないことは、怜が一番知っていた。



 彼、辻堂尚人と初めて会ったのは、怜がまだ中学二年の時だった。
 尚人は南条の本社人事部長の息子で、国立一期のトップ大学に現役合格し、彩織の家庭教師に抜擢されて家を訪れた。

 柔和な笑顔を浮かべ、ウィットに富んだ会話で場を和ませ、細かいことにまで気の利く彼は、家人にはすこぶる受けが良かったが、怜には能面のような笑顔にしか見えず、嘘臭い彼から距離を置いて接していた。

 しかし、状況と言うものは常に変動する。
 中学二年の秋、彩織だけではなく怜の家庭教師もお願いしたと、母凛子に言われた時は、背筋に冷たいものが伝い落ちた。
 尚人と同じ空間にいたくない、それだけの理由で真っ直ぐ帰宅しなくなり、散々凛子には怒られたが、やっぱり部屋に二人きりは無理だとしか思えず、友達の家や繁華街をほっつき歩くことが増えた。旨いこと補導員からは身を躱していたのに、ある日とうとう尚人本人に捕まり、家まで無理やり連れ帰られた。

 怜に本性が見破られていたことは解っていたようだ。部屋の鍵を閉め、尚人は薄く仄暗い笑みを唇に這わせると、彼の豹変に驚きもしない怜をどんどん壁際に追い詰めていく。
 背中が壁に押し付けられ、怜は微かに眉を寄せた。

 この頃の怜はまだ身長が百六十ちょっと。空手をやっていたから筋肉質ではあったものの、線はまだまだ細く、尚人の百八十近い身長と、ほぼ男として完成している彼に力で敵うはずもなかった。
 制服の肩辺りを掴んだ腕が喉元をぐっと押さえ、怜を壁に押さえ込む。尚人は盲めっぽう暴れる怜の鳩尾に重い一撃を食らわせ、不覚にも膝を着いた怜を蔑んだ目で見下ろす。

「社長の息子ってだけで、目上の者に対しての態度が横柄なのは頂けないなぁ。そう思わないか? 怜くん」

 尚人はペチペチと怜の頬を叩き、唇を笑みの形に歪ませる。

「君みたいな子を従順にするには、どうしたら有効だと思う?」

 虫が這うようなザワザワする指先の動きに顔を顰めると、尚人は嗜虐的な愉悦を浮かべる。
 反抗的な怜の顎をグッと持ち上げて、彼は視線を合わせて来た。

「君が俺から逃げている間に、ご家族の許可を得てこの部屋をリサーチさせて貰ったよ」
「なっ……」
「そしたら面白いことが分かったんだ。……怜くん君、ゲイだろ?」

 ドキッとした。
 この頃、級友たちの下ネタに適当な相槌を打ちながら、彼らの様に女の身体に興味を持つことが出来なく、寧ろ男に性衝動を覚えている自分は、間違いなくゲイなんだろうと、はっきり自覚したばかりだった。
 隠しきっていると思っていたのに、まんまと言い当てられ、瞠目する怜を愉快気に眺める尚人。

「ネットの閲覧履歴消したくらいで、安心しちゃダメだよ? 俺みたいな奴が、穿り返してでも見ちゃうからさ」

 喉をくっくと鳴らして、小馬鹿にする尚人を睨みつける。けれど彼にしてみたら、虫に刺されたほどにも感じていない。悔しさに唇を噛む怜の顎をガッチリと鷲掴んで、ニヤリと笑った。

「跡取り息子がゲイとかって、ウケるんだけど。社長、可哀想にね。怜くんの為に盤石にしようとしてるのに、親の心子知らずとはよく言ったもんだ」

 彼の言葉に心臓が凍り付くかと思った。それを悟られまいと必死に平然を装うも、思考は緩慢で纏まらない。
 怜が跡を継ぐと信じて疑わない両親に、知られる事だけは避けたかった。
 けどどうしたら良いのか分からない。
 尚人の目的が何なのかも。
 彼の目が昏く光ったように見えた。
 知らず身を固くする怜を眇めた目で見、彼を引っ張り上げる。無理やり立たされた怜は、尚人の力に負けて突き飛ばされた。
 ベッドの上に軽くバウンドした怜を見下ろし、上に跨って来る。

「閲覧履歴ぐらいじゃ、脅すにはちょっと弱いと思わないか?」
「な、何するんだよ!?」
「何って? そりゃあ、言い訳出来ないようにするに決まってるだろ?」

 尚人の顔が歪に笑い、恐怖に顔が引きつった。彼の指が制服の上から股間を弄り、ニヤリと笑う。人から施される刺激に不慣れなソコは、怜の意思とは全く違う反応を見せた。
 嫌だと思うのに、手慣れた指使いに翻弄される。

「君は秘密を守るために、俺に従わざる得なくなる」
「ふ、ざけるなッ!」
「とんでもない。大真面目だよ? …ああ。安心していいよ。俺がウケだから。怜くんを下手にウケなんかにして、レイプされたなんて逃げ口上、使わせないからね? 君には俺の中で気持ち良くなって貰うから」

 目の奥が少しも笑っていない笑顔に寒気がする。
 悪魔だと、思った。
 怜が逆らえないと知った上で、巧みに与えられる快楽。そしてそれに抗えない。
 怜は自分を殺したくなる。
 この支配と言う名の快楽は、怜が高校に入るまで続いた。
 その後、怜の高校入学と尚人の就職で互いに多忙を極め、このまま自然消滅するのを待つばかりだった。

 一年半で分かったのは、尚人がやたらと怜との繋がりを求めて来る時は、恋人と上手く行っていない時だ。喧嘩する度に慰み者にされる方は堪ったものじゃない。
 特定の相手がいる訳じゃないが、いい加減うんざりしていた。
 もういっそバレてしまった方が楽なんじゃないかと、最近心の底から思える。跡取りは姉のどちらかが婿を取ればいい。

 尤もこれを実行するのは、大学に入学してからだったが。

 新しい環境にも慣れた。
 空手部内でレベルが近い翔と組んで乱取りするようになり、翔が怜の容姿に無頓着であることから仲良くなった。
 この頃、女顔を馬鹿にする輩や、アプローチしてくる女子生徒に疲弊していたから、翔の存在は大きいものだった。初めて居心地のいい相手と巡り合えたが、まだ友人枠から脱していない。
 一緒にいるだけで良かった。
 それだけで幸せで、だから失念していた。
 翔と二人、夏休みのバイトに明け暮れていたある日、すっかり忘れていた存在が目の前に立ちはだかる。
 にたりと底冷えする笑顔の尚人に、怜は心の底からの殺意を麗しい面に滲ませた。

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