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6. 梓、ビビッて逃走する

梓、ビビッて逃走する ⑭

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 終業時間よりも早く、梓は現場最寄りの派出所に翔と怜を伴って訪れた。面倒臭い案件はさっさと片付けるに限ると翔が言い出したからだ。
 梓はそんなに面倒臭いのかなぁ、やだなぁと至って暢気なものだったが。
 派出所で待ち構えていたのは、逮捕した当事者の生真面目そうな警察官。彼は背後に控えた二人に些か顔を引き攣らせたが、仕事柄平静を装っていた。

「防犯カメラを確認しましたが、華麗なハイキックでしたね。何か武道でも?」
「有難うございます。空手を少々」
「十六年は少々なのか?」

 翔のツッコミに、乙女心を汲んでと思うことは罪ではないはずだ。
 肩越しから翔を睨み上げると、彼は眉を聳やかしてそっぽを向いた。隣の怜は文句言いたげな渋面で梓を見ている。
 調書は何時ころに会社を出たかから始まって、何処で誰に会って、何時頃に現場付近を通ったのか、根掘り葉掘り聞かれた。
 犯罪者でもないのに、正直そこまで? と思っていたら、後ろで怜が「任意なんだからそこまで必要ないでしょ」と牽制を掛けた。

「そもそもこの聴取だって、彼女が嫌だと言ったら強制は出来ないですよね? 彼女の善意なんだし。あ、アズちゃん署名捺印もする必要ないからね」
「いいの?」
「犯人じゃないでしょ」

 わかったと頷く梓の頭をポンポンし、梓の正面に座る警察官を睨み据える。

「警察としては、どう言った経緯で彼女が犯人を取り押さえたのかさえ分かれば問題ないでしょ? もう帰ってもいいですよね?」

 拘束する権利を持たない警察としては、怜の問いに頷くほかない。
 怜は梓を立ち上がらせ、背中を押して翔の方に促しながら、「以後、僕の婚約者を煩わせないで下さいね?」と好戦的な笑みを浮かべた。


 ***


 二月十四日、ヴァレンタイン当日。
 朝から義理チョコ、友チョコを全員のデスクに置いて歩き、翔と怜のデスクにもチョコとネクタイを置く。
 悩んだ末、二人を平等に扱うことにした。どっちを立てても面倒なら、同じ方が後腐れなさそうだと思った結果だ。
 案の定、二人は不服そうな顔をしたけれど、渋々納得した。怜にはデートの約束を事前に取り付けられているから、梓を怒らせることは得策ではないと思ったらしい。何度もデートの念押しされたけど。

 二人に直接渡しは拒否されるため、毎年郵送や宅配で段ボールに入ったチョコが届く。それを受付嬢の滝本と一緒に、取り敢えず二人の部屋に運ぶ。で、二人に確認して貰ったら怜は実家へ、翔は半分をサパークラブのオーナーに送り、残りはスタッフに分ける。この時期、智樹の店 “Drop of the desert” で翔から横流しされてきたチョコがサービスで並ぶか、スタッフのおやつになっている事実は、申し訳なくて送り主たちには言えない。

 そんな彼らも、少ない女性スタッフから貰ったものだけはきちんと持ち帰り、有難く頂いている。
 毎年の恒例行事を恙なく終え、独り身も今日ばかりは早々に帰路についた。



 去年までのヴァレンタインは、梓たち三人と郁美、香子、剛志の六人でパーティーだった。
 今年は怜と二人ホテルのレストランで食事をした。
 何だか照れくさい。お酒もつい進んでしまって、梓はほろ酔い加減で手を引かれながらスイートルームに連れて来られた。

 初めてのスイートに嬌声を上げ、梓がいきなりお部屋探検を始めると、怜は苦笑しながら窓際の椅子に腰掛けて、彼女の様子を窺っている。
 梓は雰囲気に呑まれそうで落ち着かない。
 けれど、見る場所見る場所全てが厭らしく見えてしまい、怜が何を考えてここに連れて来てるのか、嫌でも実感させられ身悶える。
 初めてでもないのに、肌に感じる雰囲気がどことなく恥ずかしくて、胸がドキドキしじっとしていられない。
 頭の中が軽くパニックだ。

「アズちゃん。こっちおいで」

 怜が窓際のテーブル席に呼ぶ。
 ベッドルームからひょっこり顔を出した梓に微笑んで、怜が手招きした。
 真っ白のクロスが掛けられたテーブルには、真っ赤なバラが溢れんばかりに活けられた花瓶と、シャンパンクーラーに銀のシールに覆われた深い緑のボトルとグラスが二つ。フルーツの盛り合わせと、クラッカーとチーズの盛り合わせ。

「もうちょっと飲もう?」
「うん」

 少し照れながらテーブル席に着くと、怜が軽快な音を立ててシャンパンの栓を抜いた。
 ピンクゴールドのシャンパンがグラスに注がれ、クリュッグ・ロゼの繊細な泡を眺めている梓の口元が「綺麗」と綻ぶ。
 乾杯して、暫くすると怜がそっと梓の左手を取った。

「お願いなんだけど」
「ん? なに?」
「この指に指輪して?」

 そう言って薬指を怜の親指が撫でる。

「アズちゃんには僕がいるんだって、誰が見ても解るように」

 怜はスーツのポケットから濃紺の小さなケースを取り出し、テーブルに置いてスッと梓へ滑らせた。彼女はぎょっと目を見開き、視線を指輪と怜の間を往復させる。

「婚約指輪とか、そんな大層なものじゃないよ。ただね、心配なんだ。この指が空いたままだと、誰かにアズちゃんを掻っ攫われそうで」

 梓の手を引き、薬指に口付ける。上目遣いに彼女を見れば、顔を真っ赤にして怜を見返していた。

「あ、あの。あたしそんなにモテないよ?」
「はあ……。そう思ってるの、アズちゃんだけだからね? この間の警官だって、アズちゃんの事、男の目で見てたの気付いてなかったでしょ?」
「えッ!?」

 驚きの余り、きっともの凄い変な顔になっている。
 怜はくくっと笑い「そう言うとこ好きだけど」とケースの蓋を開け、「すごく心配」とプラチナのデザインリングを抓み上げる。怜は反対の手を梓に差し出して、彼女が手を出してくれるのを待っていた。
 婚約指輪じゃないと言うけれど、やっぱり指輪は特別だ。躊躇する梓に、差し出した怜の手指がクイックイッと手招いて催促してくる。

「恋人にネクタイを贈るのは、 “自分の男” って意味あるの知ってた?」
「……えっ!?」
「アズちゃんは僕にネクタイをくれたのに、僕の指輪は受け取り拒否?」

 潤んだ目での上目遣いは、破壊力が半端なかった。
 胸を押さえて怜を見返すと、目が『お願い』と訴えていて、梓はく~っと唸りながら天井を仰ぎ、観念してそろそろと左手を差し出した。
 知らなかった事とは言え、怜を “自分の男” 宣言したと言われて、指輪は受け取れないでは済まされない気がする小心者である。
 怜が凄く嬉しそうに表情を崩して、梓の手を取りその指に指輪を填め、口付けを落とす。流れるような所作に梓の頬が熱くなった。
 この人はどうして気障なことを臆面もなく出来るのか。される側は恥ずかしくてたまったものじゃない。

 速攻で逃げ出したい衝動に駆られながら、梓はぷるぷる震えて怜の顔を盗み見れば、彼は嫣然としてシャンパンを口にする。
 心配と口にしながら余裕の怜に、どんどん外堀を埋められていると悔しく思いつつ、唇を綻ばせた梓もシャンパンを口に含んだ。

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