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7. 怜、果たして彼女は本当に自分を好きなのか?

怜、果たして彼女は本当に自分を好きなのか? ⑦

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 入籍した日、何気に怜に拉致られそうになった。
 夫婦になったんだから同じ所に帰って何の問題があると、怜は踏ん反り返って言い切ったけど、この結婚は突発事故の様なもので、何の段取りもなく当たり前のように連れて帰ろうとしないで貰いたい。

 で、梓は提案した。
 入籍については、もうこの際譲歩する。この件に関してとやかく言うのは諦めた。
 しかし同居するのは、結婚式が終わってからだと。

 結婚するのに普通は色々と準備をするものなのに、今日結婚しました。じゃあ一緒に暮らしましょう、は梓的に有り得ないと駄々を捏ねた。
 二人とも同じ気持ちで、盛り上がって入籍しましたと言うわけではないのだ。
 当然怜はいい顔をしなかったけれど、押し切って入籍したんだから、そのくらいは梓の意見も聞いて欲しいと訴え、渋々だったけど頷かせた。

 梓は安堵に胸を撫で下ろした。
 人の話を聞く限り、式場確保には時間が掛かるらしい。
 凛子たちの喜びようから鑑みるに、南条家の結婚式なら小さい所なんて有り得ない筈だから、式場は吟味するだろう。後々珍獣扱いされるような披露宴だったとしても、今は出来るだけ時間を掛けて欲しいものだ。

 翔が入籍に賛同しなければ、こんなに焦った気持ちにならなくて済んだのに。
 けど、翔が言ったことも的外れではない。
 心の何処かで、翔が先に幸せになってくれたらと思う梓がいた。
 翔から怜を取ってしまった感が、どうしても拭えなくて、もう大丈夫だよと行動で示してくれたら、安心できるのに。
 自分勝手な言い分なのかも知れないけど。
 良くも悪くも自分に正直な怜が羨ましい。


 ***


 会場は梓の思惑から外れて、案外あっさりと決まってしまった。
 最初、南条の系列ホテルが候補に挙がったが、怜はもう後継者を辞退しているので、大事にしたくないと彼が却下した。そうなると怜や凛子が仕事で縁のある間島の結婚式場が必然的に候補に挙がり、勿論、怜が結婚すると言った時から、会場を押さえていた間島のことだから、大喜びでスケジュールの調整に余念がなかった。
 そんなに張り切らないでいいから、と梓が内心蒼褪めているとも知らず、最短で三か月後を提示して来た。
『夏場の結婚式?』と梓は当然難色を示したが、怜は『大丈夫』と何を以てして自信満々に言うのだか。
 単に一日でも早く一緒に暮らしたいだけなんだろうな、と梓は肩を落として溜息を漏らした。

 南条の女性陣に引っ張り回され、淡々と決まって行く。
 笑っていても、日々気持ちが重くなっていく。
 底なし沼に嵌まって、身動き出来ないままズブズブと沈んで行くような錯覚。

(こんなんで、本当に良いのかな……?)

 結婚に向けて、世の女性たちはどんな思いで過ごしているのだろう?
 梓の様に憂鬱な気分で過ごす女性はそう多くないだろうな、と思ったら、とんでもなく馬鹿をしたい気分になった。



 以前彼女と会ったのは、昨年の初夏が最後だ。
 仕事の打ち合わせで来社した彼女と久しぶりに会って、梓はまず最初に謝罪した。

 カメラマンCooクーこと三嶋美空みしまみくうは、最初何のことか分からず慌てていたが、直ぐに思い至って「大丈夫だよ」と笑ってくれた。
 二人の会話がいつ翔たちの耳に入るか分からないので、梓は美空と近くのカフェに移動した。
 城田のことを知っている由美は、笑顔で送り出してくれて本当に助かる。

 注文を終え、美空が口火を切った。

「怜さんと結婚したんだって?」
「まあ……そうなんですけど」
「何? 浮かない顔しちゃって。そこはもっと喜ぶところなんじゃないの?」

 梓のどんよりとした面持ちに、美空が戸惑った顔で覗き込んできた。

「なあんか分からなくて」

 そう呟くと、美空は首を傾げ「分からない?」とオウム返し訊いて来る。梓はこくりと頷いた。

「このまま結婚しても良いのかな~って。もお籍は入っちゃってて、こんなこと言っても今更なんだろうけど、全てが怜くんの良いように流れてる気がする。籍入れた時だって、お兄ちゃんに変なヤキモチ妬いてだったし。美空さんの時は、どうでした? プロポーズとか色々」
「あたし?」

 目を見開き、頬を赤くして梓を見返してくる。美空は小さく唸りながら、藁に縋る様な梓を放っとけもせず、「参考にはならないと思うけど」と苦笑して、話し始めた。

十玖とおくにプロポーズされたのって、あたしの十七歳の誕生日だったのね」
「十七ッ!? 早くない!?」

 目玉が飛び出しそうな勢いで身を乗り出した梓に、美空は喉の奥を震わせる。
 でも言われてみたらそんなにおかしくもない。二人は十八歳で籍を入れていると聞いている。

「十六の時の事件、覚えてる?」

 そう言った美空の顔が痛々し気に歪んだ。梓が躊躇して頷く。
 十玖たちのバンドと敵対していたバンドメンバーたちが起こした事件に、美空が巻き込まれて大怪我をした話題は全国ネットで流れた。
 彼女はその後遺症で左足を少し引き摺る。

「その時にね、家族以外は面会謝絶で、十玖は家族になりたいって思ってくれたんですって。だから十玖が十八になったら結婚してって言ってくれて、その時はただ嬉しくて、何も考えずにオーケーしたけど、後から冷静になって考えてみて、本当に良いのかって葛藤したわ。その頃のA・Dって、映画やCMのタイアップが増えてて知名度が上がっていたし、足を引っ張るんじゃないかって」

 店員が飲み物を運んでくると、二人は同時に身を引いてテーブルを見る。伝票を置いて立ち去るのを見送り、美空はホットコーヒーに口を付け、梓も追ってレモンティーを口にした。
 美空がほうっと息を吐く。

「普通だったら高校生で結婚なんて、親が許さないんだろうけど、十玖の真摯さをうちの両親が気に入っていたから、あっさり認めて貰えたのよね。実の息子より十玖を信用してるし」
「ははは」

 美空の兄、晴日はるひは奥さんと出会う前まで、とんでもない女誑しだったと聞いた。先祖返りで見た目は完全に白人のイケメンとあっては、女性が放って置かなかっただろうし、晴日も選び放題だった事だろう。

「で、あたしの葛藤はどうなったかって言ったら、十玖が一蹴して終わり。大学の途中までずっと別居婚だったから、マスコミに嗅ぎつけられる事もなかったし、その後は自社ビルの最上階にメンバー全員住居を移したから、完全にシャットアウト。大学を卒業したら結婚を公にして式を挙げる予定だったんだけど」
「だけど?」

 梓が訊き返すと、美空はエヘッと笑う。

「実は一年、十玖をほっぽり出してヨーロッパを周って来ちゃった。と言っても仕事で行ってたんだけどね。もお直前までグレるグレる。活動休止して着いて来るって言ってみんなを蒼白にさせるわ、パスポート隠すわで、ホント手に負えなかったわ」

 思い出して、ちょっと懐かし気に遠くを見る美空。
 十玖の “美空Love” がファンにまで浸透しているのに、その人を置いて行く決意をした時、どんな心境だったんだろうか?

「怖くなかった?」

 口が勝手に訊いていた。
 美空は口元に微笑みを浮かべ、「そりゃね」とコーヒーを啜る。かちりと磁器が合わさる音を立てた。

「完全にあたしの我儘だし、帰って来てもあたしのいる場所がなくなってたりしないか、考えたらキリがないこと考えて、でも行かない選択肢を選んだら、きっと後から後悔して、十玖を恨むの嫌だなって思ったの。今は行って良かったって思ってる。離れてみて、本当に十玖を愛してるって改めて思えたし」

 美空は「恥ずかしい」と真っ赤な顔を手で覆って、俯いた。彼女は同性から見ても可愛らしい。梓の口元が自然と緩んだ。

(離れてみて、初めて実感すること……かぁ)

 アパートに怜が訪れて来た時、恐怖した。

(……何に?)

 レイプされたことだけが怖かった訳じゃない。
 口では嫌だと拒否しながら、冒された身体が喜んでいた事実を思い出さされ、あんなに怖い思いをさせた怜を恨み切れないで、きっと彼を受け入れてしまうんだと、直感的に感じたから。
 怜とのセックスが気持ちいいから、離れ難いと思っているだけのような気がして、とても不誠実なんではないかと思う。

 怜に “好きか” と問われる度、身体が気持ち良過ぎるから “好き” だと錯覚を起こしているのではないかと、疑心暗鬼になってしまう。
 自分の心なのに、すっかり持て余し気味だ。
 梓は遣る瀬無さに深い溜息を吐いた。

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