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6. 梓、ビビッて逃走する

梓、ビビッて逃走する ①

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 相変わらず怜は毎日やってくる。
 そして必ず『好きだよ』の言葉を蕩けるような微笑みで語る。
 梓は変わらず怜に冷たく接する。
 なのに怜は優しく微笑んで『おやすみ』と帰って行く。

 年末年始はバイト三昧だった。
 クリスマスはバイトの出勤率が一気に下がると嘆いた店長を見るに見兼ねて、ちょっと残業したら血相を変えて怜がレストランにまでやって来た。
 梓が真面目に働いているのを見て、安心の為か出入り口でしゃがみ込んで大きな溜息を吐いていた。その後、「クリスマスなのに何で働いてんのッ!?」と理不尽にも怒られて、カチンときた梓は怜を店に残して裏口から帰ってやった。

 置いて行かれたことに気が付いた怜がやって来たのは、梓が帰宅してから七分後で、思いの外早かった。
 この何年もクリスマスを一緒に過ごし、怜にとってはそれが当たり前の事になっていたから、つい感情的になったらしい。玄関の前でずっと「ごめんなさい」を繰り返すものだから、帰宅して来た住人の笑い声や怜に話しかける声が聞こえて来て、恥ずかしさの余り思わず玄関内に引っ張り込んでしまった。
 ただでさえ近頃、怜狙いのお姉さま方に “鬼認定” されているのに、勘弁して欲しい。

「もおっ! 恥ずかしくてここに住めなくなるじゃない!!」
「だったら前倒しで帰ってくれば? はい。クリスマスプレゼント」
「あ。ありが……」

 クリスマスに反応した手が今までの調子で出てしまい、その手にプレゼントが乗せられている様に、どっと自己嫌悪がやってくる。
 子供の頃から翔と怜に物を貰うことに慣れてしまって、条件反射で手が出る。殆どパブロフの犬だ。こんなだから二人に懐柔されると解っているのに。情けなくて涙も出ない。

「またこーやって物で釣るぅ」
「だってクリスマスだよ? 好きな人に何かあげたいって思うでしょ」
「クリスマスだけじゃないじゃない」
「アズちゃんの喜ぶ顔見たいし」

 首を傾いで微笑む相貌に、うっかり見惚れてしまうのを怜は絶対に見越している。梓はくっと唇を噛んで顔を背けた。
 女神さまの微笑を褒め称えていた無邪気な頃の自分が懐かしい。
 梓は長々と溜息を漏らし、

「今年は何も用意してない」
「アズちゃんでもいいよ?」

 咄嗟に大きく後退していた。
 リビングの入り口に立掛けていた木刀を構えると、怜は「冗談だって」と笑ったけど目がマジだ。全身で警戒していると怜はクスクス笑う。

「大丈夫。もう無理やりしないから」
「…本当に?」
「本当本当。次は絶対に同意させるから」

 口角を上げすっと目を細めた笑みに、悪寒が走る。

「同意、って何ですか? 強制?」
「まさか。快く同意してくれるように、頑張りますよ?」
「……なんか、言葉通りに取ったらダメな気がするんだけど?」
「やだなあ。疑り深くなって」
「誰のせいよ」
「僕でしたっけね」

 素っ惚けた怜に完全に揶揄われてるのが分かる。
 どこまで本気でどこから冗談なのか。



 木刀を突き出し、胡乱な目で怜を見ていると、彼は苦笑して話を変えて来た。

「ところで年末年始は?」
「飲食店は掻き入れ時です」

 そう言った途端、怜の顔が思い切り嫌そうに歪んだ。
 怜の頭の中でクリスマス同様の文句が、きっとぐるぐるしている事だろう。

(クリスマスも正月も家族と居ないなんて、あたし人生初だもんね)

 高校生たちが普通にやっているバイトに反対して来た片割れを見る。

「えーっ。休み取ってくれてないんだ?」
「シフトはその前に決まってます。主婦のパートさんたち休みの人多いから、あたしみたいにフリーが頼りなのよね」
「アズちゃんはフリーじゃないよ」
「フリーでしょ」
「僕は? 毎日こんなに足繁く通っているのに、チラッとも考えてくれなかったわけ?」
「別にあたしが頼んでる事じゃないし。嫌なら来ないって選択肢もあるよ?」

 怜は一瞬目を見開いて、ズルズルとその場にしゃがみ込むと左手で頭を抱えた。聞えよがしの溜息を吐く。

「……自業自得とは言え、アズちゃんが冷たすぎてツライ」

 上目遣いに梓を見た。情に訴えるような、懇願するような目に応える必要はないのに、自分が悪いような気がしてきて何故かたじろいでしまう。

「アズちゃんがどう思っているか知らないけど、贖罪の為だけに毎日通っている訳でも、妹分として “好き”って言ってる訳でもないよ? 僕が順番を間違えたのが一番悪いんだけど、本当にアズちゃんが好きなんだ。良い所も悪い所も全部ひっくるめて、大石梓って人間を愛してる」

 潤んだ瞳が真摯に梓を捉えている。

(女性じゃなくて、人間ってきたかぁ。それってつまり、あたしが男でも女でも好きってこと、なんだよね?)

 大石梓を全肯定されるのは、悪い気分じゃない。
 頬が勝手に緩んでしまう。それを見ていた怜にも微かな笑みが浮かぶ。

「大石梓さん」
「は、はひっ」

 真剣な目でフルネームを呼ばれ、ビクッと跳ねて怜を見た。はひって何だとセルフツッコミを入れている目の前で、怜は立ち上がり姿勢を正した。

「僕と、結婚を前提に付き合って下さい」

 右手を前に差し出した。その手を取って欲しいという事なんだろうと、じっと手を見詰めた。それから怜の顔を見ると、どことなく心配気な笑みが浮かんでいた。
 城田に告白された時は、初めてのことで動揺して、真っ赤になって戸惑うばかりだったけど、今は意外に落ち着いている。

 長い付き合いだから?
 相手が怜だから?
 身体から入った関係だから?
 木刀を壁に立掛け、気付けば怜の手を取っていた。

 梓の手をぎゅっと握り、その手をくいっと引かれると、怜の腕の中に抱き込まれる。急展開にボケッとしている梓の耳元で「良かったぁ」と溜息混じりの声が聞こえた。吐息が耳を擽り、思わず逃げを打とうとした梓を腕が閉じ込めて、この時になって漸く事態を把握した。
 やっちゃったと心の中で呟いている耳元で、怜が「あ~ぁ」と声を漏らした。今度は何ッ!? と彼を見上げると、

「折角のクリスマスなのに、ここにはヤドリギがない」
「ヤドリギ? なに? 何かあるの?」
「知らない? ここ最近日本でも飾ってる所多いよ?」

 そう言って何かを思いついたように腕時計で時間を確認し、「ちょっと出掛けない?」と訊いて来る。別に予定もない梓は深く考えもせず頷いた。

「あ。さっきあげたヤツどうした?」
「あそこ」

 木刀を持つ時に床に何気なく置いていたのを指差すと、くるっと梓の向きを変え、ちょっと失礼と靴を脱ぎ、彼女を腕に抱え込んだまま細長いペーパーバッグを手に取った。その口を広げ「開けて」と言われて素直に手にする。
 細長い形状にそれが何なのか嫌でも判る。
 蓋を開けると予想を裏切らない物がキラキラと輝いた。
 台座はプラチナだろうか。流線型のチャームにムーンストーンとダイヤが二石、縦に並んでいる。怜はそれを抓んで手にすると「ムーンストーンはアズちゃんの誕生石だよね?」と滑らかな仕草で彼女の胸元を飾った。
 梓の指がそっと緩やかな曲線を撫でるのを彼女の肩越しから覗き込み、腰をふわりと抱き寄せる。

「お店の人に聞いたんだけど、ムーンストーンは女性の人生の節目節目に役立つ石なんだって。今日にぴったりだよね?」

 まるで乙女のようなことを言う怜を斜めに見上げて小さく笑う。怜も笑い返してくる。

「じゃあ出掛けようか」

 怜の腕から解放され、急に背中が寒くなったのが、何となく寂しいと思ってしまい、梓は慌ててコートを取りに行く。その頬に微かな朱が走ったのを怜に気付かれやしないかと、梓は顔を上げることが出来なかった。

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