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5. 梓、なんか色々とツライので……

梓、なんか色々とツライので…… ⑭

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 次のシフトに入った時、怒らせたら怖いお姉さん扱いだった。  

 梓が帰った後、二人は大人しく語らっていたそうなので良かったとは思うけど、彼女が培ってきたイメージを壊す結果を招いた二人には、正直まだ思い出すと腹が立つ。

 梓は夕食と入浴を済ませ、二十二時の定期便までぼんやりとテレビを観ながら時間を潰した。
 郁美からの着信を報せる音楽が鳴る。いつも交代で電話を掛けていて、今日は郁美の番だった。他愛のない会話に笑いが湧く。
 剛志情報で、今日は怜が忙しさのあまり癇癪を起した由美に『早くアズちゃんを連れ戻しなさいよッ!』とど突き回されていたそうだ。代表にそこまでしてクビにならない由美は、やはり一番強い。
 電話の終わりに郁美が『まだ戻って来れない?』と訊いて来た。梓は何も答えられないまま会話は終了した。

 またぼんやりとテレビを眺め、気付いたらそのまま居眠りしていたらしい。
 すっかり湯冷めしてしまった身体が小さく震えた。
 壁掛け時計は一時十三分を差している。
 梓はテレビを消し、寝る支度を始めた。すると玄関前通路から足音がするのに気が付いた。それは梓の部屋の前で止まる。
 恐らく怜だろうと、インターホンのモニターボタンを押した。案の定彼だ。
 チャイムが鳴る。
 こんな時間に鳴らすなんて初めてのことだ。

(あぁ。灯り漏れてるか)

 台所の窓を見て納得した。
 居眠りしていたことにして無視も出来る。
 またチャイムが鳴った。
 梓は先日郁美から貰ったモノを手にし、ドアチェーンをしたまま扉を開けた。

「こんな時間に非常識」
「ごめんね。灯りが点いてたから、起きてるか居眠りしてるんだろうと思って。居眠りだったら風邪ひく前に起こした方がいいでしょ?」
「それはどうも」

 実際直前まで居眠りしてましたとは言えず、簡素なお礼だけ言って扉を閉めようとしたが、ふと手を止めた。

「怜くん。息ハ―して」
「飲んでないよ? 文句言われたけど」
「いいから」

 怜がドアの隙間からハーッと息を吐き出すと、梓は頷いた。

「宜しい。帰っていいよ」
「飲んでたら泊っても良かった?」
「代行呼ぶに決まってるでしょ」
「ですよねぇ。あ、アズちゃんお土産あるんだけど、ここ開けてくれない?」
「無理」

 即答すると「ですよねぇ」と苦笑する。しかし。

「ちょっとだけでいいんだけど。話させて? こうやって話してると、近所迷惑になるし」
「あたしには迷惑を掛けても良いと?」
「ホントにちょっとだけ。玄関から先に入らないし、アズちゃんに絶対触りません。誓うから。もお嫌われたくないし」

 日中の雑多音がないせいか、確かにこの時間だと通路の声が響く。梓が「絶対でしょうね?」と確認すると、怜は大きく何度も頷いた。
 一度扉を閉め、チェーンを外すとリビングの入り口まで素早く移動する。扉が開かれ中に入って来た怜は唖然として梓を見た。

「そこまで警戒する?」
「当たり前でしょ。前科持ちなんだから」
「……ごめんなさい。あ、コレどうする?」

 そう言って前に出したのは、柄の入りの透明なビニール袋に入ったケーキの箱だった。

「アズちゃんが好きなフルーツタルトとレアチーズだよ」

 梓の好物を餌ににっこり笑い「取りに来ないなら僕が食べちゃうけどいい?」と意地悪な事を言う。梓はケーキの誘惑に勝てず、知り尽くしている怜に心中で毒づきながらジリジリと近付き、郁美から貰ったものを突き出して「ここに掛けて」と言った。

「…先刻から気になってたんだけど、何でこんなモノ持ってるの?」

 怜が言う “こんなモノ” の先にケーキの箱をぶら下げる。梓はそれを落とさないように注意深く引き寄せた。

「最近怜くんが来るって言ったら、郁ちゃんが買って来てくれた。防犯だって」
「防犯って…」

 心当たりがあり過ぎる彼はそれ以上の言及は避け、その場にしゃがみ込んで扉に寄り掛かった。
 因みに “こんなモノ” とは木刀である。

「うん。女の子の一人暮らしだしね。防犯グッズは必要だよね」

 そう言った怜の目がちょっと遠くを見ていた事に、梓は気付かない振りをした。
 貰ったケーキをそそくさと冷蔵庫に仕舞い、梓は先刻の立ち位置に戻る。怜は一瞬口を尖らせたが、直ぐに諦めて嘆息した。

「アズちゃん。いつになったら戻ってくれる?」

 その言葉で先刻の話を思い出し、梓は少し意地悪な気分になった。二ッと笑って。

「由美さんにど突き回されたんだって?」
「……剛志か。アイツここらでいっぺんシメないとダメだな」

 剛志の顔を思い出しているのか、凶悪な表情を浮かべて言う。なまじ綺麗過ぎる容貌をしているから冷酷さが強調されて見え、背中に寒いものを感じた。
 怜は折りたたんだ長い脚に頬杖を着き、

「姉御が癇癪起こして『アズちゃん連れ戻せ』って言うけどさ、無理強いしないって決めたから。でもこのままじゃ僕以外にも姉御の被害者が出そうだし?」

 その被害の発生場所は、主だって翔と剛志だろう。
 まああの二人なら平気でしょ、と思ってしまう梓は鬼だろうか?
 でもどちらにしろ。

「直ぐには無理よ。来月のシフト決まってるし。迷惑掛けたくない」
「へ~ぇ。AZデザイン事務所うちは相談もなく、退職願出して速攻消えたよね? 変われば変わるもんなんだね」

 うっかり見惚れてしまいそうな微笑みを浮かべる。が。その瞳はとても冷ややかだ。

「僕に対する仕打ちは当然の結果だと諦めも付くけど、アズちゃんを妹の様に可愛がってくれる姉御は可哀想だよねぇ」

 良心に訴える眼差しに、思わず狼狽えてしまった。
 由美に初めて会った時から、ずっと姉の様に慕って甘えっ放しだ。両親が亡くなったばかりの頃など、それこそ二十四時間付きっ切りで梓の面倒を見てくれた。
 本当に大事な人だ。
 だから梓は彼女に報いる為に、決断するしかない。

「来月。戻れるように、調整して貰うから。由美さんにそう伝えて」

 梓がそう言うと、怜は「わかった」と頷いて、最初の宣言通り用件を伝え終わると立ち上がる。
 そしていつも通り「おやすみ」と優しい声で告げると、怜は静かに帰って行った。

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