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6. 梓、ビビッて逃走する
梓、ビビッて逃走する ④
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晦日の午後、怜がアパートにやって来た。
この日は翌日からの激務に備えて、偶々休みを入れていた。まさか怜のために使うことになるとは、思いもしなかったけど。
手を繋いで年末年始の買い出しに行き、お茶を飲んで帰宅する。
狭い台所に二人並んで夕飯を作り、テレビを見ながら食事を済ませた。
先に入浴を済ませた怜は「ユニットバス狭すぎ」と髪を拭きながら文句を言っていた。梓でももう少し広さが欲しいと思うのだから、百八十越えの怜にはもっと厳しいと思う。
次いで梓も入浴を済ませ、猫っ毛の天然パーマが絡まないように、怜に丁寧に乾かして貰いながら、テレビにツッコミを入れて笑いあった。
ここまでの一連の流れは、通常運転だ。怜との関係が変わる前から、何だかんだと梓に手を掛ける人だったのを久々に体感した、その程度の感覚しかなかった。
怜がバックハグし、脚の間でちんまりと座る梓の髪に鼻を埋めている。これは想定外だった。何か居心地が悪くて、もぞもぞ動く梓を見逃がして解放はしてくれない。
(嫌って訳じゃないんだけど、なんか恥ずかしいよぉ)
こんな姿勢は、本当に小さい頃翔にして貰って以来だ。
「アズちゃんの匂いって安心する」
「そ、そお? お兄ちゃんも同じこと言うけど」
梓が赤ん坊の頃かららしいので、かなり年期が入ったフェチだ。
「翔の特権みたいなとこあったけど、今は僕が独り占めでちょっといい気分」
すんすんと鼻を鳴らしては、ぐりぐりと擦り付ける。
微妙にマーキングされているような、と思いつつ口には出さない。もっと他のマーキングも有るよと言われ兼ねない発言は、避けるに越したことはないだろう。これでもちょっとは成長したんだと、こっそり自画自賛している梓だ。
面白い番組もなくなって、そろそろ寝ようかと梓はロフトに上がって行く。そして怜を呼びつけると、布団を一式彼に落とした。
「え……布団?」
「セルフサービスでお願いします」
言いながら唖然としている怜を放置したまま、梓は梯子をロフトに引っ張り上げた。
「うわ~。何なのこの徹底ぶり」
「文句あるなら帰って頂いても構いませんが?」
「何でもありません」
すごすごと引き下がり、テーブルを押し退けて布団を引く怜を上から眺め下ろす。
布団が小さそうだな、とぼんやり思う。
郁美が使う設定で買ったものだから、ロングサイズは必要なかった。今更買い足すのも馬鹿らしいし、我慢して貰うしかない。
普段布団など敷くこともないだろう怜は「よしっ」と満足そうに頷く。どうやら納得の仕上がりになったようだ。
「布団敷くなんて部活の合宿以来だなぁ」
妙に感動している怜に思わず吹き出すと、ロフトの梓をちょっと恨めしそうに見上げて来る。梓はすっと目を逸らして「消灯しま~す。おやすみなさ~い」と照明のリモコンで灯りを消すと、下から「おやすみ」と聞こえて来て、にまっと笑ってしまった頬を思い切り抓った。
大晦日。十時出勤の梓を送り出して、家の掃除を終えると、簡単な正月料理の仕込みに取り掛かる。
高校の頃、翔と一緒にサパークラブの厨房でバイトをしていた。そこで色んな料理を教わったのが、とても役に立っている。
元々は翔の叔父、光明の元恋人でオーナーの智樹が経営する店で、翔がバイトしていることを知り、智樹に交渉して夏休みだけ雇って貰ったのが切っ掛けだった。結果的には起業して辞めるまでの六年間、二人とも働いていたが。
バイトを始めた当時、翔とはまだ普通の同級生で、同じ空手部の部員に過ぎなかったが、秋には付き合ってた。どこでどうなるか分からないものだ。
そして梓に出会った。
翔の交友関係は光明から引き継いだ人たちばかりで、当然ゲイが殆どだったが、彼らが一様に可愛がっている少女の存在が、もの凄く興味を惹いた。
自分だけ会った事がないのは、みんなと話が合わないし不公平な気がして、翔に会わせて貰った。
会って納得した。
ふわふわな綿菓子みたいな子、というのが第一印象。翔の背後に隠れて怜を窺う様子をじっと見遣る。確かに綺麗な顔立ちはしているけど、みんなが褒め称える程の子だろうか? そんな疑問を持った瞬間、梓が怜に微笑んだ。
翔の言葉を借りるなら、その瞬間 “堕ちた”。
保護欲を引きずり出す笑顔、と言うのだろうか?
翔の妹に生まれたが故の天性の処世術とでも言うのだろうか?
彼が女子からの誘いを断る時、相手をジロジロ見て『うちの妹に負けてるから無理』とシスコン全開の血も涙もない断り文句を使っていたが、満更嘘でもないと納得してしまった。
実際はゲイだから無理だったのだが、断り文句に使われ続けた梓は一部の女子に嫌われていたのは余談だ。
とにかく梓にはそんな奇妙なオーラがあって、気が付けば翔と一緒になって猫可愛がりするようになっていた。
それから十四年。梓とこうして結婚を前提に付き合っているのだから、巡り合わせというものは不思議なものだ。
別炊きの里芋に串を差し、怜は首を傾げる。
「いつから、好きだったんだ?」
心の声がポロリ零れる。
翔は何となく気が付いていたようだが、本人自覚がないままとんでもない行動に出てしまった。そのせいで梓を酷く傷つけたことは、悔いが残る。
もう失敗は出来ない。
「いつまでお預けかなぁ」
つい本音が漏れ、深い溜息を吐く。
ミートローフと鮭の南蛮漬け、筑前煮と伊達巻。
遣る瀬無さを感じつつ、梓の好きなものばかり作っている自分が、ちょっと可愛くなった怜である。
翔は久々に学生時代のバイト先、サパークラブ “Drop of the desert” へ顔を出した。
新年をここで迎えようとする客で、店は繁盛しているようだ。
一人でひょっこり現れた翔に、顔見知りの常連たちが「どうした一人か?」と集まって、彼を仲間の所へ引っ張って行く。
「アズちゃんと怜はどうした?」
この数年、三人がここで年越しするのが定番になっていた。不思議がって聞かれても仕方ない。
「アズはちょっと家を出ていて、怜はアズんとこに行ってる」
「「「えッ!?」」」
「その “えッ!?” は何に対しての “えッ!?」
周囲の驚いた顔を眺め渡しながら訊き返す。
すると周囲は一気に捲し立てて来た。
「翔がアズちゃんを家から出すって、何事ッ?」
「何で怜がアズちゃんと一緒なんだよ!?」
「今年最後のアズちゃんスマイルなしッ!?」
「翔、ぼっちッ!?」
余計なお世話だと言いたいのを堪え、こっちにやって来たこの店のオーナー、智樹に手を上げた。
「よう。半年ぶりだな」
「悪かったよ。ご無沙汰して」
「まったくだ。一人なんて珍しい事もあるもんだな」
怜と付き合うようになってからはいつも二人で、梓が飲めるようなってからは三人で来るのが当たり前になっていたから、智樹にそう言われて翔は苦笑した。
「梓と怜、結婚する、らしい」
翔からの予想だにしなかった告白で、周囲から酒の一斉噴射を見舞われた。
顔から唾液混じりの酒がぽたぽたと滴り落ち、翔のこめかみに青筋が浮かぶのを見るやみんな慌てておしぼりを手にし、謝りながら拭いている。
翔は一人からおしぼりを奪い取り、顔をごしごし拭くと棒立ちになっている智樹を見上げた。翔が「そう言うことなんで」と智樹に言えば、彼は「それでいいのか?」と訊き返して来た。
「良いも悪いもアイツ、梓に手ぇ出しやがったから、責任はきっちり取らせるッ! 梓は綺麗なまま嫁に出すって墓前に誓ったのに」
「「「嫁に出す気、あったんだ?」」」
異口同音で言われて返す言葉がない。
まあ一応、両親の墓の前だからそう誓ったものの、そんな物はあくまで建前である。墓に建前翳してどうするって話だが、翔を打ち負かす様な男以外に、可愛い妹を託すつもりは毛頭なかったのだ。
「怜にアズちゃんを取られたんだか、アズちゃんに怜を取られたんだか」
「うるせーよ」
「なんにせよ、翔がフリーになったぞ――――ッ!!」
そう周囲に叫ぶと、雄叫びが上がる。
押し寄せて来る人波に圧されながら、「誰でもいい訳じゃね――――ッッッ!!」と叫んだ彼の声は、全く耳に届いていないかのようにあしらわれるのだった。
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