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6. 梓、ビビッて逃走する
梓、ビビッて逃走する ⑧
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二月一日。
梓は古巣に帰って来た。
エントランスホールに立った時に感じた周囲の視線。
敵愾心剥き出しの刺さる感じは、実に半年ぶりだ。
そして改めて、ここが伏魔殿だと思う。
これはあくまで梓個人の感じるものであるから、穿ったものの見方をしているかも知れない。けど “何しに戻って来やがった” “辞めたんじゃねーのかよ” 的な? 言葉遣いはややデフォルメされているかも知れないが、心理的には概ねイコールだろう負の感情がおどろおどろしく、このオフィスビルで勤務する数多の女性たちから生み出され、梓の背後から襲い来る――――感じがするのはまあ、いつもの事。
(一刻も早く、うちのフロアに行きたい……っ!)
エレベーター待ちしている背中が痛い。
もし視線で人が刺し殺せるものなら、今頃梓は滅多刺しにされ、肉片になってその辺に転がっている事だろう。
想像してぶるると震えた。
代表二人がフレックスタイムで良かったと思う。
翔ファンはまだいい。女子ネットワークによって、梓が妹だって知られているからまあまあ友好的だ。中には迷惑なお願いをしてくる人や、それを断ってから逆恨みしてくる人が無きにしも非ずだけど、先ず先ず良好。
問題は怜ファンだ。
女神さまと称えるほどの中性的で美麗な面立ちと、百八十を超えた長身、難関と有名な芸大卒の学歴と代表取締役の肩書を持つ彼を、狙わないハンターはいない。全てこれは会社のホームページの何処かしらで公開されている。
当たり前に彼の周りをチョロチョロ(したくてしていた訳じゃないが)する梓は、彼女たちにとって大いに邪魔者だ。
後はごく少数の香子の同類と思しき女子だろうか。彼女たちは表立って何か仕掛けてくることはないけど、二人が一緒の所に混じると睨まれる。
何だかなぁと思いつつ、二人から離れればいいだけだから良しとして、二人にがっちりガードされている時は、彼女たちの妙なオーラが怖い。
扉が開いたエレベーターに乗り込み、嫌がらせの様に奥へと押し込まれる。壁に突き当たって身動きできないなんて、余りに変わらな過ぎて妙に懐かしくなってしまうが、決してMではない。
(うわ~。荷物、潰れなきゃいいけど)
梓はこっそり溜息を吐いた。
先のことを考えると、彼の手を取ったのは少々早まったのではないかと思っている今日この頃。
正月以来、怜の過保護と独占欲がパワーアップしてしまい、本当は復帰初日の今日も一緒に出勤する気満々だったのだが、得意先の社長から呼び出しを食って泣く泣くそちらに向かった。
翔か怜と一緒ならば圧し潰されることないけど、見えない所で痛い嫌がらせされるし、それを口に出して訴えれば、一人になった時が怖い。
(こっちも本気でやっていいなら、なんも怖い事ないんだけどねぇ……段なんて取るんじゃなかったよ……はぁ)
翔と怜に褒めて貰いたい一心で、空手の昇段試験を嬉々として受けていたあの頃の自分が恨めしい。
婦女子相手にそれを揮おうものなら、格好の口実を与えてしまい、会社に多大なる迷惑を掛けてしまう。それは梓が望むことではない。
怜がいたら、恐らく梓に指一本触れさせない、とは思う。
その反動が怖い。
今更言っても詮無い事とは知りつつも、何故この可能性を考えなかった、と年末の自分に言いたい。
就業中は一切AZデザイン事務所から出なければ、ほぼ安全。けど、事務職員は公共機関に行くことも多々ある訳で、その一切を他に押し付けて篭ってばかりもいられないのが現実だ。
チーンと音が鳴って、AZデザイン事務所の八階フロアでエレベーターが停まり、梓は首を傾げた。乗り込んだ時、階数ボタンを押しそびれたので、上に行くだけ行ってから降りてこようと暢気に考えていた。
扉が開くと、ガンッという音がしてビクリとする。見れば「アズちゃん!」と呼んで押さえ込んでいる由美がいた。梓を敵視する女共を睨み据えた由美の迫力に、ここに居る全員が固唾を飲んだ。多分。
梓が慌てて降りると、由美は「チッ」と舌を打って手を離し、扉はゆっくり閉まって上に上がって行った。
「あずちゃ~んッ!」
コロッと表情を変えた由美が、緩み切った笑顔で梓の首に抱き着いて来た。ぐりぐりと頬擦りされてよろめき、梓は踏ん張って堪える。すると脇から笑い声が聞こえて、首だけ振り向けば、エレベーター前受付カウンターの滝本さんが「おかえりなさい」とやっぱり笑いながら言ってきた。
“おはようございます” ではなくて、“おかえりなさい” と言われ、恥ずかしいけど何か嬉しい。帰って来るのを待っていてくれた人がいて、安堵と同時にほっこりした。
「ただいま」
梓は満面の笑顔を浮かべた。
久々の事務所に入り、梓は深呼吸する。
出入り口でそんな事をしていたら、背後からいきなり抱きつかれ梓は変な声を上げた。
「どぅあっ」
「梓さんだ~ぁ」
そう言いながら背中に頬擦りするのは、同じ事務方の一年生、木谷清香だった。肩越しから振り返って「おはよぉ」と微笑むと、清香も満面の笑顔になる。
「長々とお休みしてしまい、済みませんでした」
不在の間、梓の分もカバーしてくれていた二人に、深々と頭を下げた。そして徐に紙の手提げを差し出す。
「大した物ではございませんが、休憩時間にでも皆さんでお召し上がり下さいませ」
畏まって菓子折りを差し出せば、由美が「あらあらご丁寧に」と笑いながら受け取ってくれる。それを隣でニコニコ笑って見ていた清香に視線を移した。
「ごめんね。清香ちゃんの指導が中途半端になっちゃって」
「大丈夫です。由美さんが優しく、時に鬼のように教えてくれましたから」
「鬼だなんて、一言余計ではなくって?」
「そ……そですね。怜さんへの扱いに比べれば、天使でした」
「でしょお?」
一体怜はどんな扱いを受けていたのだろう?
梓の笑顔が引き攣ると、由美が悪びれもない笑顔で。
「諸悪の根元をのさばらせておく程、あたしは優しくない」
元より由美は、翔と怜の扱いがぞんざいだ。気心の知れた友人同士と言うのもあるだろうし、他の者では上司に言い難い事をはっきり言ってくれる由美を、二人とも敢えて放置している。
「けど、本当に怜なんかで良かったの?」
「なんかって……」
他の選択肢は怜に潰され、この先も潰され続けるのが目に見えている。捕まってしまった今となってはもう無理だ。
アパートがバレてから毎日、三ヶ月以上も通ってきた怜を結局無視できなかった。絆されるなと言われたら、ホント申し訳ないですとしか返せない。
梓が虚ろな笑いを漏らすと、由美が表情を硬くして彼女の両肩に手を置き、大きな溜息を吐く。
「アズちゃんもそこんとこ解っててだろうから、あまり言いたくはないけど、これからもっと大変だよ? あれと結婚するとなったら」
「……ですよねぇ」
復帰初日から早くも挫折しそうになった。
これで怜が人目も憚らずになったら、すぐさま死亡フラグが立ちそうだ。
無駄にスペックの高い男が “お兄ちゃんポジション” だった時は、まだ自分の中で言い訳することも出来たけど、“結婚前提のお付き合いをする” となった今では、微妙な後ろ暗さを感じてしまう。
何に? 誰に?
このビルの怜狙いの女性たちは、部外者なんだからそこまで気にすることもないのだろうけど。
「うおっ! 梓ンだーッ!!」
背後からした男性の声に振り返る。
「ナマ梓がいるッ」
「ナマ梓って……」
「今日からだって聞いてたけど、実物見ないと信じられないでしょ」
そう言うのは同期入社のデザイナー、プロダクト担当の三井真だ。怜の直属の部下でもある。
「梓ンが来なくなって、怜さんホント何やらかしてくれたんだって思ったけど、復帰してくれて良かったよぉ」
「ごめんね」
「梓ンいないと、あの二人ホント安定しないって言うか、見てて痛いんで。もう絶対にいなくなんないでよッ!?」
「……申し訳ない」
部下にこんな風に言われている二人って、と悲しい笑いが顔に張り付く。
その後も続々出勤して来た社員に声を掛けられ、釘を刺され、梓が業務を開始できたのは優に一時間も経ってからだった。
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