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7. 怜、果たして彼女は本当に自分を好きなのか?
怜、果たして彼女は本当に自分を好きなのか? ⑱
しおりを挟む屋上の展望露天風呂で星空を眺めながら、梓はゆっくりと滑らかなお湯に浸かり、ぼんやりとしていた。
最初こそは混浴がないとか、家族風呂がないとか文句を言っていた怜だったが、今は隣の男湯でのんびりと湯に浸かっているようだ。
都会の喧噪から離れて、田舎でのんびりと羽を伸ばす。
時間から解放されて過ごすのは、何年ぶりだろう。
星空の下で一糸まとわず、揺蕩うように湯に身を任せていると、自然と頭の中がクリアになっていく。身体から余計なものが全てこの清涼な空気に溶けだし、軽くなっていくようだ。
いろんな事を考えすぎていた気がする。
もっとシンプルに考えれば良かった。
隣の男湯から怜が声を掛けてくる。返事をしないわけにもいかなくて応えると、他のお客の生温かい微笑みに、羞恥で一気に上せそうになった。そこに怜が追い打ちを掛けて下さる。
「アズちゃん! お願いだから絶対に転ばないでよッ!?」
梓を見るお客のくすくすと忍び笑いが耳に痛い。
恥ずかしさの余り、湯当たりしたのかと思うくらい全身真っ赤になってしまう。
「分かってますッ!」
「なんかあったら泣くからねッ!?」
「分かってるから、お願い黙って!!」
知らない人が聞いたら、ただのバカップルだ。恥ずかしいことこの上ない。
心配してくれることは有り難いと思うけど、怜はこと梓に関しては、全方位完璧に恥も外聞もなくなる。過保護もここまで来るともはや病気だ。
泉質のせいで滑りやすくなっている床に注意を払いながら、一歩一歩踏みしめるように脱衣所に向かう。万が一にでも転ぼうものなら、今後出産するまで梓に自由はない。
(これはもお自信持って言える!)
出来ればこんな自信、持ちたくなかったけど。
梓の後から追うように来た客が、脱衣所に入った所で「ずいぶん心配性なんですね」と苦笑混じりに言って来た。彼女の目に若干の呆れを見て取って、放っといてよと思う反面、怜を擁護する言葉を探している自分に笑いが零れる。
梓は下腹に手を当てて微笑んだ。
「初めての子を授かって、気が気じゃないみたいで。五月蝿くして済みません」
「あ…そうなの? そ、それじゃ仕方ないわね。心配しても」
彼女はバツが悪そうに、自分の脱衣籠に行ってしまう。
ちょっと面倒臭そうな人だなと、微かに眉を寄せてバスタオルを手にする。
ふと視線を感じてそちらを盗み見た。するとチラチラと梓の様子を窺いながら、何か時間稼ぎをするように、手際の悪いことをしている。
首を傾げつつ支度を整え、荷物を手に出ようとして、つい悪戯心が顔を出した。
背後で彼女が動いたことを察知するや、くるっと踵を返して洗面台の鏡を覗き込んだ。まさかの行動だったのだろう。鏡越しに見ると一瞬驚いた顔をして、そこで梓を待っている訳にもいかない彼女は、やっぱり梓の様子を気にしながら出て行った。
(彼女に何かしたかな?)
いや。記憶にない。
怜に声を掛けられるまで、だらけ……もとい。大人しく湯に浸かっていた。
知り合いでもないと思う。
しかし。彼女の行動は不可解だ。
そろそろ良い頃だろうと、浴場を出た所で先ほどの彼女が立ち止まっていた。彼女は一点を注視し、凝固しているように見える。その視線の先を追うと、然もありなん。
湯上がりの上気した胸元がやや開け、色気ダダ漏れの怜ははっきり言って危険だ。梓ですら迂闊に見てしまうと、未だに身悶えるのに。
肝心の危険人物は梓の顔を見付けると、艶然と微笑んで立ち上がる。梓の目の前で立ち塞がっていた彼女はビクリと身体を震わせた。
罪な男だよと困った顔で微笑むと、怜は笑みを深くし「紅茶で良かった?」と彼女の横を通り過ぎる。彼の姿を追って振り返った彼女は、梓の顔を見て再び凝固した。
一瞬でも誤解させてしまったのは、彼女の様子からわかる。
(なんか、ごめんなさい?)
梓は少しも悪くないが、これまでの経験がそうさせる。
(この人が選んだのは何故だかあたしの様なので、憤りを感じるでしょうが、ホントごめんなさい)
そんな会ったばかりの人に、心の中で言い訳しても無意味だと思うけど、小心者な部分がそうさせる。
「アズちゃん?」
紅茶を差し出したまま受け取って貰えないでいる怜が、首を傾げて梓を見下ろしている。
ハッとして「ありがと」と受け取ると、彼の顔が俄に曇った。
「どうしたの? 上せた? 具合悪い?」
梓の様子が微妙なことに気付き、怜は彼女の頬を両手で挟み覗き込んでくる。それはもうキスするのではないかと言う近さで。
多分、怜はこちらをガン見するギャラリーに全く気付いてない。存在をこれっぽちも意識していないだろうな、と梓の方が居たたまれなくなる。
距離が近い怜の胸を押し遣って、困った笑顔を向けた。
「もお。心配し過ぎ」
「今のアズちゃんに心配のし過ぎって事ないからね? ちょっと目を離すと、また何かやらかしてくれそうで、本当怖いんだけど。今は特に大事な時期なんでしょ?」
薮蛇だ。返す言葉を完全に間違えた。
言葉に窮していると怜が「これ持って」と首に掛けていたタオルを梓に渡し、身を屈めると彼女の太腿に腕を回して、ひょいと抱き上げる。突然のことに慌てて彼の首にしがみ付くと、「行くよぉ」と梓のお尻をポンポン叩いた。
「もおっ怜くん!」
目線で人目があることを知らせても、意味がなかった。怜は視線をチラッとだけ遣り、異を唱える梓の方がおかしいと言わんばかりに「だから?」と涼しい顔をして歩き出す。バランスを崩さないように怜の首に抱きつく梓は、茫然としたまま二人を見送る彼女に、やっぱり会ったことないよね? と首を傾げた。
布団は二組敷かれているのに、怜は梓を抱っこして放さない。
腕枕をし、梓の髪を指で梳いては、時々キスを落とす。
「ねえ怜くん」
「ん?」
「大好きだよ」
「……!!」
梓をぐいっと押しやって、目が零れそうなほど見開いた怜が、薄闇の中でも判るくらい真っ赤な顔をしている。
「そこまで驚く?」
心外だな、とボソボソ呟くと、今度は息が出来なるくらい頭を掻き抱かれた。
苦しくて呻きながら怜の背中をタップすると、力が緩んだ腕から水面に顔を出した時の様にアップアップと息継いだ。そこを空かさず怜の唇に塞がれ、呼吸困難で意識が遠退くんじゃないかと懸念した頃、チュッチュッチュッと啄むキスに変わった。
怜はマジマジと梓の顔を見入る。
「嬉しい! 初めて言われた!!」
改めて怜に言われると妙に恥ずかしくて、素っ惚けた口振りで言う。
「そうだっけ? 結構言ってなかった?」
「言ってない! いや。言ってたけど言ってない。お兄ちゃんとしての僕には言ってくれてたけど、男の僕には言ってくれた事なかったからね!」
「あ~、そうだよね。そうなっちゃうよね」
「何? その歯切れの悪い物言いは」
たちまち不機嫌な顔になって、梓を逃がさない様に足を絡めてホールドしてくる。こうなったら本当に逃げ出せなくなるから、時として非常に困るのだが、今日はまだ、逃げる予定はない。
梓は怜の頬に触れ、にこりと笑う。
クリアになった頭で考えたこと、思ったことを言葉にして伝えよう、と決めた。
「あたしの初恋は、お兄ちゃんを省いたら誰でしょうか?」
「知る訳ない」
見る見る間に怜の不機嫌度が高まっていく。
梓はくすっと笑って、「怜くんです」と軽くキスをした。目の前の怜が愕然とした面持ちで梓を見ている。
「けど怜くんがお兄ちゃんの恋人だって知って、地球が引っくり返ったってあたしには望みがないんだってこと突き付けられた。それでもやっぱりお兄ちゃんは好きだし、怜くんのことも好きだったし、怜くんのことお兄ちゃんとして好きって、多分言ってなかった。その辺はあまり自覚して言ってなかったと思うけど」
驚き過ぎたのか、放心状態の怜の目を覗き込んで、梓は続ける。
「別に良かったんだよ。二人が仲良くて、見てるだけで幸せだったから。なのに急に怜くんがあたしを好きだって言ったって、信じられる訳ないじゃない? だって女の子は恋愛の対象じゃない人に告白されたって、無理矢理抱かれたって、何を信じればいいのか分からないもの。あたしを好きだって言ってるのは、気の迷いだって。飽きたらまた男の人を恋人に選ぶ、そう思ってた。だから絶対に、好きだって言っちゃいけないと思ってた。心を残すようなこと、絶対に」
そうしないと、怜が離れて行った時、甘やかされた分だけ、愛された分だけ、辛くなると予防線を張ってしか自分を守れなかった。
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