上 下
50 / 115
6. 梓、ビビッて逃走する

梓、ビビッて逃走する ⑪

しおりを挟む
 

 意識を手放してしまった梓に怜は自分の上着を掛け、肘掛けに腰掛ける彼はソファに身を沈める彼女の髪を繊細な指先で梳いている。
 復帰初日の始業開始間もなくから、気絶させるほど抱くなんてと、自嘲の笑みが浮かぶ。
 感じていながら必死に理性を保とうとする梓が可愛くて、ついやり過ぎてしまった。

 怜にしがみついて身悶える梓を思い出し、鎮まったはずの半身が力を取り戻そうと疼き出す。初めて梓を抱いたあの日から、狂ったように彼女を欲しがる雄に、怜自身が戸惑いを隠せない。
 どうしてもっと早く、この愛しい存在に気付けなかったのか。
 自分の感情を把握できていなかったなんて、迂闊にも程がある。
 眉を寄せて微かに呻いた梓の頭を撫でると、ふにゃりと笑う。怜も釣られて目元を綻ばせた。

(さてと、どうするか……)

 急な雨に降られた時のために用意していたタオルで梓を綺麗にしたものの、女性物の下着の替えは流石に置いていない。
 下着を穿かせないまま一日過ごさせるのも、怜には魅惑的なシチュエーションである。動作の一つ一つに気をつける梓は、きっとゾクゾクするほどの官能を彼に与えてくれるはずだ。けれどその反面他の誰が知らなくても、梓は自分が下着を付けていないことを恥ずかしがり、態度の何処かに男をそそるような色香を漂わせるだろう。そんな姿を堪能していいのは自分だけでいい。他の誰にも見せたくない。

(ずっとこのまま、閉じこめたい……)

 眠り姫を愛でる双眸はとても穏やかだ。

 不意にそれを妨げようとするノック音。
 怜は扉を睨んで舌打ちをした。

「れーいッ! 速やかにアズちゃんを解放しなさいッ!!」

 そろそろ来るだろうとは思っていたが、扉を叩く音がドンドンと鳴り響いて煩い。怜は苛立ちを露わに「うるさい」と扉を開けた。
 由美にドンと胸を突かれ、怜は思い切り渋面になって彼女を見下ろす。

「あんたねえ、いつまでアズちゃんを拉致ってるつもり!? アズちゃんを迎えに来た何人かが、扉の外までダダ漏れのエロオーラにビビって戻って来たんだけどッ!? 一体何しに来てんのよ、ホントにもお」

 由美は一気に捲くし立て、怜を押しやって中に入り込むと、彼女は絶句して高校からの友人を呆れた眼差しで振り返った。

「ここまでする? あんた鬼なの?」
「イかせてあげないまま放置する方が鬼じゃない?」

 とんでもない反論に、由美はしばらく開いた口が塞がらなかった。
 数分して気を取り直した彼女は大きな溜息を吐き、やれやれと首を振る。

「ここは神聖な職場です」
「……はい。その通りです」

 申し訳なさそうに頷く。しかし由美は疑いの眼差しで怜を見、

「代表自ら、風紀を乱すようなことは避けて頂けませんかね?」
「仰ることはご尤も。しかしながら、アズちゃんの可愛さについ手が出てしまい」

 本当に反省しているんだか疑わしい本音が、怜からポロリと零れた。由美も微妙な顔をして頷いてしまう。

「その気持ちは、解らなくもない。抱きついてウリウリしたくなる事、多々あるし。が、真似をする社員が出ても困るんで、ヤるなら然るべき所に連れ込んでヤって頂戴」

 翔が聞いたら憤然死してしまいそうな事をペロリと言った由美に、怜も至極まじめな顔で頷く。

「了解した。あ、そうだ。姉御にお願いがあるんだけど」

 そう言った怜を睨む目でじろじろ見る。由美は顎をしゃくり「ふん」と鼻を鳴らしていい顔しない。まあ当然だ。

「あたしにお願いできる立場だと思ってるの?」

 斜に構えた彼女に怯みもせず、チラリとソファを振り返る。由美も釣られて梓に視線を向ける。

「でも利いてくれないと、アズちゃんが困るかも」
「アズちゃんが? 一体なに?」

 訝しんだ由美の分かり易い態度に、怜は苦笑を浮かべる。由美の関心を惹くことに成功した怜は内心ほくそ笑みつつ、困っている感を醸し出した眼差しで彼女を見た。

「パンツ、買って来て」
「……はい?」
「アズちゃんの事だから僕が行きたい所なんだけど、ほら、この辺じゃ顔割れてるし。芋蔓式にアズちゃんのだってバレると、ねえ」

 梓が困るからと暗に言うと、由美はがっくりと膝を着き、手を着いて項垂れた。

「何であんたの尻拭い」

 納得いかない怒りオーラを全身から迸らせ、くぐもった声を吐き出す由美の前に怜はしゃがんだ。両膝に頬杖を着き、わざとらしい溜息を吐く。

「ごめん。でもノーパンで過ごさせるのも可哀想じゃない」
「そうだけどッ……いいわよ。行ってくるわよ」

 由美が諦めて手を出すと、怜がスラックスの尻ポケットから長財布を取り出した。そこに由美は空かさず手を伸ばし、中から一万円札を一枚抜き取ると「御馳走様でぇす」とピラピラさせて怜の部屋を後にした。


 復帰早々、スタッフから生暖かい目で見られる事になった梓は、今度こそ本気で転職しようかと考えるのであった。


 ***


 AZデザイン事務所に戻ってから早十日。
 怜の溺愛ぶりははっきり言って目に余る、と梓は思っているのにみんな怜に甘い。
 彼ら曰く、『ボディタッチが少々増えたくらいで、前とそんなに変わってないでしょ』
 アレで少々か!? と愕然とする梓だったが、みんな忙しいのにいちいちそんな細かい所まで構っていられないらしい。

 怜は怜できっちり仕事はしているし、彼の行動云々よりも寧ろ、『怜さんがまた暴走して大事になる前に、サクッと処理してね』と釘を刺される始末だ。
 丸投げ感が半端ない。
『自社の代表なのに』
 それを言ったら『婚約者なんだから』とやんわり諭され、『まだ結婚するとは言ってない』と反論すれば、みんな薄ら笑いを浮かべる。
 怜から逃げられるものならやってごらんと言わんばかりに。

 彼から逃げるなんて、無理だ。
 怜は決して諦めてくれたりしない。彼の本気をあの三か月で思い知った。
 翔にどうにかならないものかと相談したけれど、怜の手を取った時点で兄はすっかり拗ねてしまったようで、『裏切者は自分で何とかしろ』と相手になってくれない。
 怜以外の事なら何だって話を聞いてくれるのに、そう思ってから無神経だった自分を猛省した。
 相談できる立場じゃなかったのに。

 怜は暇さえあれば梓の様子を覗きに来て、何かしらの餌付けをして行く。それ自体に何の不服もない。寧ろ歓迎。ただ『あーんして』攻撃は止めて欲しい。由美が隣で全身掻き毟っているのを見るのは忍びない。先日は掻き過ぎて流血していた。

(やられるあたしも羞恥プレイに泣きたくなるけど、見せられる方も拷問よね……)

 梓は悪くない筈なのに、ひたすら御免なさいを唱えてしまう事が増えた気がする。
 そして、怜は理由を付けては自分の部屋に梓を呼ぶ。
 翔の手前もあるし、出来れば控えて欲しいのだけれど、怜が言うには、変に遠慮する方が翔は気にするだろうし、彼に僅かでも付け入る隙を与えて、揺さぶられるのは御免被るらしい。

(少しは気にしても良いと思うよ? あたしは)

 最初こそ一人で怜の部屋に行かないようにし、常に扉を解放していたら、怜は不服申し立てをして来た。彼の抑えが利かなくなったのは、そもそも彼を蔑ろにしている梓のせいだと責められ、適度な触れ合いと週末の時間を怜の為に割くことを条件に、会社で梓に厭らしい事を強要しないと自ら誓った。
 なんか怜の良いように、旨い事話を勧められていると思わなくもないが、人事不省になるよりはマシだ。あれは本当に居た堪れなかった。
 みんな何も言わないから、妄想ばかりが拡がって却って羞恥が掻き立てられる。なのに怜は至ってマイペースで、翔は大仰に溜息を吐くに留まった。

(で。適度な触れ合いとはどこまでのことを言うんだろ?)

 目下、最大の悩みである。
 スタッフの前で構われるのも充分恥ずかしいのに、怜は何かにつけ触れて来る。
 子供の頃からの付き合いのせいか距離感が近い人だったけど、付き合いだしてからそれがゼロになった。
 以前は触られようが、抱き着かれようが平静でいられたのに、それが今では厭らしい手付きで触られた訳でもないのに、そこが熱を持ってもっと触れて欲しくなって、怜に触れたくなって、でも口が裂けたって言えないから、梓は一人身悶えてしまう。
 精神衛生上、誠にもって宜しくない。

 心の在り方が変わっただけで、こんなにも身体に現れる反応が違うなんて、恋愛初心者には手に余る案件だ。
 心臓が保つ自信がない。
 だから、最近怜の姿を見た瞬間逃げ出してしまうのは、見逃して欲しいと切に願ってしまうのだ。

しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

彼氏に別れを告げたらヤンデレ化した

Fio
恋愛
彼女が彼氏に別れを切り出すことでヤンデレ・メンヘラ化する短編ストーリー。様々な組み合わせで書いていく予定です。良ければ感想、お気に入り登録お願いします。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...