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5. 梓、なんか色々とツライので……

梓、なんか色々とツライので…… ④

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 どこから話したものだか考えて、翔が福岡出張の日に、怜は見合いに騙されて引っ張り出されたことをさらっと話し、その帰り道で男連れの梓と偶然会ったことを話した。

 二人がとても仲が良さそうだったと告げると、翔のこめかみに血管が浮いたのが確認でき、怜はこの時自分の処遇を覚悟した。

 怜は深呼吸し、躊躇いがちに口を開く。

「アズちゃんがそいつに戯れてるの見て、頭がカーッとした。アズちゃんは僕のモノだって思ったら止まらなくなって、マンションに連れ込んで、セックスした」

 目の前の翔は怜の言葉が分からないとばかりに唖然と見返し、少し間を置いて目を瞑ると眉をぎゅっと寄せて、言葉の意味を咀嚼しているようだった。

「お前が、その男と?」

 一瞬目が点になったが、怜の性的嗜好を知っている翔なら、そう変換しても不思議じゃないと思い直し、それでも充分怒らせることではあるが、その上を行く怒りを食らうべく、怜は目を逸らさずに首を振った。

「違う。僕とアズちゃん」
「怜と、梓が……なんだって?」

 翔はソファの背凭れに肘をつき、目頭を揉みながら拒否する思考を纏めようとしている。翔に直ぐ殴られるものだとばかり思っていた怜は、拍子抜けしつつ今度は確実に届く言葉を選んで口にした。

「アズちゃんとセックスした。そいつに取られると思ったら、どうしても我慢できなくなって、僕がアズちゃんを無理やり抱いた」

 翔にも漸く言葉の意味が届いたが、俄には信じ難いそんな顔だ。

 怜は居住まいを正し、やや高い所から愕然と眺め下ろす翔の顔を真摯に見た。

「お前が、梓と? ……はっ!」

 翔の困惑した眼差しに、身を切られる思いで頷く。

「そう。しかも最低なことに孕ませようとして中出しした。だからアズちゃん、家出した。ごめん。全部僕が悪い」

 土下座をする怜を暫く見下ろし、矢庭に立ち上がった翔はその背中に踵落としを見舞った。怜が小さく呻くと、彼を乱暴に起こして今度は左頬に拳を捻込んだ。殴られた勢いで傾いだ身体が無様に転がるのだけは何とか堪え、怜はもう一度正座をし直す。

「お前、自分が何やったのか解ってるのかッ!?」
「解ってる。翔に殺されたって仕方ない」
「俺がッ! 俺がどんなに梓を大事にして来たかッ、お前が知らない訳じゃないだろッ!! それを選りにも選って何でお前なんだッ!?」

 怜の胸倉を掴んで立たせる。彼は「すまない」と首を垂れながら、脚を肩幅に開き背後で手首を掴んで組んだ。翔の「ふざけるなッ!」の言葉と共に拳が鳩尾に減り込んで、上体を折った所にもう一発喰らい、カハッと息を吐き出した。翔の拳を想定していたとは言え、防御なしに全力の力で殴られたのは初めてだ。

 現役を引退したとは言え、流石に息が詰まる。筋トレをしてなかったら、確実に病院送りレベルだ。全く加減と言うものがない。

 しかしこれで翔の腹の虫が治まる訳がなかった。治まるとも思っていない。

 闇雲に殴られ蹴られ、普通ならとっくに気絶してもおかしくない。それでも立ち上がって「すまない」を繰り返す怜に、翔は終いには舌打ちをしてリビングを出て行った。

 それを朦朧とする意識で見送り、怜はその場に倒れ込んだ。


 ***


 梓が家出をした翌日、翔は営業部に超不機嫌な顔で現れた。普段穏やかな彼が振り撒く不穏な空気に、部内がごくりと息を呑んだ。妙な緊張が走る。その中で一人飄々としている由美に、昨夜のことを思い出して更に不機嫌になった顔で翔は言う。

「姉御。暫らく怜休むぞ」
「なに。病欠?」
「いや。シメた」

 事も無げに翔が言うと、ざわついていた室内がしんと静まり返った。一同が “えっ?” と言う顔をして翔に注目し、彼は憮然として “仕事しろ” とばかりにシッシと手を払う。みんな慌てて仕事に戻る振りして、しっかり聞き耳は立てているが。

 翔や怜と付き合いの長い由美もさすがに驚いたようで、目を丸くして見上げている。

「シメ……って喧嘩? らしくないわね」
「ふん。怜だから半殺しで済ませてやったんだ。自力で帰ったようだし、アイツなら二~三日もすりゃ出勤するだろ」

 そう言って翔は梓の席に目を落とし、流れるように由美へ視線を移した。

「梓は暫く休職する」
「そんなに体調が優れないの?」

 先日体調が悪いと言って仕事を休んだ梓を思い出したらしい。

「いや……」

 何気なく訊いて来た由美に翔は言い淀み、一瞬泣きそうな顔になって彼女を見ると「家出した」ボソリ呟く。由美は「はぁ?」と間の抜けた顔で親友の顔を見上げた。

「何で? え? え? アズちゃんが? で、怜をシメたって?」

 梓の家出と怜をシメたと言うのが同時期なので、「…関係あり?」単純にそう口にした由美だったが、どうやら図星を突いてしまった。翔の顔が瞬く間に険しくなり、室内の体感温度が急激に下がってスタッフが身震いする。

 何した怜さんッ!? とはスタッフ一同の相違ない心情だ。とてもじゃないが怖くて顔が上げられない。

 翔がここまで激怒するのは決まって梓のことだが、いつもは翔側の人間である怜がシメられた。流れ的に考えたら、怜が梓に何かしらのちょっかいを掛けたと言う見解になったりするのだが、果たしてあの怜が?という思いが拭えない。

「その事も絡めて話したいんだけど、今日終業後に時間あるか?」
「…あ~、旦那に連絡する。まあ大丈夫でしょ。旦那にとっても可愛い後輩のピンチの様だし」
「悪いな」
「良いって事よ」

 浮かない顔をする翔の腕をポンポン叩き、由美は翔と怜の最大の危機にこっそり溜息を吐いた。



 この日のAZデザイン事務所の最大の関心事は、怜が翔をとんでもなく怒らせたらしいという事だ。しかもそこに梓が関係してるとなっては、考えられる事はただ一つ。これまで例外などなかった。

 怜が梓にアプローチ、若しくは付き合っている事が翔の知るところとなり、仲が良過ぎる代表同士でもそこは関係なく、翔の無情な鉄槌が下されたため、怒った梓が家出をした――――と憶測が膨らんでいた。

 そんな憶測が飛ぶくらいには、怜と梓は仲良しと認識されている。怜は専ら梓に甘いとスタッフたちは常々思っていたくらいだ。だから “やっぱりね” 的な空気になっているのだが、釈然としないのは剛志だ。

「これじゃまるで怜さんの為に俺、梓を監視してたって事にならない?」

 ムスッとした剛志は内勤なのをいい事に、梓の席に座り込んで由美に愚痴っている。先刻から何度も「ずっけー」を繰り返している剛志を由美は苦笑しつつ、「遊んでないで働きなさよ」と窘めていた。剛志は全く聞いていないが。

「けどあの梓は、そんな恋愛ごとで家出するような女じゃない。断じてない!」

 自信満々に言い切った。由美はキーボードを叩く指を休めることなく、一応のフォローをしてみる。

「分からないわよぉ? アズちゃんだって女の子なんだし。思い余っちゃったかも知れないじゃない?」
「ないない。そんな恋愛脳持ってたら、俺の監視の目を掻い潜ってとっくに男作ってたね。恋愛したいとか言いながら、お前どんだけ鈍いんだよって何度心ン中でツッコンだか。あいつが恋愛センサー実装してないお陰で、正直助かった場面も多々あるんだから間違いない」

 つまりは相手の思惑に全く気付かず、華麗にスルーしたという事だが、由美にも思い当たる節があるだけに梓をフォローする言葉が出てこない。

 在りし日のランチを思い出して、梓の鈍さに苦笑する。城田の健気なアプローチにも全く気付いていなかったようだし、由美はちょっと彼が気の毒になった。とは言え、梓も城田に好意を抱いているように見えたから、剛志とは違った意味で釈然としない思いがある。

 あの妙に堅物な梓が、兄の恋人を好きになるとも考え難いが、翔が怜を殴ったのは事実のようだ。しかしゲイの怜が女の子に手を出すとも考え難い。

(ゲイを返上か? けどそれって簡単に変わるものかなぁ?)

 性的嗜好はそんな容易く変えられない。だから再犯を繰り返す性犯罪者が絶えないわけで。ゲイを犯罪と同義に並べるのは申し訳ないけど、それだけ持って生まれた嗜好を覆すのは難しいと由美は思う。
 自分に嘘を吐くことは可能だろうけど、家族にカムアウトしている怜がそこまでする必要性はない。

(今まで怜が気付いてなかっただけで、バイだった…とか? いや。女には勃たないって断言してたよ、ね? 実はアズちゃんが男だったなんて、絶対にないだろうし。でも怜がアズちゃんの家出に関与してるのは間違いないのよね……う~ん。わからんッ!)

 剛志に感化されてつらつら考えてしまった由美はハッとして首を振り、止まっていた指を動かす。
 どちらにしろ真相は今日の終業後に分かる。由美は思考を完全に切り替えて、隣から聞こえて来る愚痴をシャットアウトした。

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