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5. 梓、なんか色々とツライので……
梓、なんか色々とツライので…… ⑦
しおりを挟む堕ちた、と言っても性的嗜好が変わる訳じゃない。彼らの中で “特別枠” が設定されるだけだ。あくまでも今迄はそうだった。
「怜は一緒にいる時間が長過ぎたんだ」
独白めいた呟き。
いつの頃からか、梓を見る瞳に違った気配を過らせるようになった。敢えて見て見ぬふりをした。怜を刺激しないように。
「いくら俺の妹だからって、あのシスコンっぷりは異常だろ」
「あんたが言うな」
「俺は梓を愛している。問題ない」
「……え?」
堂々と言い切った翔に由美が思い切り退いた。それこそ椅子ごと引っくり返るのではないかというくらい。翔は彼女の過剰反応にムッと眉を寄せる。
「何考えてる。家族なんだから当たり前だろ」
「そ…そーゆーことね。てっきりそっちにまで手を伸ばしたかと」
「馬鹿言うな。俺はそこまで外れてない」
心外だと顔に浮かべ「妹相手に欲情するなんて無理」と低音で漏らした翔に、「申し訳ない」と薄笑いを浮かべつつ由美が言う。
「で、怜の異常なシスコンっぷりに、お兄ちゃんとしては危惧していたわけだ?」
「まあな。けどあいつ本人が極度のシスコンだって信じ込んでて、全く気付いた素振りも見せないし、ならいっそ大人しく、当たらず触らずそのままにしときゃ、怜ほど頼りになる死刑執行人は居ないからな」
「悪代官。あんた下手したら怜より鬼ね」
「当然だ。男として梓に近付くなら、怜とて例外じゃない……筈だったのにッ!!」
思い出して怒りが込み上げて来た。
自覚をする以前に、形振り構わずの特攻野郎だったとは、計算外だった。せめて翔にはお伺いを掛けて来ると思っていたのだ。もちろん却下だが。
「意味わかんねえ、どこの誰ともつかねえ男なんかにブチ切れて、大事な大事な俺の妹を手籠めにしやがって……腸が煮えくり返るッ! そもそもクソヤローのせいだ! そいつが梓の目の前に現れて、仲良く歩いてなかったら怜はキレなかったんだ‼」
翔の背後に揺らめき立つ陽炎が見えたのは、由美だけではないようだ。周囲の客がソロソロと帰って行くのを窺いながら、由美はシャンパンを口にする。翔の手の中のグラスが小さく軋んだ音を立てると、まだ冷静さが残っていたのか彼は手を離した。
「どこの誰だか知らないが絶対に男を見つけ出して、血祭りにあげてやる」
翔が指関節をバキバキバキッと鳴らし、由美の顔から潮が引くように血の気が失せた。口端がピクピクと痙攣した微笑みを浮かべて、発せられた声は上擦っている。
「血祭りって…」
「俺の細やかな幸せを粉砕してくれた礼はしないとだろ? 梓を手籠めにした怜は当然だが、原因にも責任を問わなきゃ不公平だと思わないか?」
「ブラックかあくんは、止めよ?」
「かあくん言うな」
“かあくん” 呼びは母だけに許された特権である。が、偶に怜や由美にこうやって揶揄われ……神経を逆撫でされると同時に翔を無口にさせる。
翔の睨みにも負けず、まだ「かあくんかあくん」言う由美を無視し、グラスを空けて次を注いでいると、由美がツーっと翔の方にグラスを滑らせる。片眉を持ち上げて由美のグラスにシャンパンを注ぐ手元を眺め、彼女は「ところでさぁ」と話題を変えて来た。
「あんた先刻から怜とアズちゃんの事ばかり言うけど、仮にも恋人でしょ? そんな体裁繕った事ばっか言ってないで、怜とのことどう思ってる訳? 聞こえは悪いけど、妹に浮気したわけじゃない。怜と上手くやってける? 共同経営者だし、今後のことも考えると、あんた達の不仲はかなり影響が大きいのよ」
スタッフの動揺はどうしたって避けることは出来ない。そうなれば自ずと仕事にも影響が出るだろう。由美の心配は尤もだった。
「心配ないよ」
翔は微かに微笑んで由美を見た。
「関係を解消しても、互いの仕事に関する信頼が失せない限り、共同経営はしていく。もし一緒にやって行くのがどうしても困難な場合は、AZデザイン事務所は俺が統括し、怜は独立するそうだ。相応の株の分配と怜の顧客にはノータッチという事で文書にしている」
「それで怜が納得してるの?」
「言い出したのは怜だ。あいつは “副将だから程々が良い” とか、意味わかんない事を言ってたな。当時は梓を食わせなきゃならなかったし、怜なりに気を遣ってくれたんだと思うが、一昨年の時点で変更なくそのままで良いと言ったのも怜だ」
梓の大学卒業を機に見直そうと言った翔に、怜は『そんな事にならないから必要ないだろ』と笑った。
しかし今、由美に心配をさせてしまっている。このまま現状回復できなければ、スタッフにも不安は広まっていくだろう。それは代表として避けるべき事案だ。
が。しかし。
怜に腹が立つのも隠しようがない事実だ。
「現時点で怜がどんなに俺に許しを乞うて来たって、俺は許すつもりはない」
唐突に話を戻した翔にぱちくりと瞬きし、
「別れるって事?」
「恋人の関係は解消だな。……と言っても、とっくの昔に “セックスいつしたっけ?” のレベルだし。俺ら」
「……そのわりに仲良いよね、あんたら」
プライベートでも一緒のことが多い二人を見てれば、まさかそんな冷えた性生活を送っているなんて思わないだろう。
「二人の間にLoveはないの?」
「どっちかって言ったらAffectionの方だな。愛してるって気持ちだけでセックス出来たのは、二十代半ばまでだ。顧客増えて事務所拡大したりで忙しかったし、二人ともそっちまで体力回らなくなった。いや。回さなくなった」
「何その “ただいま絶賛子育て中の為、レスでお願いします” 的な発想は。寒いわ~」
由美は自分の腕を抱いて大袈裟に震える振りをする。翔は苦笑し、背凭れに寄り掛かると項垂れ「怜の気持ちが」と力なく零した。
「揺れてたのに、気付いてたからな。…お互いやろうと思えば出来たけど、怜も多分無意識に、仕事に打ち込んでいたんだろ。で、俺はわざわざ教えてやるような親切じゃないから、知らんぷりで隣にいた。気付かなきゃいいって、梓を守るにはその方が良いって梓を言い訳にして、ズルズル引き延ばしてる癖に、こんな関係早く終われば良いとか思ったり……」
はあと溜息を漏らす。
温い関係のまま、ずっと続けば良かったのに。もう戻ることは叶わない。
「嫉妬で周りがどうでも良くなるなんて。あの怜が……あーっクソッ! もお言ってる事がグチャグチャだ。畜生ッ。死ぬ気で梓を連れ戻さなけりゃ、俺が怜を殺す!」
頭をガ―ッと掻きむしる。セットしていた髪は見る影もなく乱れ、翔はシャンパンを水の様に流し込み「腹立つ!」と怒りを殺した声。
「アズちゃんを連れ戻したら、怜を赦してあげるの?」
由美の言葉に翔の右眉がピクリと動いた。彼はゆっくり視線だけを上げて由美を見ると、溜息混じりの言葉を吐き出す。
「次第による。まず頑固者の赦しを得られる保証があると思うか?」
「……荊の道ね」
「ふん。それだけの事をしたんだから、心をボキボキ折られるがいい」
梓の信頼を裏切り、心身ともに傷を負わせた怜の贖罪を彼女が受け入るのは、中々に困難だろう。それでも諦めず赦しを乞う事が、果たしてあの怜に出来るだろうか?
(もし出来なかったとしたら、それまでの男だったという事か)
その時は本当に怜との別れになる。
そうなって欲しくないと思うのは、未練だろうか?
Loveと言うほどの強い想いはきっともうどちらにもない。それでも離れがたいと思うくらい互いに情はある。十四年の間に穏やかな物へと姿を変え、翔と怜の間に通い続けて来た。それを手放したくないと思うのが未練なら、どうしようもなく未練タラタラだ。
梓がもし怜を赦して受け入れたら、そんな二人を自分はどんな思いで見るのだろうか?
妹には戻って来て欲しい。その気持ちに一切の偽りはない。けれど梓が戻って来た時、三人の関係はどう変わってしまうのか、考えただけで心に重いものが伸し掛かる。
二人とも翔には手放せない程大切な存在だ。なのにこんな選択を迫る怜が恨めしい。
肩を落として大きな溜息を吐く翔に、由美は慈愛の微笑みを浮かべ「今日はとことん飲もっか」とボトルを傾ける。翔はグラスを干して「おう」と由美に突き出し、泣き出してしまいそうな微妙な苦笑を浮かべた。
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