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6. 梓、ビビッて逃走する
梓、ビビッて逃走する ⑬
しおりを挟むひったくり犯を撃退した翌日、梓は背中に思い切り冷や汗を掻いていた。
(背後で腕を組んで微笑む二人の禍々しいオーラを、誰かお願いだから浄化して下さい~ぃ!)
事の起こりは十分前。
受付けの滝本から内線で呼び出され、ひょろひょろと顔を出した瞬間、梓は固まった。
受付前には三人の男女が立って、滝本がこちらを見ると三人も一斉に視線を寄越した。
「あっ。あの方です!」
女性が言うと、制服を着た男二人が近付いて来る。
(何故バレたッ!?)
額に変な汗を掻き始めていた。
ひたすら思うことは、このお三方には早々お引き取りを願うことだけだ。翔と怜にバレる前に!
女性が嬉々とした顔で男二人を追い越して、梓に近付いて来る。そして梓の手を取るとぎっちり握り締めてぶんぶん振ってきた。
「先日は有難うございましたッ! お陰様で責任問題にならなくて…あ。始末書は書かされたんですけど、解雇は免れました。本当に何とお礼を言ったらいいのか!」
「あ、あの…もうちょっと静かに……」
「あぁ。ごめんなさい」
言った傍から彼女のキンキン声が廊下に響く。
何事かと廊下に顔を出した面々の声を背後に聞きながら、梓は生きた心地がしない。
絶対に聞こえてしまう。
これでは昨日何のためにあの場から逃げ出したのか分からない。
「先日の件で、聴取にご協力をお願いしたいのですが」
そう言ったのは、昨日梓が犯人を引き渡した警察官だ。
生真面目な顔がじっと見入って来る。
「あ…いや。何のことだかさっぱりぃ」
笑って答えたものの、完全に顔が強張っている。
そして、次には全身凍り付いた。
向こう正面から、訝し気な顔をして歩いて来る二人の姿。
「何の騒ぎですか?」
翔がじろじろと三人を見ながら訊くと、昨日の警察官が事情を説明し始めた。
二人の形相が見る間に変貌していく。
梓の背後に回り込んだ二人の纏わり付くような視線に、知らず身体が震える。
そして冒頭の事態を招いた。
蛇に睨まれた蛙の如く、身動ぎできない。
「…梓。危険な事には首を突っ込むなと教えたな?」
体感温度が急速に下がる翔の声音に、ビクリと飛び上がる。
怖くてとてもじゃないが後ろを振り向けない。
心臓が口から飛び出してしまいそうなほど動悸がするのに、血液は急降下していく。
「は、はひぃ」
「怪我したら、どうするつもりなんだ?」
「で…でもお兄ちゃん。いつも “義を見てせざるは勇無きなり” って」
止めとけばいいものをつい反論し、怒りのオーラに刺々しさが増してしまった。
「“君子危うきに近寄らず” とも教えた筈だけどな?」
「……はい」
「アズちゃんに何かあったら、僕たち間違いなく報復に行くよ? そこ解ってるの?」
「……ごめんなさい」
すっかり消沈してしまった梓に、訪ねて来た三人が申し訳なさそうな視線を投げて来る。確かに梓は危険な事をした。しかし良い事をした梓が、被害者や警察官を前にして、取り付く島もないほど怒られるだなんて、思ってなかっただろう。
結局、就業後に梓が派出所へ出向くことになり、三人は帰って行った。
被害者の女性が後日改めて上司と来ると言っていたのを丁重に断ると、酷く残念そうにした理由は何となく察しがつく。
ダシに使われることはこれまでも多々あった。今更だから気にしない。
しかし、こうもあっさりバレるとは。
大方このビルの会社の何れか、梓を見知っている人間の証言でここまで来たと言っていた。まったく迂闊な行動は取れないものだ。
梓は何食わぬ顔でデスクに戻ろうとし、後ろ首をぎゅっと掴まれて喉をヒュッと鳴らした。
「あずさぁ。まだ戻れると思うなよ?」
翔の指が梓の後頭骨から首にかけて鷲掴み、食い込んでいく。翔は様子を窺っていた由美に「梓はただいまより早退扱いで頼む」と言って方向転換し、梓に有無も言わせず自分の部屋へと誘導して行く。その後ろ姿を合掌して見送るスタッフたちに怜は苦笑し、ゆっくりとした歩調で翔の部屋に向かった。
怜が一足遅れて翔の部屋に入ると、既に梓の正面に脚を組んで椅子に腰掛ける翔の姿が在った。
「おにーちゃん。これ、絶っ対、普通の、女の子に、する、お、仕置き、じゃな…いとッ、思うッ」
「普通の女の子は、ひったくり犯を蹴り倒さない。よってお前は普通の枠から外れている。心配するな。無駄口叩くと体力消耗するぞ」
半ベソを掻いている梓を無表情の翔が眺めながら、カウンターをカチリカチリと押している。怜は翔の隣に立ち、助けを求める梓に憐みをもった微笑を浮かべる。
「今日は何セット?」
「五十、三セット」
「キツイねぇ」
そう言って怜は梓を見遣った。
梓は足つぼマットの上で二十キロのバーベルを肩に担ぎながら、スクワットをさせられている。普通に足つぼマットに乗っただけで痛い怜には、考えられない拷問だ。
普段これらの筋トレ、健康グッズは、翔が時間のある時に使用している物だが、偶にこうして梓のお仕置きグッズに変わる。翔はもちろん別々に使用するが。
翔は淡々とカウンターを押していく。
ワンセットが終わると、怜はペットボトルの水を梓に手渡した。それを半分飲んだところで二セット目が再開される。足つぼマットがなければ、ただの筋トレに過ぎないが、体重プラス二十キロは足裏に相当のダメージを与える。翔流 “石抱き責め” だ。
(更に加重されないだけマシだとは思うけど、大概コイツも鬼だよな)
普段は猫可愛がりする癖に、無謀な事をした時のお仕置きは容赦ないと思う。怪我したり死んだりされるよりは、断然いいと思うが。
正直、助け舟を出してやりたいが、危ない事に首を突っ込まれることは、怜としても止めて欲しい。それに対するお仕置きなら、たとえ梓に涙目で助けを乞われても、翔のやることに口は出さないのが、暗黙のルールだ。
二セット目も半分クリアした頃、不意に翔が口を開いた。
「あのオマワリ、気に食わないの俺だけか?」
「ああ……アイツでしょ? 生真面目っぽい顔して、やたらアズちゃんに視線送ってたよね。下手にシメたらこっちがヤバいから堪えたけど」
公務執行妨害で現行犯逮捕は頂けない。
翔も怜に同意だったようで、苦虫を噛み潰した顔になった。
「えっ!? お巡り、さんに、目ぇ付け、られる事、してない、よッ!?」
大分疲れのせいもあるのだろうが、本気で心配して蒼白になる梓に、翔と怜は能面のような面持ちを向ける。
暫らく梓を見ていた二人がスッと目を逸らし、翔が「厄介だよな」と話を戻した。
「ちょっとぉ。何で目ぇ逸らすの、二人ともっ!」
「足止めるな」
空かさず翔のチェックが入り、慌ててスクワットを再開する。ブスッくれた梓に悠然と微笑んだ怜が言う。
「僕は鈍いアズちゃんも好きだからね?」
「鈍いって、なにっ!?」
「可愛いって事だよ」
「それ明らかに違うでしょ!」
「止まるな」
明らかに違うと梓は言うが、怜はそこも本気で可愛いと思っている。
梓の鈍さのお陰で淘汰されて行った男共も多く、愛すべき天然のバリアだ。鈍さは怜にも如何なく発揮されるが、それはそれで愉しむことも可能だ。
「アズちゃん?」
「な、なに?」
「ずっとそのままのアズちゃんでいてね?」
「は…? はい」
首を傾げながら梓が頷くと、怜は満足気に微笑み「早く結婚しよ」と笑みを深くする。流れで頷きかけた梓よりも早く、翔は「どさくさか」と怜の尻を思い切り叩きつけた。
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