上 下
66 / 115
7. 怜、果たして彼女は本当に自分を好きなのか?

怜、果たして彼女は本当に自分を好きなのか? ⑩

しおりを挟む
 
 ***


 結婚式の準備が着々と進んでいる中、本当に嫁に行ってしまうんだなぁと、翔はぼんやり考えることが増えた。
 妨害してやろうにも、相手が怜ではどちらにしろ攫って行く。
 翔は大石家の墓前に座り込んで、溜息を吐きつつ恨み言を漏らしていた。

「父さん母さん、何で死ぬ時まで一緒なんだよぉ。仲が良いにも程があるだろ」

 缶ビールをちびりちびりと飲みながら、生前父が好きだった乾き物のホタテの貝柱を口に放り込む。

「父さんが溺愛していた娘、嫁に行っちゃうよ? 父さん居ねえから反対勢力全然たんねえし。あ、母さんは端から当てにしてないよ。怜のことお気に入りだったもんな」

 怜がゲイだと知らなかった母は、『将来あーちゃんのお婿さんになってくれないかしら?』と翔に言っていた。それを複雑な心境で聞き『高校生相手に小学生は酷でしょ』とはぐらかしていたが、まんまとその通りになった。
 母、先見の明あり過ぎでしょ、と今更思う。

「母さんの希望通り、大石から南条梓になったよ。良かったね。父さんはお気の毒。さっさと死んだあんたが悪い。ホント……何か言ってくれよ。俺あの家に一人になるじゃんか」

 いっそ家を売りに出そうかとも考えたが、両親の思い出のある家を売るのは結局無理だった。かと言って怜たちとの同居もお互い気を遣いそうだし、止めといた方が無難だろう。

(夫婦喧嘩した時の安全地帯には、なるだろうしな)

 またとんでもない家出をされるよりは、実家に逃げ込んで貰った方が探す手間が省けて翔は助かる。

「……ああそうだ。大石、俺の代で終わりだわ。ごめんな。俺が死んだ後は、梓の子にでも墓守頼んどくからさ」

 翔は残ったビールを一気に煽り、よいせと立ち上がる。

「また来るな。今度は二人にも顔を見せるように言っとくわ」

 最後に合掌して怜は踵を返し歩き出す。
 飲み足りない。
 “Drop of the desert智樹さんとこ” にでも顔出すか、と独り言ちて大きく伸びをした。



 翔が開店前の “Drop of the desert” に遣ってくると、オーナーの智樹が寒気のする笑顔で彼を向かい入れた。コックコートを持って。
 ジリッと後退り、身を翻して逃げ出そうとした。が、予想をしていたようで、いつの間にか出入り口を厨房スタッフが三人掛かりで塞ぎ、逃がしませんと目で訴えてくる。さすがに分が悪いと智樹に向き直り、口元に無理矢理な笑みを浮かべた。

「ちょっと。俺客できたんだけど? 何でコックコート持っての出迎えなんだか、意味分かんねえんだけど?」
「はははっ。そうだよな!」

 目がさっぱり笑っていない笑顔の智樹が近付いてくるが、背後に腕力自慢の厨房スタッフを控えさせている時点で、翔に退路はない。
 智樹は五十半ばとは思えない肌艶の良い顔をずずいっと近付け、

「二時間だけ、昔取った杵柄を発揮してみようか?」
「はあ? ふざけんなよ? 俺は今日、客で来たの!」
「うんうん。そうだよな。だから二時間だけでいい。その代わり、ガッツリ飲ませてやるから。現物支給の方が良いだろ?」

 翔がザルなのを知っていて、この法外な提案は余程困っているらしい。
 ただ酒を飲めるなら悪くない。

「リミッター解除で行くけど?」
「問題ない」

 そう言って翔にコックコートを手渡す。受け取った翔が徐にスタッフルームに歩き出すと、智樹が隣を着いてくる。

「で、どんな客?」
「医者で貸し切り。何でも恩師のお祝いらしいんだが、予約していた店が類焼したそうで、急遽うちに予約が入った。そこにお前から連絡入って、天の采配に感謝したね」
「俺はグダグダしたかったんだけど」

 嬉々としている智樹に渋面になった。
 墓参りに行って愚痴った嫌がらせか? と脳裏を父の面影が過る。
 酒は少々お預けなのが腹立たしいが、その分後で智樹が泣きを入れるくらい頂戴する事にして、久々のコックコートの袖を通した。  

「詳しい段取りとか、チーフに訊いてくれ。時間がないから頼むな」

 手を挙げてそう言い残すと、智樹は店の段取りのため戻って行く。
 厨房に入るなど実に九年ぶりだ。些かの不安がない訳ではないが、まあ勘が戻れば何とかなるだろう。



 ひたすら素材の下処理に追われ、合間を縫って厨房スタッフが動きやすいように段取りし、忙しさにブチ切れているチーフの「怜呼べッ!」の怒声に、「俺らを何だと思ってんの!?」と怒声で返すこと数回。
 使える手元が一人でも欲しい気持ちは解るが、一応これでも会社代表の肩書を持っている事をすっかり丸投げにされている。

(これだからトッショリはッ)

 古株のチーフは、いつまでも昔の様に子供扱いでコキ使ってくる。
 六十代のチーフにすれば充分子供だろうが。
 一時間半もすると粗方の提供は終わり、正規のスタッフたちは、予定外の団体客で使い切ってしまった今日の分を食材を、鬼の形相で仕込んでいる。翔は「何で俺がっ」と文句を言いながら、放り投げられている鍋やらフライパンをガシガシ洗っていた。

 二時間を少しオーバーして、智樹が厨房に顔を出し翔に手招きした。やっと解放されると肩を落としたところで、智樹がニヤッと笑う。嫌な予感しかしない。
 案の定、智樹に引っ張って行かれると、今度はホールの制服を渡された。

「あのさぁ、智樹さん。お忘れかと思いますが、俺は客できたんですが?」
「深く考えるな。翔が九年ぶりにカウンターに立つって営業掛けたら、みんな来るって言うしさ、ガッツリ頂いちゃって」
「おい」

 リミッターカットで飲んでも良いと言った理由が分かって、げんなりした顔で智樹を見る。

「客から金取るんなら、バイト代払えよ」
「……ホント世知辛い世の中だよね」

 はあと溜息を吐き、智樹はするすると退散していく。「じゃ、ヨロシク」と扉を閉めた彼に盛大な舌打ちをし、翔は手元に視線を落とした。

(確かに昔はヤンチャやって散々迷惑かけたし、世話にもなったけどさ………仕方ねえなぁ。もお)

 今日は厄日かも知れない。
 諦めの溜息を吐き、コックコートを脱ぎ捨てて、今度はホールの制服に着替える。白のカッターシャツに黒のベストとズボン。腰にタブリエを巻きながらカウンターに顔を出すと、智樹は間髪入れずに袋に入った板氷と、アイスピックを差し出して来た。

「丸氷! 至急ッ」
「人使い荒いなあ」

 どうやらこちらも団体で在庫薄らしい。
 その団体もお開きのようで、二次会がどうのとか聞こえて来た。
 ぞろぞろと店を出て行く姿をチラチラ見遣る。何人かは、ここに残って飲み直すようなことを言っているようだ。
 翔は不意に名前を呼ばれ、智樹に首だけ向き直った。

「シェーカーまだ振れる?」
「最近振ってない。必要ないし」

 氷の袋を破って、適当な大きさにかち割っていく。大きな一片を最初はざっくりとした丸にし、アイスピック一本でキレイな球に仕上げると、智樹が「うちでまた働く?」とニヤニヤして言って来た。翔は片眉を上げ、「倒産したらな」と軽口で返す。「だよな」とケラケラ笑う智樹。

「あのお」

 翔とそう年が変わらないであろう男に声を掛けられ、アイスピックを揮う手を止めた。完璧な営業スマイルで男を見返す。

「なんでしょう?」
「いきなりこんな事をお訊きするのは何なんですが、大石さん、でらっしゃいますか?」

 見覚えのない男に名前を問われて、翔は訝し気に相手を見た。
 クライアントだったらそう簡単に忘れたりしない。と言うか、医者にクライアントはいない。
 まだ貸し切りの客が残っているホールを一瞥し、「どちらさま?」と問い返す。彼は上着のポケットから名刺入れを取り出し、その一枚を翔に差し出した。

「西田聖一と申します。先日はご馳走になりまして」
「はい?」

 ご馳走したなど記憶にないことを言われ、翔は思い切り首を捻った。

しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

彼氏に別れを告げたらヤンデレ化した

Fio
恋愛
彼女が彼氏に別れを切り出すことでヤンデレ・メンヘラ化する短編ストーリー。様々な組み合わせで書いていく予定です。良ければ感想、お気に入り登録お願いします。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...