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5. 梓、なんか色々とツライので……
梓、なんか色々とツライので…… ⑩
しおりを挟む怜が翔と不仲なのは、郁美の電話で聞いていた。
梓が家出をしたその日に、怜は黙っていられなくなって翔に告白し、寝込むほどボコボコにされたと聞いた時は正直 “ざまあ” と思ったのだが、電話の後から届いた写メに言葉を失くし、一瞬意識が飛びそうになったが直ぐに気を取り直すと、『顔はダメでしょ顔はッ!!』と本気で写メに文句を言ってから、顔の心配している自分の馬鹿さ加減に腹が立ち、更には怜に八つ当たりが多分に含まれた怒りが湧いてきた。
こうならないで欲しかったから、脅してまで口止めしたのに、怜はさっぱり分かってない。
心の底から仲違いなんてして欲しくなかったのに。
それはある意味、怜にとっても罰になると思っていた。良心の呵責に苛まれながら、翔の隣にいることで、二度と兄を裏切らないと思って欲しかった。
梓が逃げ出さなければ、それは叶ったのだろうか?
でも家を出なければ、もっと罪を重ねてしまいそうで怖くなった。
チラッとでもそんな事を考えてしまった自分が、許せなかった。
そんな事が絶対あってはならないと、何度も自分に言い利かせた。
事務所の雰囲気もいまは戦々恐々としていると、剛志から聞き出した情報を梓に話す郁美は『せめて翔にぃだけにでも連絡してあげたら?』と兄の心中を慮っていた。それで少しでも翔が安堵するなら、そうするべきだと思う。スタッフだって毎日二人の動向に怯えることもなくなるかも知れない。
解っていても翔に連絡するのが怖くて、無駄にズルズルと日を引き延ばして、とうとう怜に居所を知られてしまった。
隠れん坊は昔から苦手だ。いつだって直ぐに翔に見つかって、不貞腐れる梓を慰める兄は『梓が大好きだから分かっちゃうんだ』と必死に笑いを堪えながら言っていた。
まさか数年後には剛志が加わり、そのまた数年後には怜が加わって、梓一人に対して鬼三人の四面楚歌になるとは、思っていなかったが。
金銭的に余裕のある彼らが、どんな手を使ってでも梓を探すなんて事、容易に想像できたはずなのに、どこかで今度は大丈夫だと高を括っていたのも事実だ。
住民票の移動は直ぐに足が着くと思ってしなかった。剛志のいない日の昼休憩を利用してアパート契約をし、こっそり準備をした。二人は全く気づいた様子もなく、完璧だと思っていたのに、やっぱり二人には敵わなかったようだ。
引っ越してもまたきっと直ぐに見つかる。なら無駄にお金を掛けるだけ馬鹿らしい。
バレてしまったからには腹を括らねばならない。怜はまた来ると言っていたから、また来るのだろう。もしかしたら翔も訊ねてくるかも知れない。
兄の顔を直視出来るだろうか?
きっと無理だ。姿を見ただけで、その場から逃げ出す自信がある。断言できる。
逃げたってもう意味ないのに。
次の日も、そのまた次ぎの日も怜はやって来た。
車で一時間近く掛けてやって来ては、玄関前に佇んでいる。
(あの人ちゃんと仕事してるのッ!?)
冷や汗を掻きながら、怜に見つからないようにこっそり階段を下りて行く。
困った。
昨日は連日来るなんて思っていなかったから、完璧に油断していて見つかった。話がしたいと言う怜を無視して急いで部屋に入ったが、彼が無理強いすることはなく『おやすみ』とだけ言葉を残して帰って行った。
そして今日である。
梓は階段に座り込んで大きな溜息を吐いた。
いつまでああして居るつもりだろう。平日だしそんなに遅くまではいないと思うけど、どうしたものか考えあぐねる。
九月も末となり、夜間は大分冷えて来るようになった。階段に座り込んでいるお尻が心なしか冷えて来て、辛抱堪らず立ち上がると階段を下りて、近くのファミレスで時間を潰すことにした。
それからも毎日、怜は訪ねて来る。
こう毎日来られると、ファミレスで時間を潰すのは経済的に厳しいので、怜を無視して部屋に入ることに決めた。
いい加減、近所の人に通報されやしないかと心配してから自己嫌悪に陥るも、数日後に杞憂だったことを知る。あの容貌と社交性ですっかりお馴染みさん化し、難なく切り抜けたばかりか、偶に差し入れを貰っていたらしい。近所のお姉さんたちの談である。
その時の梓の疲労感に、きっと怜は気付いてないだろう。
何日続くものだか、こうなればお互いの根比べだった。
二十日も過ぎた頃、怜が立っていない玄関前を見て、遂に諦めたかと思わずガッツポーズをした。が、翌朝外のドアノブに小さなペーパーバッグが掛かっており、中には透明なケースに入ったバラのプリザーブドフラワーがメッセージと共に入っていた。
翔に連絡してあげて――――それしか書かれていなかった。他にも書くことあるでしょ! と思った梓は悪くないはずだ。
けれど、諦めたわけではなく、遅い時間にしか来れなかっただけだと知って、どこかホッとした自分に頭を抱えて呻いてしまい、なら怜がどんなメッセージを残したら、納得するのだろうと脳裏を過って、近所迷惑も甚だしい喚き声を上げた。
鬼に徹しようとしているのに、そうさせてくれない。
怜を無視して部屋に入ると、彼は毎日『おやすみ』と一言だけ告げて帰って行く。
僅か数秒の逢瀬だけの為に毎日毎日、往復二時間を掛けて来る。
季節はすっかり冬になっていた。
師走になり街中がどこか慌ただしい。
怜だって忙しいはずなのに、毎日やって来ては『おやすみ』だけを言って帰る。時間が合わないときは、ドアノブに来た証拠を残していくのも相変わらずだ。
忘年会シーズンになって呼ばれることも多いだろうに欠かさず来ていて、ふとあることに思い至った。
(…飲酒運転で来てないよね……?)
それで捕まろうが梓の知ったことではないが、もしそれで事故にでも遭って死なれたらメチャクチャ寝覚めが悪い。
怜が勝手に毎日来てるとは言っても、梓が彼を無視続けるせいだと言われたらその通りかも知れないので、やっぱりここは怜に確認するべきだと思う。今更話しかけるのも、躊躇がないと言ったら嘘になるけど、放っといて死なれるよりはマシと考えた。
そして怜は今日もやって来た。
玄関前にどのくらい立って待っていたのだろう。鼻の頭が赤くなっている。
梓の姿を見つけて「おかえり」と凭れていた扉から離れて彼女に場所を譲る。梓はいつもと変わらず鍵を開け、少し間を空けて怜を振り返った。
「毎日毎日ご苦労なことで」
思わず出た嫌味に内心うんざりする。けれど怜は満面の笑顔になって「そんな事ないよ」と梓を見つめてきた。久し振りに怜の顔をまともに見たせいか、頬に朱が走ったのが分かった。怜の口端が上がったのを見て慌てて目を逸らし、
「ちょっと聞きたかったんだけど」
「なに? 何でも聞いて?」
「遅い時、飲酒運転で来てないよね?」
「まさか。ちゃんとタクシー使ってるよ」
頭が一瞬真っ白になった。
(なに……? この人、タクシーって言いましたか?)
唖然と怜を見上げると、ニコニコ笑った彼が「安心した?」と首を傾いだ。
飲酒運転でないことに安心はしたが、新たに別な問題が持ち上がって、うんざりした梓の口から「馬鹿?」と漏れた。怜は意味が解らなさそうに顔を顰めて彼女を見ている。
「深夜料金込みで片道いくら掛かってるのッ!?」
「そんな事? アズちゃんは気にしなくていいよ?」
「いくらッッッ!?」
梓の剣幕に怜が些か顔を強張らせている。彼としては、やっと口を利いてくれた梓を必要以上に怒らせたくはないだろうが、恐らくもう無理だ。じっと梓の顔色を窺い、言うまで引きそうもないと観念したようだ。
「あ~……高速込みで一万六千弱…?」
怜が目を逸らして白状した金額に梓は愕然とした。その分を負担できるかと言ったら絶対無理だし、頼んで来てもらっている訳でもない。梓の怒りがあっという間に沸点に達する。
「馬鹿でしょ!? 怜くんホントはすっごい馬鹿でしょッ!? そんな無駄遣いしてまでここに来る意味わかんない!」
「アズちゃんに会いに来るのに、無駄なお金な訳ないでしょ」
「いーや。無駄だね。今日は飲酒運転で来られたら迷惑だから、訊いてみただけ! また怜くんとは口利かないからね」
「ツレないな」
「どの口が言う!」
「だってアズちゃんが好きなんだ」
さらりとした口調で言われ、今までの延長線上の妹としての “好き” だと解釈すると、梓は投げやりに「はいはい。あたしは嫌いだけど」と返した。すると怜が負けじと言い募る。
「僕はアズちゃんが好きだから。アズちゃんが赦してくれるまで、何があったって来るからね? それで破産したって一向に構わないし、なんなら近くに越して来たっていいんだよ?」
「お願いします。それは止めて」
翔から離れて、怜だけが近所に来るなんて怖すぎる。
そこまでされたら、引くに引けなくなる自分が容易に想像できて、梓は妥協案を提示することにした。
「お酒を飲んだら来ないで。タクシー禁止」
「飲まなかったら来てもいいって事?」
「近所に越してくるのも止めて」
「飲まなかったら来ても良いんだね?」
「……。来ないでって言ったのに無視してるのは誰よ」
「僕だね。でも良かった。今日は久し振りにアズちゃんと話が出来……」
やんわりと笑って話していた怜の言葉が不意に止まり、梓は訝し気に彼を見上げて絶句した。榛色の双眸からぽたぽたと零れ落ちる雫に、怜自身が茫然としている。
「…ははっ。安心したら、なんか……止まんない」
俯いた彼から止めどなく落ちる涙が、足元の色を濃いものに変えていた。
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