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7. 怜、果たして彼女は本当に自分を好きなのか?

怜、果たして彼女は本当に自分を好きなのか? ⑮

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 二人は極度の疲労を感じながらドレス専門店を出て、すぐにタクシーで帰る心算だったのだが、休日のせいかなかなか空車が来ず、少し休んで帰ろうかと怜に提案されて、最寄りのカフェに足を運んだ。
 店内を見渡すとここも一杯のようで、諦めようと二人が踵を返しかけ、怜が不意にストップを掛けた。梓と高身長の怜とでは視界が全く違う。彼に手を引かれて中ほどまで行くと、そこには見知った顔があった。

「お兄ちゃん!」

 翔の顔を見て、梓が早足で兄のテーブルに近付くと、どうやら連れがいたようで一瞬躊躇った。しかし翔が二人に気が付いて手招きし、二人は顔を見合わせて近付く。
 翔の同伴者が振り返り、梓は見覚えのある顔に首を傾げた。

「あれ……あの人」
「知り合い?」

 眉を寄せた怜の顔つきが怪しい。
 下手に答えて首絞めるよりはと、無言のまま兄のテーブル脇に立った。
 梓がしげしげと眺め下ろしながら会釈すると、「お久し振りです」と微笑んで挨拶され、誰? と眉間に皺を寄せ、瞬時に脳内検索を始める。
 妹の行動パターンを熟知している翔は徐に立ち上がり、「西田さんだよ」とその彼の隣に席を移し、空いた席を二人に勧めた。

「ああっ! 朱音ちゃんの従兄の人!」
「それ、昨日も言われたなぁ」

 そう言った聖一が苦笑する。
 きょとんとした梓と怜が向かいの席に座ると、今度は満面の笑顔になって三人に視線を走らせ、

「でも昨日と言い今日と言い、タイミングに恵まれてるなぁ僕」  
「タイミング、ですか?」

 梓が訊き返すと、聖一が小さく頷いた。
 聖一は昨夜、恩師の祝宴予定だった店が近所の火事に巻き込まれ、急遽変更になった会場で翔に再会し、意気投合したそうだ。
 聖一から「ずっと翔さんに会いたかった」と聞いて、梓はアレっ? と思いながら耳を貸していた。それは怜も同様だったらしく、何か言いたげに肘で突いて来、梓も突き返す。
 顔色一つ変えない兄を見る。
 梓は飲み物を注文した後、確信が持てず困惑した眼差しを聖一に向けていた。

 彼の話は続いている。
 合コンの会費を翔が全額払ってしまい、聖一はそんな借りは作れないと、気を取り直してから思った。全員から徴収した会費を持って、何度か会社を訪れたらしい。
 しかし残念ながら翔とタイミングが合わなくて空振りばかりし、かと言って金銭を他人任せにも出来ないでいたと語った。

 そして、遂に逢瀬が叶った。
 聖一が返したいと言うと、翔はそれを固辞し、男が一度出した金をホイホイ受け取れないと言われ、聖一はならば梓の祝儀として受け取って欲しいと懇願し、翔が根負けするに至ったそうだ。
 けれど昨夜は、肝心の物を持っていなかった。それで聖一は翔と約束を取り付け、待ち合わせ場所に来て僅か数分後に、会う口実を作ってくれた梓に再会したと破顔した。

「つまりそれって……」

 梓が探るように上目遣いで聖一を見ると、彼はすこぶる良い笑顔で「はい」と頷く。

「あの日、翔さんに一目惚れしました。なので会う理由は何でも良かったんです。なかなか上手く行きませんでしたけど」

 予想通りの答えが返って来て、梓は微妙な気分になる。
 熱いアップルティーを啜りながら、上目遣いで聖一を盗み見た。
 一見、インドア派に見える聖一は存外アクティブらしい。
 翔に新しい出会いが巡って来たことは嬉しいのに、不可侵の領域に踏み込まれた気がして、少しばかり面白くない。
 怜が梓を選んだ時から、関係性が崩れてきたことは覆しようがない事実だ。

 聖一の人柄なら多少だけど知っている。
 合コンに気後れしていた梓を気遣ってくれて、良くして貰ったことは覚えているけど、何か胸にわだかまっていて気分が悪い。
 むうっとして紅茶を飲んでいる梓の頭に、ぽふんと怜の手が置かれた。そのままで振り返ると怜は眉尻を下げ、困った顔で微笑んでいる。

(分かってるよ。怜くんが言いたいことくらい)

 梓が大石の家に居られるのは、結婚式までだ。それ以降あの広い家に翔一人になってしまうのは、きっと想像以上に寂しい。
 だから、本当は喜ぶべきだとは思っているのに。

「お兄ちゃん、西田さんと付き合うの?」

 意識して聖一から視線を外し、平静な兄の顔に見入った。翔は眉を持ち上げ「どうだろな」と隣の聖一に視線を走らせ、すぐ梓に目線を戻す。

「昨日会ったばかりって言っても過言じゃないからな。保留?」
「えっ!? 保留なんですか!?」
「保留だな。分からん相手とは付き合えない性分なんで」

 結構気難しがりな兄はそう言って、平然とコーヒーを啜っている。聖一は身体ごと翔に向き直って手を取ると、真摯に見詰め「頑張ります」と梓の予想を遥かに超えて、とても熱い人だった。



 穏やかで気遣いのできる静の人だと思っていた人が、実は動の人だった。
 まあこれ位はよくある話だ。実際、梓の傍らにもその代表格がいる。
 怜がいきなり梓への感情に目覚めなければ、きっとずっと柔和な姉に近い兄ポジションの人だったろう。
 蓋を開けてみたら、破壊的に動の人だった。
 怜が梓には見せなかった男を露にさせてしまったのは、心ならずも彼女自身だ。彼の激情に触れることがなかったら、三人の関係が変わることもなかったかも知れない。
 三人で穏やかに年を重ねて行く。そんな未来もあっただろう。

(彼氏は欲しかったけど、出来る感じしなかったもんな)

 ダメと言われるから余計に反発して、意地になって恋人を作ろうとしていただけで、三人の関係を壊す気など毛頭もなかった。
 今となっては悉く妨害されていた頃が懐かしい。

 変わらないでいる事が、如何に難しいことかくらい解っている。
 兄の幸せを願っていることは嘘ではないのに、彼に恋人が出来ることを心から喜べず、変わらないでいて欲しいと思ってしまう。
 なんというエゴイストなんだろう。

(自分はお兄ちゃん一人にしようとしてる癖に)

 翔を一人にしたいなんて、これぽっちも思ってなかった。
 いっそのことこのまま、別居結婚を提案してみようかと考えないではなかったけど、怜が頷くはずがない。三人同居は翔がきっと頷かない。梓だって同じ屋根の下で、怜に抱かれるのは嫌だ。
 いくら考えたって、梓が良しと思える答えなど出てこない。
 時は刻々と過ぎて行くのに。
 出口の見えない思考の迷路。
 梓は胸の内のモヤモヤを吐き出さんとばかりに、深く長い溜息を吐いた。



 怜は事務所の翔の部屋に来ると、主に断りもなくソファにどっかり腰を下ろした。
 そんなことは日常茶飯事な翔はとりとめて気にする事もなく、自分の仕事を淡々とこなしている。
 怜は背凭れに身体を預け、黙々とパソコンに向かって作業を続ける翔を眺めていたが、漸く意を決して口を開いた。

「この間の奴と、付き合うのか?」

 翔は手を止めることなく、一瞬だけ怜に目線を向けると「なんだ。気になるのか?」と口元に皮肉っぽい笑みを浮かべた。そして続けさまに言う。

「急に惜しくなって、縒りを戻したくなったか?」
「違うから」
「即答か。兄としては喜ばしいが、元恋人としては切ないな」

 くすくす笑う翔は何処まで本気で言っているのやら。
 飄々として感情が読み取れない翔を眺めながら、怜が憮然としていると、翔は口端を片側だけ上げた笑みを浮かべる。

「そんな事を訊くために、就業中わざわざ来たのか?」

 翔の素っ気ない物言いに肩を竦め、怜は白状することにした。

「この間の日曜から、アズちゃんがツレない」
「……お前ねえ。自分の嫁のことは自分で何とかしろ」
「原因が翔だからこうして来てるんでしょ」
「俺?」

 手を止めて怜を見る。

「…ああ。ブラコンだからな」
「僕よりも翔の方が好きだよね、アズちゃん」
「当然だろ。刷り込みは完璧だ」

 怜を煽るように不敵に笑う。
 翔の言う通り、刷り込みは完璧だから腹が立つ。
 だからつい本音が漏れた。

「いざとなったらアズちゃん、翔を選びそうで怖いんだけど」
「まっ、そうだろな。怜とは離婚したら赤の他人だけど、俺とは死んでも兄妹の縁が切れないし、出戻って来たらまた溺愛してやるさ。だから安心していいぞ?」

 否定もなければ謙遜もなく、悠然と、勝ち誇った笑みを向けられてイラっとする。
 不快を隠しもせずに翔を見れば、一層笑みが深くなった。

「それって何の安心? 離婚はしないよ。絶対に」
「そうか? なら良いけど」

 疑問符にいささかの引っ掛かりを感じたが、問題はそこではない。
 問題は……。

「アズちゃん、マリッジブルーかも」

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