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8. 梓、一難去ってまた一男(難)…!?
梓、一難去ってまた一男(難)…!? ①
しおりを挟むそこに顔を出したのは、近くに用事があったのと、久し振りに師匠の顔でも拝んでいくかと単なる気紛れ。
フォトグラファー本郷慎太郎、通称タロさんのスタジオにひょっこり顔を出すと、同じくタロの愛弟子、三嶋美空ことCooが兄弟子の城田要二の顔を見て、ほんの一瞬だけ気不味そうに顔を歪め、取り繕うように微笑んだのを見逃さなかった。
一瞬一瞬のチャンスを切り取り、記録に残すカメラマンだ。
スタジオの端っこでディレクターズ・チェアに腰掛けるタロと、向かい側に座る男の姿を見止める。来客中だったかと、手土産に持って来たタロの好きな和菓子を美空に手渡すと、彼女は「事務所に行こうか?」を城田の腕を引っ張った。
美空に促され、踵を返した城田の足を止めたのは、頓狂な声を上げたタロだ。
「アズちゃんが妊娠ッ!?」
忘れようとして忘れられないでいた名前と予期せぬ言葉に、城田は思わずタロを振り返った。彼の腕を掴んだ美空が天を仰ぎ、「あ~ぁ」と呻く。チラと美空を見て、すぐにタロに視線を戻した。
「城田さん。事務所行きましょ?」
美空に腕を引っ張られても、そこから動くことが出来ない。
梓は昨年、突然姿を消したと周囲から聞いていた。彼女が戻って来たとは聞いていないし、その彼女が妊娠したなんて俄かには信じ難い。
頭の中に疑問符ばかりが浮かぶ。
そんな城田に気付くこともなく、タロは訪問客、怜に話の続きを促した。
「で、今回の失踪理由は何だったわけ?」
半ば呆れ混じりの笑みを浮かべるタロに、怜が乾いた笑いを漏らす。
「お天気が良かったからつい、だそうです」
「…はい?」
ポカンとした面持ちで聞き返したタロ。
何だかあまりに梓らしい失踪理由に、城田もポカンとしてしまった。
「マリッジブルーにマタニティーブルーが重なって、青空見たら衝動的に遠出したくなったらしく、新幹線に乗ったみたいです」
全部投げ出して、遠くに行きたくなる気持ちはよく分かる。しかしそれを行動に起こす人はそう居ない。
(彼女をそうさせたのがマリッジブルーとマタニティーブルー……?)
城田が美空を見下ろすと、観念したように頷く。
美空は梓が戻っていたことをとっくに知っていて、城田には黙っていたという事だ。彼女を詰る言葉が喉まで出かかって、ぐっと飲み込んだ。
美空だって悪気があって黙っていた訳じゃないだろうから。
城田は苦し気に眉を寄せ、タロの向かいに座る男に目を凝らした。
「それでこのお土産な訳だ?」
テーブルの上に並べられた地酒と饅頭にタロが苦笑する。
「そう言うことです」
「で。肝心の彼女は落ち着いたの?」
「お陰様で。彼女も色々と考えすぎていた様ですけど、緑に囲まれた所でのんびり温泉浸かって、リセット出来たみたいなので。結果的には、アズちゃんのお陰でいい旅行になりましたよ」
弾んだ声が苛々する。
この男から梓の話を聞こうとは。
城田の目の前から梓を攫って行った男。
あの日を境に梓の態度が変わり、忽然と姿を消した。
ちゃんとした理由を教えて貰えず、一方的に拒絶され、最後に残った記憶は彼女の泣き顔。
きっと今もの凄く醜い顔をしている。隣で城田を見上げる美空の様子からも窺えた。
城田の射殺しそうな視線に気が付いたのだろうか。二人がこちらを振り返り、タロが手招きして城田を呼ぶ。
袖を引っ張って城田を止めようとする美空の蒼白な顔。彼女の頭をポンポンし、彼はタロに呼ばれるまま近付いた。
怜に紹介され、斜に構えて軽く頭を下げる。すると怜がしげしげと城田に見入った。
「どこかでお会いした事ありましたか?」
そう訊かれて、所詮そんなもんだろうと、やたら綺麗な男に口端を歪めて笑い返す。
「初めてだと」
短くそれだけ言った。嘘を吐いた城田を怜は訝しそうに見、「そう?」と首を傾げ、ジロジロと見る彼は何か引っ掛かっているらしい。
仮にも『殺す』と脅した相手を忘れているとは、何とも滑稽だ。
相手にもならないと高を括られているのかと思うと、腸が沸々とするが、タロに迷惑を掛けるのは本意ではない。
もう城田のことなど忘れた様に、怜は「それで本題なんですが」とタロに話しかけた。
「式の写真なんですけど」
「あ、うん。どうした?」
「本当は安定期に入るまで延期したかったんですけど、ちょっと無理そうなんで、出来るだけ負担掛けない様にお願いしたいんです」
「何か月?」
「二か月です。まだ分かったばかりで」
怜の締まりのないにやけ切った顔に吐き気がした。
心の中で舌打ちする城田に、美空が「もお行こう?」と心配そうに声を掛けてくれる。ここに居ても不快になるだけだと頷いてタロに手を上げると、彼も手を上げ返して頷き、城田は踵を返した。
背中越しに二人の声が聞こえる。聞きたくもないのに、耳が勝手に声を拾う。
「はあ。アズちゃんを連れ戻したと思ったら、速攻入籍して、次は子供だろ。忙し過ぎるよ。怜くん」
「付き合いが長い分、そこは早々に決めて行かないと、ねえ」
「クールビューティーの怜くんがアズちゃんを口説き落とすのに、三か月以上毎日隣りの県まで通い詰めたってのは由美ちゃんから聞いてたけど、どんだけ熱烈だよ?」
半ば呆れながら、それでもタロなりに怜を認めているのだろう。声が温かい。それに応える真摯な声。
「梓は掛け替えのない人だから」
「僕、絶対怜くんはゲイだと思ってたのになあ。外れだったか」
真剣に言った怜を揶揄うようにタロが返すと、一瞬妙な間が空いた。それから直ぐ、引き攣った笑いが聞こえる。
「はははっ。ヤだなタロさん。言っときますけど、アズちゃんの子は間違いなく僕の子ですからね!」
「分かった分かった。そうムキになるなって」
「なるでしょぉ。アズちゃんは本当に特別な子なんですッ」
二人のやり取りを遮断するように、城田は後ろ手にスタジオの扉を閉めた。こっちを見る視線に気付いて目を向けると、美空が「大丈夫?」と切なげに見ている。
「アズちゃんのこと、言い出せなくてごめんなさい」
深く身体を折って頭を下げる美空に掛ける言葉がない。
心配してくれる彼女には、何を言っても嘘になりそうだ。
心が冷えて行く。
(個展も…無意味だったか)
EverGreenと銘打ったその意味を、彼女に知って貰うまでもなかったようだ。
怜は梓を得るために形振り構わず動いた。
自分は、一縷の望みに縋り、彼女が気が付いてくれることを期待し、待ち続けた。
その差は歴然だ。
もう取り返せない。
梓は他の男のものになってしまった。
どうしてこんなに悔しいんだろう?
梓と歩く未来を失って悲しいのに、涙の一粒すら出てこない。
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