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5. 梓、なんか色々とツライので……
梓、なんか色々とツライので…… ⑬
しおりを挟む帰って来い、帰らないの押し問答を繰り広げながら、五杯目のビールを飲んでいる翔が、頑固な妹に盛大な溜息を吐く。
「頼むから帰ってくれよぉ。あの広い家に一人でいると、寒いんだよ」
「暖房ケチらないでガンガン点ければいいじゃない」
「そう言う意味じゃないから。相変わらず惚けた奴だな」
「惚けたとは失敬なっ」
「俺が言ってるのは、寂しいから帰ってくれって事。父さんや母さんもきっと草葉の陰で泣いてるぞ? 二人きりの家族が疎遠になってたりしたら、悲しいだろ?」
「草葉の陰って、年より臭い」
そう言うと翔にぺシリと頭を叩かれた。梓が恨めしそうに睨むと、「それにな」と思い切り眉を寄せた。
「俺の目の届かない所に置いとくのは」
バンッッッ!!
突然した物音に言葉を遮られ、二人は訝しんでその方向に目を遣ると、窓ガラスに張り付いた物凄い形相の怜がいた。音の発信源は間違いなく彼だ。
目が合った瞬間踵を返した怜を指差して、「アレが心配でもお無理」と肩を落とした翔に、何とも言えない笑みを浮かべる。
梓に近付く男を悉く葬ってきた筋金入りのシスコンにそう言われてしまうと、納得せざる得ないと言うか、反論できない。
かつての同志は今や翔にとって排除すべき対象だ。
来店を報せるチャイム音が鳴り、案内係を完全無視した怜がズカズカとやって来る。梓は口中で「うわ~」と呟いて首を竦めた。
テーブル脇に立ち、翔を睨めつける。
「なかなか帰って来ないから心配して来てみれば。何してんの?」
「妹と飯食ってるだけだが?」
「僕がアズちゃん待ってるの知ってるよね?」
「それがどうした。お前はまだ他人。あ、この先もずっとか」
「うわっ。腹立つ」
怜の後ろでお冷を持って来たバイト女子が困った顔で突っ立ていると、怜はさり気なく梓の隣に腰掛けた。梓はムッとして横にズレると、怜が詰めて来る。
「何気に隣に座らないでよ」
「デカいのが二人並ぶ方が不自然でしょ。アズちゃんメニュー取って」
言われたままメニューを渡す。
「じゃあ、あたしがそっち行く。怜くん退けて」
「やだ」
子供みたいに言い放ってそっぽを向かれ、梓まで子供の様に口を尖らせる。怜を押し退けるのは無理と早々に諦め、するりとテーブルの下に潜り込んだ。
「ダメ。そっちに行かないで」
「早く来い。食われるぞ」
右手を怜に掴まれ、左手を翔に引っ張られる。
いい年をした大の男が二人、半身をテーブル下に突っ込まんばかりに覗き込み、潜り込んだ成人女性を奪い合うさまは、周囲の注目を集めるには充分過ぎるだろう。
隣のテーブルからこちらを覗き込んでいるカップルと目が合った。羞恥でブワッと顔が赤くなる。
梓は怜が掴んだ右手をぶんぶん振り「怜くん。放して」と涙目で睨めつけると、怜はぐっと詰まって手を離し、梓は漸く翔の隣、窓際の席に移動できた。
仏頂面の梓を見ながら、怜はちょっと泣きそうだ。
「今頃になって排除して来たヤロ―共の気持ちが解ることになろうとは」
「理解できるようになって良かったじゃないか」
「くっ……僕は負けないからね。アズちゃん好きだよ」
衆人環視の中、大真面目な顔で言ってくる怜から目を逸らす。職場でこれは、ずっと付き纏う羞恥プレイだろうと梓は泣きたくなった。
「ほざいてろ。お前は孤立無援だ。精々足掻け」
「は?」
「梓の気持ちがお前に向かない限り、怜に味方は一人もいないからな? 由美を始めとするスタッフ全員、郁美や香子…は微妙だが、梓の味方はお前の敵だと心しておけ」
そう言って翔がニヤリと笑ってビールを口にすると、それまで口惜しそうに翔を睨んでいた怜が眉を寄せた。
「何でビールなんか飲んでるの?」
「今日は梓の所に泊まる」
涼しい顔で怜を挑発するのは、お願いだから止めて欲しい。
案の定、怜は麗しい容貌を剣呑に歪ませて、翔を凝視している。
「狡い」
「怜はちゃんと運転して帰れな?」
「僕も泊まる」
「危険な人はお断り」
膠もなく梓が言うと、見る見る間に怜は消沈し、それでも「翔だけ?」と涙目になって訴えかけて来る。
先日の一件以来、姑息な技を身に着けさせてしまった感が否めない。もしあの日に戻れるなら、ほんのちょっとでも絆されてしまった自分を殴って諫めたい。
「あずさぁ。あず~ぅ。アズちゃ~ん」
梓の正面に来て顔を覗き込みながら、女神さまの微笑みでお強請りして来る。直視するまいと梓は怜の目から逃げるように顔を背けていたら、怜がいきなり「痛ッ!?」と顔を歪めて翔を睨んだ。翔は知らん顔でビールを飲んでいる。
ゴ……ッ。
ゴッゴッゴ……ッ。
ゴッゴッゴッゴッゴ……ッ。
不穏な音と共にテーブルがカタカタ震えだし、ガタガタに変わるまであっという間だった。グラスの中身が揺れて、雫が飛ぶ。
隣の席の席のカップルが、蒼白になって梓たちのテーブル下を凝視していた。
梓はソロソロと下を覗き込んで、頭を抱え込みそうになった。水面下の白鳥の脚が如く、蹴りの攻防戦が物凄い勢いで繰り広げられている。
梓のこめかみがピクピク痙攣し、身体が小刻みに震えた。
「二人ともいい加減にしなさいッ!」
梓の怒声が店内に響き、二人のみならず静まり返った。
方々で席を立ち、こちらを窺っている視線が痛い。
が、怒りは止まりそうにない。二人を交互に睨み付けた。
「何なのッ! 三十路も過ぎた大の男が揃いも揃って子供みたいな喧嘩してるんじゃないわよ! 怜くんはアルコール禁止ッ! お兄ちゃんは代行で帰りなさいッ! あたしはもお帰りますっ。仲直りしなかったら一生口利いてやらないから。いいわね二人とも!!」
そう言って席を立とうと翔を押し出しにかかるが、素知らぬ顔を決め込んで全く動かない。梓は椅子に膝立ちになり、翔の脚の上に土足で立った。オーダー物のスーツであろうが何であろうが知った事ではない。
しかし翔もタダでは通らせてくれなかった。ガシッと梓の脚を抱き込むと「行かせるか」と見上げて不敵に笑い、梓は忌々し気に舌打ちをした。
「放して」
「席に戻るなら」
翔の絶対に退く気がないだろう笑みにイラっとする。
兄とはこれ以上気まずくなりたくなかったのに、なんて星回りだろう。
出来れば翔にはこんなイレギュラーな事はしたくなかったが、致し方ない。大人しく席に戻る振りをして身を屈めると、スパンっと手刀を彼の眉間に入れた。
途端翔の手が離れて額を押さえ、梓は飛び降りると一目散に店を出て行った。
「怜ッ! 梓追え」
額を押さえて呻くように翔が言う。
「嫌だね」
「はあッ!?」
「僕的には翔が泊まるの阻止できたから、寧ろよくやったって思ってるけど?」
赤く縦一文字が出来た翔の額を見ながら、怜が愉しげに笑う。翔が憮然と怜を睨み据えると、怜の笑みが冷ややかなものに変わった。
「たとえ翔であろうとも、あんな狭いアパートに二人きりって僕が嫌だから」
「おまえねえ」
呆れ返って怜を見る。実の兄にまでヤキモチを妬く彼は、本当に嫌そうな顔を隠しもしない。
翔は「ったく痛ぇな。急所狙ってくるとは猪口才な」とぶつぶつ文句を言いながら、スラックスに着いた靴跡を払うと、怜をチラリ見て溜息を吐く。
「夜通し戻るように梓を説得するつもりだったのに、邪魔しやがって」
「それは僕がするから」
「誰が任せるか。どうせ自分のマンションに引き込む心算だろ?」
「当然。その時はアズちゃんの名字が南条に変わると思ってよ。お義兄さん」
「うわっ寒~ぅ」
目を見開いて怜を見る翔が腕を抱いて身震いする。今度は翔が嫌な顔をする番だった。
怜はクスクス笑って渋面の翔を見ると「お義兄さん」と繰り返す。翔の眉間の皺がさらに深くなるのを見て、「でもさ」と言って開いたままのメニューに視線を落とす。
「アズちゃんが本当に嫌がることは、もうしないから安心して」
この数か月、魂がすり減るほどの後悔をして来た。
もう二度と失敗は出来ないと、漏らした怜の唇は僅かに震え、翔は小さく頷く。
「さて。しょーがないから翔に付き合って、僕も代行で帰りましょうかね」
言ってテーブルのチャイムを押す。返す手で梓の残していったビールを手に取り、怜は一気にグラスを空けた。
「恩着せがましいな」
「でも酒の相手がいた方がいいでしょ?」
「…まあな」
眉を聳やかせ、怜が僅かに首を傾いで笑うと、釣られて翔も笑う。
呼ばれて注文を取りに来たバイト男子は、先刻まで険悪だった二人を交互に見、「大石さんて普段あんなに怖い人なんですか?」と恐る恐る訊いて来た。それに対して二人はただただ笑顔で答えるばかりで、彼に要らぬ誤解を与えたのは言うまでもない。
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