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5. 梓、なんか色々とツライので……

梓、なんか色々とツライので…… ②

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 お盆休みに一日だけ、お墓参りを口実にされ、翔と一緒に過ごした。
 この所の梓の態度に言いたいことは山ほどあるようだけど、特別何も言ってこない兄にどこかホッとしている。
 翔を無視してその挙句、帰宅が遅いという事がないから、一応安心はしているのかと思う。色々と口を挟まれたくないから、そこは梓もうまく立ち回っていた。
 怜は実家に呼び出されたらしく、取り敢えずの平穏が保たれているが、翔の顔を直視するのはやはりツライ。理由を付けては外出し、相変わらずお目付け役の剛志の姿をチラチラ見かけた。

「あいつ、彼女とか作る暇ないよねえ」

 アイスカフェラテのストローを咥えたままで郁美が言うと、香子が頬杖を着いた格好で剛志を眺めながら、コーヒーフロートのアイスを掬って口に運び、徐に「剛志って彼女いたことあるの?」と言えば、梓が「さあ?」と首を傾げてティーソーダを啜る。
 三人は視線を合わせると、暫らく沈黙した後に郁美が肩越しから剛志を振り返り、彼の名前を呼びながら手招きした。
 剛志は首を傾げながら飲み物片手にやって来る。そして当たり前のように、空いている香子の隣に座った。

「お前らが俺を呼ぶなんて、天気崩れやしないか?」
「うるさいなぁ。あんたにちょっと聞きたいんだけど」
「何?」

 片眉を持ち上げて、訝しそうに正面の郁美を見ながらコーヒーに口を付ける。

「あんた童貞?」
「ぶ…っ!」

 想像にもしていなかっただろう郁美の質問に、剛志はコーヒーを吹いた。当然飛沫が郁美に飛び、彼女の額に青筋が浮かぶ。

「ちょっと! きったないッ!!」
「直球で聞くかッ!? ビックリするわッ! っとに、女三人何の話してんだよッ!?」

 紙ナフキンで飛んだコーヒーを拭きながら、剛志が焦り捲った顔で三人を見ると、目と目が合った。「童貞なんだ」とニヤついた目で郁美に言われ、「お兄ちゃんたちのせいでごめんね」と梓に憐れまれ、「モテないの?」と香子に軽く抉られる。 

「んな訳あるかッ!」

 顔を真っ赤にして肩を震わせる剛志に、郁美が尚も言い募る。逃がす気はさらさらないらしい。

「え~。だって剛志、女の影ないし、もしかしたら梓に操立ててるんだとしたら凄いなあとか思うじゃん? 梓が初恋でしょ?」
「何でお前が知っている」

 情報源は何処だと噛みつかんばかりに郁美を睨んだその隣で、梓がきょとんと剛志を見ていた。

「え? そうなの? 気付かなかったよぉ」
「梓にその辺の機微、求めてないからね俺。てかそれは昔の話!」
「な~んだ。ビックリした」
「お前全然ビックリしてないだろ。地味に傷つくから、変な気遣いやめて」

 もお泣きたいと顔に書いた剛志が肩を落として溜息を吐き、

「梓にそんな下心持ってたら、あの二人が近付けるわけねえだろ」
「そりゃそっか。じゃあいつの間によ?」
「郁美。離れろよそっから」
「だって気になるじゃん。毎度毎度、折角の休みに梓に張り付いてさあ。彼女出来ても速攻振られるのがオチでしょ。他の女にベッタリな彼氏なんて、絶対嫌だもん」

 郁美の力説に剛志は言葉を失い、遠い目をして天井を見上げた。
 抉ったな、確信を持って三人が頷く。
 しかし。梓可愛さゆえに、剛志に鬼畜の所業を揮う兄たちにも困ったものだ。それももうすぐで終わりだと思えば、これから頑張れと梓が密かに応援している傍らで、「いいんだけどね」と剛志がボソリと漏らした。

「兄貴たちに逆らったらこえ~し、正直いま彼女欲しいとかないし」
「草食?」
「……あ~そうかも。てかお前ら見てたら女に夢持てねえ」

 剛志がげんなりして言うと、香子が目を輝かせて彼を見た。ガシッと剛志のシャツの袖を掴んで「ねえねえ」と声に愉悦のようなものを含んでいて、彼は身震いをした。

「や…やめろ腐女子。俺をそんな目で見るなッ! 俺はノンケだ」
「ま~たまた。いいのよ恥ずかしがらなくても。世の中にはいろんな愛の形があるの。日本ではまだ制度が整ってないし憲法でも認められてないけど、諸外国に移住って選択肢もあるんだし。その時は応援するわ!」

 それは出歯亀の間違いだろ、と三人の心の中のツッコミは、恐らく彼女の想定内だろう。香子はにっこり笑って続ける。

「あたしいつも思ってたのよ。こんだけ美人の梓を前にふら付かず、翔さまや怜さまに従順なのは “やっぱりそっちだから!?” って。でも言っとくけど、翔さまと怜さまの間に割って入ることは、梓が許してもあたしが許しません」

 断固拒否の構えで剛志を睨む香子に、彼は「ねえよッ! 本能で怖ぇんだよ」と涙声だった。
 香子は知らない。彼女の妄想が事実であり、許すも何も、無理矢理引き摺り込まれたのは梓であることを。

(心臓が痛いです。香子……)

 梓の顔から表情が抜け落ちた。
 テーブルの下で郁美の手が梓の脚をポンポンし、「腐女子全開にしてると二人に退かれるわよ?」と香子を軽く窘めてくれて、梓はその時自分が息を詰めていたことに気が付いた。
 郁美の手に手を重ね、こっそり息を吐き出す。その隣で郁美は剛志に絡み始めた。

「あんたも “女に夢持てねえ” とか言ってないで、少しは努力したら?」
「だったらシスコンを何とかしてくれぇ。俺絶対ぜってぇ逆らえないもん」
「ホントごめんね。剛志」

 もうすぐ自由になれるから、梓が心の中で呟くと、唯一梓の心中を知る郁美が少々複雑そうな笑みを浮かべていた。


 ***


 家出をしたその日の夜、凄まじい程の電話とメールの応酬に辟易し、梓は翔と怜の番号を着信拒否に設定した。
 その直後から剛志からの電話攻勢に辟易することとなったが、落ち着くのを待って彼には “自由を謳歌して。今までごめんね。ありがとうと” とメールして、拒否にした。
 翔たちと親交があり、梓の番号を知る相手全てに “迷惑を掛けたくないので” の理由メールを送信した後で拒否した。当然その中に郁美や香子もいる。ただし、郁美とは時間を決めて連絡を取り合っていた。

 完全に翔たちとの連絡を絶ち、一週間。
 初めての一人暮らしは、最初の頃こそ楽しかったけど、三日も過ぎると寂しくて仕方なかった。近くに人の気配がない事が、こんなに心細いとは思わなかった。
 いつだって兄たちが煩いくらい構ってくるから、両親が他界した後でも不要に落ち込むことはなかったし、そんな暇もなかった。偶に寂しさを感じることはあっても、いつだって二人が慰めてくれた。
 そう思うと、本当に甘やかされていたんだと思う。
 だからこそ、踏み躙るような事をした怜が許せない。

 いまは二十二時過ぎの郁美との電話のやり取りだけが、心の慰めとなっている。
 翔たちは、日々憔悴していくと郁美が言った。その言葉に帰ろうかと頭を掠めたこともあったけど、戻れない事も分かっている。みんなが辛いのは今だけと何度も自分に言い聞かせた。

 少し落ち着てきたから、仕事を探し始めている。
 正社員を希望したいところだけど、どこで足が付くか分からないからバイトを探し始めた。これまで翔に反対されて出来なかったバイトを、これを機にいろいろ遣ってみるつもりだ。

 そして十日目。遅れて生理が来た時には、思わず泣いてしまったほど心から安堵した。考えたって仕方ないと郁美には言ったものの、やっぱりどこかで不安だった。その反面“そっか” と少し落胆している自分もいたけど、不安解消にあっさり押し負けた。
 直ぐに郁美に話したら彼女も安心したようで、「ざまあ」と意地悪く怜を笑っていた。これには梓も同感だ。何しろ不安にさせられたのだから、当然の権利だと思う。
 これで気兼ねなく仕事を探せると言うものだ。


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