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6. 梓、ビビッて逃走する

梓、ビビッて逃走する ⑨

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 怜は朝から呼び出されて少々……否。大分不機嫌だった。
 創立五十周年のブライダル会社社長の間島に呼び出され、憮然とした顔を隠しもせず、応接セットに腰掛けている。
 こちらの仕事は去年の秋に終わっているし、それで問題ないとなった。
 大して難しい仕事だった訳ではない。成約したカップルに配る記念品のデザインを幾つか頼まれただけだ。
 人のことは余り言えないが、この社長も大概しつこい。

「だから何度もお断りしてるじゃないですか」

 同じ事をもう何度言っているだろう。いい加減うんざりしてくる。

「そこを何とか」
「何とか出来るわけないでしょ。お孫さんと結婚する気はありませんよ」

 去年の夏に騙し討ちにして見合いをさせてからと言うもの、思い出した頃にこうして理由を付けては呼び出して、粉を掛けてくる。
 疲れた表情をした怜を覗き込むように、間島が身を乗り出してきた。怜は僅かに眉を顰め、心持ち身を引く。

「だったら何故、うちの孫ではダメなのか、納得いく理由を聞かせてくれないか?」

 納得する理由と言われて、頭に浮かんだのは梓の顔。
 この社長に話すのはどうにも気が進まないのだが、無理だってことは納得して貰わないと、今後もまたしつこく食い下がってくるだろう。放置して後々不具合を起こされても困る。

 一度会ったきりの相手の記憶に残った印象は、化粧が濃かった事と香水の臭いがきつかった事しか思い出せず、“お孫さんは生理的、生物的に受け付けない” と本当のことを言ってやりたいが、お得意さまに角が立つようなことを言っても仕方ない。
 怜は嘆息し、長い付き合いの社長の顔をマジマジと見遣った。

「僕には、十四年の付き合いで、結婚したい女性が居ます」

 そう言うと、間島は戸惑ったような笑みを浮かべた。

「そんな事今まで言わなかっただろう?」
「私的なことをベラベラ言わなかっただけですよ。とにかく彼女以外は考えられないので、今後一切、この話はしないで頂けますか?」

 拒絶を浮かべた笑みを見て尚、間島は諦めない。
 怜を可愛がってくれているのは嘘じゃないだろうけど、彼の実家を知るまではこんな無理を押し付けてくるような人ではなかった。それが少々悲しくもある。

「それが作り話じゃないって証拠は?」

 その場凌ぎの嘘だと思われているのか、と怜はほとほと困った溜息を吐いた。
 証拠と言われて思案する。
 梓と一緒に写った写メでもと思ったが、それは勿体ないから見せたくないと考え直し、他の手立てとして思いついたのは。

「事務所の人間なら、全員知ってますが」

 怜が言っている傍から間島は立ち上がって、デスクの電話から掛け始めた。すぐ確認する辺り、彼の必死さが伝わってくるのだが、同情は出来ない。
 スピーカーにした電話機から、社名を告げる声がする。ソプラノのハキハキした声は木谷清香だ。彼女と挨拶を交わし合って、間島は本題に移った。

「先刻南条くんに聞いたんだけど、彼、結婚するの?」

 唐突で個人的な質問に答えて良いものか、清香は逡巡を見せつつ口を開く。

『……それが、何か?』
「いやね。その話が本当なら、うちとしても営業掛けないと」

 清香は訝しんで訊き返したものの、付き合いの長いブライダル会社の社長にそう言われたら、『それは当然ですよねぇ』と向こうできゃらきゃら笑う声。

『ここで怜さんから回収する算段付けないとですよね』
「そうそう。で、いつ頃結婚しそうかな?」

 間島はチラリと怜を見ると、怜が肩を竦めて見せる。

『いつ頃…? 少々お待ち下さいね……梓さ~ん。怜さんといつ頃結婚しますぅ?』

 通話口を全く覆っていないだろう会話が、そのままスピーカーから流れて来た。

『な……なに? 急に』
『間島社長が怜さんに営業掛けるって言ってますよ?』  
『げっ。怜くんもう話しちゃってるの!?』
『その様ですね。あ、梓さん。今の会話、筒抜けですからね?』

 シレっと言った清香に『保留にしてないの!?』と梓の強張った声がする。それに平然と『はい』と答える清香。怜は思わず吹き出しそうになって、慌てて口を塞いだ。
 一連の会話で間島の顔が強張っているのを見、会話が筒抜けなんて普通だったら有り得ないことをやってくれた清香に心の中で拍手する。

(清香ちゃん、グッジョブ)

 平静を保とうとしている間島には悪いが、夏からの鬱陶しい案件が片付きそうで、怜の顔がニヤついた。
 電話の向こうでは、気まずげな沈黙が降りている。
 暫くすると『……こっちに回して』と重々しい口調の梓の声がした。

『こほん。あ~…お電話代わりました。大石です。あの…うちの南条から、どこまでお聞きでしょうか?』

 出来ればこの話題に触れたくない、そんな戸惑いを含んだ口調に、怜が些かムッとした。すると間島の顔が薄く微笑んだ。

「結婚したい女性がいるってところまで。営業掛けるなら、早いに越したことないでしょう?」
『ご尤もだと思いますが、話が出たのは暮れのことなので、まだ何もその……南条はもう帰りましたでしょうか?』

 間島は梓の返答を聞くと残念そうに怜を注視し、「ええ。先程戻りましたが」と答える。それに梓が『他にもご用件はございましたか?』質問を重ねて訊き返すと、間島は終了の旨を告げて電話を切った。短く溜息を吐いて怜を見て、また溜息を吐く。
 肩をがっくりと落とした彼は、急に老け込んだように見えた。

「大石さんって、大石くんの関係者?」
「妹です」
「彼って、妹さんを溺愛してるって話だけど?」

 梓の名前から取って二柱の会社名に付けたことは、大概の顧客は知っている。
 怜は大きく頷いてゆったりと微笑んだ。

「してますね。ボコボコに殴られて、二日寝込みましたよ」

 実際は梓を手籠めにして殴られたのだが、ここは言わなきゃ分からないから、彼の解釈に任せる発言をする。
 怜のその微笑みとは真逆の内容に、間島はもうそれ以上何も言えなくなった。



 梓はエレベーターの前で、怜の出勤を待ち構えていた。
 間島の所から他に行くとは聞いていないので、もうそろそろ出社してくる時間と当たりを付けて、受付前で仁王立ちする。その姿を受付嬢の滝本が不思議そうに眺めていた。

 現階数を知らせる表示を見上げる目が、心なしか三角だ。
 八階を表示したのを見る目に力が篭もり、扉に視線を移した。ゆっくり開かれる向こうに怜の姿を確認する。彼も梓にすぐ気が付き、満面の笑顔で扉が開ききる前に、一歩踏み出している。
 怜と偶々同乗できたことを喜んでいた女性陣の顔が瞬く間に殺気立ち、梓は無意識に睨み返した。

「ど……どうしたの?」

 梓の睨みを正面から受けた怜まで思わず後退り、ちょっとビビって聞いてくる。

「怜くん。ちょっと顔貸して」

 ぐっと怜の腕を取って引っ張り、悔しそうに顔を歪める女性陣を一瞥する。閉まる扉の向こうに地団駄を踏む姿を見、ついっと視線を逸らして怜を引っ張って行く。

「どうしたの。アズちゃん?」

 困惑した面持ちの怜をチラリ見遣って、無言のまま怜の部屋まで行くと、扉が閉まった瞬間梓は口を開いた。

「まだ結婚するとは言ってない!」

 そう言って怜を睨み上げ、梓は言を継ぐ。

「その事で間島社長から電話があって、否定したら怜くんの立場なくなるから、話が出たばかりで何も決まってないって濁したけど、勝手に話し進めないでよッ!」

 口を尖らせて上目遣いに睨むと、怜は眉を寄せて少し悲しげな顔で「ごめんね」と梓の頬に触れてくる。その顔反則、と心中で抗議しているのは表情に出さず、身じろいでその手から逃れようとした。すると怜は彼女の腰を抱き寄せ、「ちょっとだけ聞いてくれる?」と梓を見下ろした。応えるように顔を上げると、怜がニコリと笑う。

(く~っ。この男、あたしが顔に弱いって知ってるから、容赦なく使ってくるわね!)

 もうその笑顔で半分くらい許してしまいそうだ。
 怜は扉に背中を預け、梓の髪を優しく梳いていく。
 彼の指が気持ち良くて、つい怜の胸に身を委ねてしまうと、腰を支える腕に僅かに力が入った。密着度が高くなり、急に恥ずかしくなって俯いた梓の頭頂に、怜が軽く口付けを落とす。

「社長が、自分の孫と結婚しろってしつこいから、結婚したい人が居るって言った。それが嘘じゃないって証明できるのか訊かれたんで、事務所では公認だって言ってしまったんだ。アズちゃんを追い込もうとか、そう言うのじゃない事は信じて?」

 信じて貰えないのは寂しいと言わんばかりの潤んだ眼差し。
 彼には彼なりの事情があったことを知り、先刻まで目を三角にして怒っていたのが馬鹿らしくなる。怜の背中に手を回した。

「ごめんなさい。いきなり怒って」
「平気だよ。気にしてないから」

 見上げた梓に怜がうっとりとする美麗な微笑みを浮かべる。

「……ん?」
「ん?」

 梓が怜に見入って眉を寄せると、彼は微笑んだまま首を傾げた。
 腰に回された手がもぞもぞと不穏な動きをしている。

「怜くん? 何してるのかな?」
「う~ん。アズちゃんのお尻が気持ちいいから」

 瞬く間にスカートがめくれ上がり、怜の手がするりと滑り込む。梓が咄嗟にその手を掴んで「ちょっと!ここ会社ッ!!」と抗議の声を上げるも空しく、指がショーツの中に忍び込んだ。

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