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7. 怜、果たして彼女は本当に自分を好きなのか?

怜、果たして彼女は本当に自分を好きなのか? ①

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 凛子たちから本気で逃げる梓を見ていて、このところふと思う。

(アズちゃんって、僕が彼女を想うほど、僕のことを好きじゃないのかも知れない)

 そんな事に思い至って、気分がずーんと沈み込んだ。
 これまでを振り返って見て、梓に『好き』と言われた記憶がないことに気付いた。もしかしたらうっかり忘れているだけかも知れないしと、全神経を集中して記憶を遡ってみたが、それらしい言葉を言ってくれる場面はサーチ出来なかった。

 少なくとも嫌われてはいない。
 愛情がない相手と、セックスできるような子だとも思わない。本当に嫌だったら、彼女ははっきり拒絶できる人だ。それこそ自分を賭けてでも、潔く拒絶を示すだろう。
 抱いていいかと訊ねた時、彼女は頷いてくれた。
 怜の求めに応じてくれるし、気持ちいいと答えてもくれる。何より身体が物凄くいい反応を見せてくれるから、怜は毎度歯止めが利かなくなってしまって、彼女を抱き潰してしまう。それでも彼女は愛おしそうに怜を見て、精一杯応えてくれる。

 なのに何故、愛を囁く言葉を口にはしてくれないのか?
 好きだ、愛してると怜が幾度となく囁いても、梓は『あたしも』と同意する言葉すら言ってはくれない。
 その言葉を引き出そうと『僕のこと好き?』と快楽に乗じて答えることを期待しながら訊いても、彼女から欲しい言葉を引き出せないでいる。
 言葉にしなくても解るでしょ、とどこかの男の常套文句みたいなことを彼女が思っているのか定かではないが、のらりくらりと躱されてしまうのは、どうにも遣る瀬無いと言うか、納得いかないと言うか、それを引き出して喘がせたい。
 無理やり言わせるのではなく、本心を吐露させたい。
 身体は深く結びついていても、心だけがいつまでも片想いのようだ。



 今日も梓の休憩時間を狙って、専業主婦の姉、志織が怜の部屋を訪れていた。
 この半月、足繁く通う志織を見ていると、彼女の家のことが心配になって来る。毎日家を留守にして、義兄は大分我慢しているのではないかと思う。原因である怜としては申し訳ないばかりである。
 因みに母凛子はエステサロンのオーナーであり、次女の彩織は本店の店長兼エステティシャンだ。間島とはブライダルエステで提携を結んでいて、その繋がりから今回の一件が漏れた。

 志織は応接セットに脚を組んで座り、優雅にお茶をしながらパソコンに向かって仕事をする弟にズケズケと言ってくる。

「あんた本当に梓ちゃんに好かれてる?」

 言うに事欠いて、今一番訊かれたくない言葉で抉られた。

「毎日毎日鬱陶しいくらい家に通われて、『好きだ』『愛してる』って言われて、絆されたか身の危険を感じたから、しょうがなく交際を了承しただけなんじゃないの?」  

 半ば呆れた物言いをする志織をギロリと睨む。
 そんな事はわざわざ言われるまでもなく、怜がとっくに抱いている不安要素の一つだ。
 身の危険を感じたから、とは何とも耳が痛い言葉だ。
 レイプをした怜をもう一度受け入れた梓の心情が、諦めだったと思いたくない。
 怜はマウスを操作する手を止め、溜息混じりに言う。

「厭味を言うために連日の様に通うの、やめて貰えませんか?」
「あんたが不甲斐ないからでしょぉ」
「不甲斐ないのは認めますけど、あからさまに追い詰めたらどんどん逃げて行くじゃないですか」
「何なのその弱気。小動物は巣穴に追い詰めて、合意の上で美味しく頂かないとダメでしょ?」

 艶やかに微笑む志織をげんなりとした面持ちで見た。
 被捕食者の反撃を食らった事のない彼女は、悠然と持ち込みの菓子を抓んで頬張り、紅茶を啜っている。
 この姉にまんまと捕獲された義兄が哀れに思えてくるが、取り敢えず今のところは夫婦円満のようだから、口には出さないで置く。何より、下手に刺激した後の煽りが怖い。
 可愛い顔をして結構凶暴な志織を、怜が陰で “タスマニアデビル” と呼んでいるのは翔しか知らないことだ。
 止めていたマウスを再び操作しながら、チラリと姉を見た。

「彼女は僕の手を取った。それをむざむざ手放すつもりはないですよ?」

 そうだ。梓を手放す気など微塵もない。
 泣いて懇願されても、もう手放すことなど出来はしない。
 だから確かなものが、梓の言葉が欲しい。

「アズちゃんには快くお嫁に来て欲しいので、僕の心配よりも、しお姉さんとさお姉さんは先ず、彼女に怯えられないようにして貰えませんか?」

 怜は困った様な面持ちで志織を見ると、彼女は心外とばかりに顔を歪めた。それでもすぐに心配気な顔をして訊いて来る。強気なくせに小心な所がある姉だ。

「そんなに怯えてる?」
「どう見たって怯えてるでしょう? あの人懐っこい子が気配を感じただけで逃げるんだから、余程ですよ」
「どうしたら良い?」
「……餌付け、ですかねぇ。彼女 “Maison enメゾン アン ガトー gâteau~お菓子の家” のフルーツタルトとレアチーズケーキ、太ると言いつつ何個でもイケますけど?」
「彼女太らせてもいいの?」
「カロリー消費は任せて下さい」
「あんたも言うわね」

 ニッコリ笑うと志織も負けない笑みを返してくる。
 志織は善は急げとばかりに席を立ち、背中を見送った怜は梓に “志織姉、外出させたからゆっくり食事しよう” とラインを送った。
 どんなに急いで行って戻って来ても三十分は掛かる。道や店の混みように因ってはもう少し時間がかかるだろう。
 間もなく梓から “ありがとう” と泣いているアスキーアートが返って来た。
 こんなせこいポイント稼ぎでも、しないよりはマシだ。 

 志織のせいですっかり停まってしまった作業を再開させつつ、今頃安堵している梓に思いを馳せて顔を緩ませる。
 これからどうやって囲い込もうか。
 遣えるものは親姉弟でも遣う。
 何しろマイナスからのスタートだ。
 彼女の信頼を強固なものにし、頼れるのは怜だけだと刷り込んで行かなければならない。

(はてさて。どうしたものかな?)

 考えを巡らせる口元には、梓が見たらきっと怯えてしまうだろうを笑みを浮かべ、誰が見ているでもないのに、慌てて大きな手で覆い隠した。



 怜からのラインが届いて、梓は久し振りにゆっくり安心して食事できることに感謝し、感涙しそうになった。
 隣で見ていた由美は苦笑し、向かいの清香さやかは不思議そうに「どうしたんですか?」と梓と由美を見ている。

「今日はゆっくりご飯食べられるって、怜くんからライン来たの」

 梓が志織から逃げるものだから、怜と食事するのは休日以来だ。
 流石に休日の度に押し掛けられることはないが、つい先日、暇さえあれば電話が来てまったり時間を邪魔され、キレた怜が『僕が振られても良いんですか!?』と怒鳴って、スマホの電源を切り、固定電話のコードを抜いてしまった。『さすがにそれくらいじゃ振らないよ?』と言った梓を抱き締め、『そんなの分からないでしょ』と拗ねた怜が妙に可愛かったので、頭をポンポンしたら寝室に連れ込まれ……。
 昼日中から怜との情事を思い出して、顔がブワッと赤くなる。

(な…何を思い出してるのッ! ばかばかばか。あたしのスケベ!)

 脳裏から掻き消そうとしている傍から、怜の煽情的な眼差しや手付きが頭の中を占め、身悶えてしまう。

「アズちゃん」
「ぎゃ――――ッ!!」

 背後から肩に手を置かれ、同時に女子とは思えない悲鳴を上げてしまった。
 事務所内が森閑とし、全員が愕然とした顔で梓を見ている。
 出てしまった声は引っ込めようがないのに、咄嗟に口を両手で覆って後ろを振り返った。そこに茫然と梓を見下ろす怜の姿を見つけ、驚いて下がった血が再び急上昇する。恥ずかしくて再び喚きそうになった口をしっかり押さえて、怜から思い切り顔を背けると、机に突っ伏した。

「…えっと、アズちゃん? どうした?」

 突っ伏したまま怜の質問に頭をぶんぶん振る。

(どうしてこのタイミングで本人が登場するわけッ!? なんの悪戯!? それとも嫌がらせ!? もお勘弁してよ~ぉ。恥ずかし過ぎるぅ)

 首まで真っ赤になっているのは、きっともう怜にバレている。

「姉御。何あったの?」
「さあ…? 先刻までゆっくりご飯食べられるって喜んでいたけど」

 怜はふ~んと鼻を鳴らすと、梓の肩に置いた手の指先でスッと首筋を撫でた。思わずぞわぞわして、口を押える手に力が篭り、身体を強張らせる梓の耳元で「どうしたの?」と囁いてくる声に泣きそうになってしまう。
 怜は耳元で小さく笑った。

「姉御。ちょっとアズちゃん落ち着かせてくるから、抜けるけどいい?」
「……。ちゃんと使えるようにして戻してよ?」

 由美の言わんとしていることが何なのか、わかって一層全身が熱くなる。

「もちろん。あ、しお姉さん戻ったら、僕の部屋で待たすなり帰すなり好きにして」
「了~解」

 由美が言外にさっさと行けとばかりに手を払い、怜が突っ伏した梓を引っ張り起こす。机の縁に掴まって抵抗するも虚しく、梓は怜に立て抱っこされ、悲鳴と共に連行されて行く。

 それを見送るスタッフが、やれやれとばかりに溜息を吐いた。

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