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8. 梓、一難去ってまた一男(難)…!?

梓、一難去ってまた一男(難)…!? ⑩

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 出勤途中で怜から電話が入った時、由美はやっぱりかと嘆きの溜息を吐き出した。

 無茶をしたとは思いたくないが、念のために確認してみると、電話を代わった梓はピンピンしていた。由美は安堵に胸を撫で下ろす。
 すぐに怜に取って代わられた電話口に向かって、大仰な溜息を吐くしか出来なかった自分を情けなく思いながら、由美は疲れ切った足取りで出勤した。
 志織が到着次第、出勤するとは言っていたけど、本当に困った奴だ。

 怜は普段より一時間近く遅れて出勤して来た。
 今日一日の行動予定をチェックする。今のところは内勤、午後から一件来客が有るようだが、これなら説教する時間は取れそうだ。
 果たして由美は怜のオフィスに乗り込むと、どっかりとソファに腰を据えた。
 怜は鬱陶しそうな顔をするが、知ったこっちゃない。

「れーい。ここにお座んなさい」

 由美が目の前のソファを指定した。しかし怜はそれを無視して作業を続けている。彼女は鼻で嘆息し、早々に諦めて話し出した。

「先ずは最初に謝っとくわね。城田さんのこと黙ってて悪かったわ」

 怜がピクリと反応して、チラとだけ由美を見た。取り敢えず話はちゃんと聞いているのを確認し、そのまま続ける。

「確かに城田さん、アズちゃんを気に入っていたけど、あんたが勘ぐるようなことは何もないわよ? 例の写真だって初めてあった時に、偶々撮ったみたいだし」

 由美は持参した麦茶で口を潤すと、無視し続ける怜に意地悪な笑みを浮かべる。

「一目惚れ、だったそうよ」

 どっちが、とは言わない。案の定怜が鋭い目を向けてきた。

「逃げを打たれないように、ジワジワ押しまくるつもりだったんですって。相手に配慮しながら断られない様に、次に会う日を確約するんだから、かなりの本気度だったわね。だからあたしもついつい絆されちゃったのよね、あの時」

 ニヤッと笑って、血の気の引いた怜の顔を見た。唇を戦慄かせて由美を睨みつけている。

「何が言いたい?」
「あんたと翔の異常なくらいな過保護は、傍から見ていて可哀想だったって事。だからあたしがアズちゃんの背中を押したのよ」

 背凭れに踏ん反り返ってそう言うと、怜は目を眇めて舌打ちする。

「余計な事を」
「うん。余計な事したと今では思ってるわ。あたしが背中押さなかったら、あんただって馬鹿な事しなかったかも知れない。結果、アズちゃんを傷付けることなかったかもって思う」

 由美は悔恨の溜息を吐き、正直な気持ちを吐露した。

「出来ればね、あたしは城田さんとくっ付いて欲しかったのよ」
「なっ!!」

 眦を釣り上げた怜が、デスクに手を着いて立ち上がった。悪鬼の形相で睨む彼を鼻であしらう。

「だってそうでしょ。初めて彼に会った時、恋愛に不慣れなアズちゃんを本当に大事にしてたもの。アズちゃんだって満更でもなかったようだし?」
「僕だってずっと大事にして来た!」
「狭い世界に閉じ込めてね」

 怜の反論に抉る言葉を投げかける。言葉に詰まり、二の句が継げないでいる怜の身体がわなわなと震えるのを、何の感慨もなく眺めながら由美は言を継ぐ。

「城田さんは、アズちゃんを解放してくれる人だと直感したのよ。あんたも見たでしょ? ポートレート。アズちゃん凄く自由じゃなかった?」

 怜は一瞬目を瞠って由美を見ると、悔し気に唇を噛んで俯いた。肩を震わせているのを眺めていたら、由美は自分が大人気ない気分になって来て、ちょっと遣る瀬無い。  
 翔や怜をイジメて遊ぶのは嫌いじゃないけど、傷口を抉って塩を突っ込む所業は趣味じゃない。しかしこの男に関して言えば、一度は捻じ込んでやらないと、囚われたままの梓が可哀想ではないか。

 囲い込んで愛でるのも愛情かも知れない。
 けどその歪みに我慢の限界が来たら?
 子供の頃から知っている梓が、生きながら死んでいくのは見ていられない。

「あんたたちと正反対よね」
「……」
「そんな人に惹かれたって仕方ないと思わない?」

 怜が弾かれるように由美を見、身を投げ出すように椅子に腰を落とした。力なく項垂れた怜が今何を考えているか分からない。
 由美は暫らく怜の様子を窺った。
 怜は顔色を悪くしたまま身動ぎもしない。
 そろそろ頃合いだろうか?
 あまり時間が経ち過ぎると、怜のことだからまたとんでもない方向に矛先が向くかも知れない。そうなったら可哀想なのは梓だ。
 救済措置は必要だろうと、苦笑を浮かべて怜を見た。

「けど、太陽みたいな人に憧れはしても、実際に恋したのは怜だってんだから、アズちゃんも尽々Mっ子よね」

 クスクス笑ってそう言うと、怜がのろのろと顔を上げ、きょとんとした眼差しを向けてくる。

「……え? 先刻の一目惚れの下りって……え?」
「誰もアズちゃんなんて言ってないわよ?」
「な、んだ。そっか」

 あからさまに安堵の表情を浮かべ、怜が溜息を吐いた。普段は憎らしいことこの上ない男の緩んだ顔に、梓は凄いと思ってしまう。
 今頃家で何をしている事やら。
 由美は麦茶で唇を湿らせ、話を続けた。

「この間、城田さんに会っていたのは、家出でなあなあになった事のケジメ着けたいってのと、個展の中止をお願いしに行ったのよ。そもそもアズちゃんの無事を確認するためのものだったから、行かない選択はなかったの」

 安堵から不服そうな表情に変わったが、彼の口から文句は出てこない。由美はよしよしと頷く。

「因みに収益金は、自然保護団体に寄付することになってるからね」 
「あぁ…アズちゃんがそれでいいなら……って、写真どうなるの!? まさかアイツが梓の写真を保管する訳じゃないだろうね?」
「それ訊いてないわ。でも普通はカメラマンが保管するんじゃない?」
「ネガ毎回収しないと!」
「……怜。あんたって」

 だんだん馬鹿らしくなってきた。
 この男の独占欲は、一朝一夕ではどうにもならない。いや。一生無理だ。恐らく。
 とは言え、軟禁だけは止めさせるべく、由美はまた滾々とお説教を始めるのだった。



 由美に説教を食らって若干反省した怜が帰宅すると、姉が増えていた。しかも三人は非常に楽しそうに夕食を摂っていて、軟禁も梓にとっては些末事なのではないかと思ってしまう。
 怒られた自分が不条理な目に遭った気がして、苦虫を噛み潰したような顔でテーブルを囲んでいる三人を眺めていたら、梓がニコニコしながら「お帰りなさぁい」と立ち上がった。
 怜の鞄を受け取り、スーツの上着を背後から脱がせる。その手慣れた感じに姉二人がニヤニヤした。

「なに?」

 眉を寄せて姉たちを見る。口を開いたのは彩織だ。

「あんた亭主ぶって、いつもそんな事させてるの?」
「そんな事?」

 意味が解らず首を傾げると、彩織は怜の背後でやっぱりきょとんとしている梓を見る。

「梓ちゃんに鞄持たせて、上着脱がして貰ってさあ」

 やだやだと独り言ちる彩織。すると梓が「えっ⁉」と声を上げ、志織と彩織が何事かと彼女に見入った。

「これって普通じゃないんですか⁉ 両親はいつもそうしていたから、それが当たり前だと思って、兄にもずっとしてました。怜くんがうちに来てた時も」  
「僕も何にも疑問に思ってなかった」

 翔と共にスーツを着だした頃から、梓は当たり前の様に遣っていた。翔も当然のことだと思っていたようだし、ニコニコ笑った梓に「脱いで下さい」と言われたら、何となく嬉しかった。梓にしてみても、亡くなった母親と同じことをするのが、楽しそうだったので、疑問に思う事が全くなかったのだ。
 梓は「そうなんだぁ」ヘラっと笑って「でもこれが普通だから、今更だよね?」と同意を求めて怜を見上げる。彼が頷くと、梓は笑みを深くした。

 やっぱり梓は周囲が考えるほど、軟禁状態を深刻に受け止めていないように見える。
 怜が相手だから、諦めているだけだろうか?
 多分そうなんだろう。

 梓に着替えをせっつかれ、二人で寝室に向かった。
 脱いで手渡したスーツのポケットを確認し、梓はクリーニング用の篭に丁寧に入れる。怜だったら適当に放り込むところだ。
 この当たり前だと思っていた光景が、当たり前ではないんだと知った。

(アズちゃんに大事にされている、って事なんだろうか? やっぱり)

 顔が自然と緩んでくる。

「アズちゃん。僕のこと愛してる?」

 気分が良くなって、カッターシャツを脱ぎながら訊いてみた。梓は一気に顔を赤らめ、目を見開いたまま怜に見入っている。

「ねえ。どうなの?」

 畳みかけながらにじり寄る怜に後退り、目を逸らした彼女にもう一度訊く。

「僕のこと、愛してる?」

 カッターシャツを篭に放り投げる。それを目で追った梓を腕の中に収めると、裸になった胸に両手を押し当て、「当たり前でしょ」と照れ隠しなのかつっけんどんに返された。それがちょっと不服で口元を歪めると、梓が見上げてくる。

「じゃなきゃ怜くんの赤ちゃん、産もうなんて思わないでしょ?」
「だからねえ。愛してる? 僕は物凄く愛してるんだけど」

 遠回しな言葉じゃなくて、ちゃんと欲しい言葉で返して欲しい。
 梓を軽く持ち上げて、左右にぶんぶん振ると「ひゃっ」と短い悲鳴を上げ、観念したように口を開いた。

「あ、愛してるッ! 愛してるから、下ろしてッ!」
「それ何か違う」
「じゃあ何て言えばいいの!?」
「愛してるだけで良いのに」
「もお! ……愛してるよ怜くん」

 だから下ろして、と余計な言葉も聞こえたが、妊婦をそういつまでも振り回すわけにもいかず、梓を下ろす。床に足が着いて安堵する梓にもう一つ聞いてみた。

「僕と城田、どっちを愛してる?」

 馬鹿な質問をしたと思う。梓は眉根を寄せて、上目遣いに睨んできた。

「どおゆー心算で訊いてるの!? そんなの怜くんに決まってるじゃん!!」

 睨んでいるのに、目に涙が滲んでいる。
 意地悪い事を訊いたと反省しつつ、まだ腕の中にいる梓の顎を持ち上げ、引き結んだ唇にキスを落とした。

「ごめんね? 意地悪言った」
「意地悪過ぎるよ。さすがに今のは」
「うん。ごめんね。梓が好き過ぎて、歯止め利かなくなってごめん。家に閉じ込めてごめん。大事にするから、僕とずっと一緒にいて?」

 言っていて泣きそうになる。
 梓が特別なんだと自覚してからと言うもの、感情の起伏が激しくていけない。

(でも、放すつもりはコレっぽっちもないけどね)

 梓の唇を啄み、ほぼ無意識にスカートをたくし上げる。すると彼女は怜の尻を抓り上げ、「早くシャワー浴びてらっしゃい」と三白眼で睨み上げてきた。

 そして怜はすごすごと浴室に向かうのだった。

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