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5. 梓、なんか色々とツライので……

梓、なんか色々とツライので…… ①

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 梓は「よしっ」と呟いて、荷物を手に取った。
 翔は早朝から仕事で地方に出かけている。この日をどれだけ待った事か。

 二階から下りて行くのに大きなキャリーバックの角が当たって、傷付けやしないかと心配しながらやっと一階に着いた。
 ほうっと息を吐く。

 ダイニングテーブルに手紙は置いた。大丈夫だ、確認した。
 キャリーバッグをコロコロさせて玄関に向かうと、タイミングよくドアチャイムが鳴り、梓は扉を開けた。

「お待たせ。準備はOK?」

 ニコニコ笑った郁美の顔を見て、梓も釣られて笑い「OK」と頷いた。



 十日ほど前、城田にさよならを言ってから、梓は郁美の家に転がり込んだ。
 郁美は最初こそ号泣する梓に戸惑っていたものの、そこは付き合いの長い二人。梓が落ち着くまでじっと傍にいてくれた。

 泣き過ぎてボロボロになった梓が、「あ~泣いた」と天井を眺めボソリと言う。それからゆっくり幼馴染みの顔を見て、「あたし家出する」と唐突に宣言した。
 郁美は咄嗟に理解できず「はあ?」と間抜けた声を漏らした。

「それで郁ちゃんにお願いがあるんだけど」
「なになにっ!? ちょっと待って。藪から棒に家出って、解るように説明してよ!」

 詰め寄った郁美に梓は渋面になる。
 郁美相手でも言い辛い事だ。言い淀んでいると、郁美は「ちょっと待ってて。酒と肴持ってくるから」と話が長くなることを予想して、部屋を出て行った。
 暫くすると、焼酎の水割りセットと乾きもの各種取り揃えて戻って来た。
 テーブルにドンと置いて、郁美が手際よく水割りを準備する傍らで、梓は乾き物の袋を開けている。
 準備万端、さあ飲むぞとグラスを合わせ、お互いが水割りを口に含んだ。

「で何で家出?」

 ちびちび飲みながら上目遣いで見る郁美が口を開いた。
 何から話したものだか、梓は溜息を吐く。

「あたしが居たら、上手く行くものも行かなくなるから」
「何よそれ。そんな事あるわけないじゃん」
「あるよ。だから郁ちゃんに頼みがあるの」
「事と次第によるな。バレたら二人の制裁怖いもん」

 郁美は顔を顰め、後ろに手を着いて上半身を退いた。
 梓を合コンに連れ出した時は、三時間正座をさせられてのお説教を喰らい、その後も正座をしたまま反省文を書かされて済んだが、家出幇助となると話は変わって来る。
 それなりの理由がなければ、とてもじゃないが協力は出来ない。何しろ命がけになるかも知れない。
 梓も分かってて言っている。それでも他の人には頼めない。

「それで? あたしに何を頼みたい訳?」
「部屋を借りる保証人」
「保証人って、あんたどこまで考えてるの?」
「隣県に家具家電付きの物件見つけた。仕事も辞めて、新しい所探すつもり。とにかく今はここを離れたいの」

 翔や怜のことも勿論だけど、城田のこともある。ここを離れて仕切り直したい。
 茫然と梓を見る郁美を真摯な目で見返した。
 しばらく動かなかった郁美が座り直し、テーブルに腕を着いて身を乗り出す。

「梓がそれだけのことを決めたんなら、相応の覚悟をしてだと思うけど、事が事だけに理由を聞かないと協力できない。あんたが家出したなんてなったら、あの二人、半狂乱になるの分かってるんでしょ? 片棒担いだなんて知られたら、あたしだってヤバいんだから」

 想像したのか、郁美は大袈裟なくらい身震いした。
 そうだよね、と心中で呟く。
 果たして郁美に話すことが正解なのかは分からないけど、一人で溜め込むには事が大きくてしんどくなっている。
 梓は意を決して、包み隠さず郁美に話すことにした。



 話を聞き終わった郁美は、それはそれは大きな溜息を吐いた。

「遂にやらかしたか、あの人は。いつかやらかすんじゃないかと心配してたけど」
「え? 怜くんって、そんなにヤバそうだった?」

 郁美の思い掛けない言葉に、梓は恐る恐る訊き返す。すると郁美はポカンと口を開けて、一瞬放心してしまった。
 それから何とか気を取り直し「うん。そうだよね。梓だもんね」と何気に失礼な言葉を吐き、ムッとして郁美を見る梓の肩をポンと叩いた。

「あのさ。翔にぃのシスコンは実兄だから仕方ないにしても、怜くんのシスコンぶりには危惧するものが満載だったわよ? それに気付いてなかったのって、多分本人と梓だけだと思う」

 梓は茫然と郁美を見た。彼女は梓の顔を見て二度頷く。

「まあ怜くん、梓にが集って来なければ、基本あんたの前じゃ女神様だったからね。惑わされてたとしても不思議じゃないけど。ところで、翔にぃと怜くんの仲はどうなってるの?」
「……どうだろ。最近二人と真面に顔を合わせてなかったから……」

 怜は、まだ翔に話していないようだった。脅しはそれなりに有効だったらしい。
 ずっと隠し通してくれたらいい。兄の幸せを壊さないでくれたら、何も望まない。
 二人は黙り込んでグラスを傾ける。梓がクピクピ飲んでいると、郁美が急に目を見開いて固まり、梓を凝視している。梓はカワハギを咥えて首を傾げ「どうかした?」と訊ねると、いきなり郁美にグラスを取り上げられた。

「な、なにッ!?」
「何じゃない! あんた妊娠してたらどうするつもり!?」

 考えたくない現実に引き戻された。
 梓はぶすっくれた顔で郁美を見ながら、カワハギを咥えたまま咀嚼する。

「どうするも何も……考えてない」
「考えてないって、あんたねえ」

 尽々といった風の呆れた声と眼差し。梓がどんな性格か知っているから、感情で責め立ててはこない郁美に感謝する。
 梓は溜息を吐いて、両膝を抱え込んだ。その上に顎を置くと、郁美を上目遣いに見上げる。 

「だって実感ないし。……二人のことを考えたら、中絶した方が良いのかなって思うけど、あたしは子供を殺せるのかなって思ったら、そこでフリーズ。じゃあ産んで一人で育てられるのかって考えたら、世の中そんなに甘くないじゃない? 行政のお力を拝借したところで、結構大変だって話聞くし。でね。思ったのよ。妊娠してるかどうかも分からないうちに悩んだって仕方ないし、妊娠してるって分かった時に、自分がどうしたいのか考えようって。その時は心のままに動こうと思ってる」

 郁美にサムズアップすると、彼女は脱力して項垂れた。そして長い溜息を吐き、「あんたの開き直りの速さは見習いたいわ」と手近にあったフライビーンを抓んで、矢庭に梓へ投げつけた。
 腕に当たって転がり落ちたフライビーンを拾い上げ、梓はカリカリの殻を剥いて口に放り込む。

「だって分からない事でクヨクヨ悩んだって仕方ないじゃない。だったらそんな事で時間を潰すよりも、動かなきゃならない事に時間を使わなきゃ」
「そーなんだけどね、その通りなんだけどね……分かった。梓に協力する。もし二人が何か言って来ても、知らぬ存ぜぬで通すから。幸い怜くんの弱みも握ってるしね」
「弱み?」
「梓を手籠めにしたこと。それで梓を追い詰めて家出させたんだって、怜くんを追い込んで甚振ってやる。積年の恨みをこの機に晴らさぬでおくものか」
「郁ちゃん。顔が悪人」

 悪い顔をしてシシシッと笑う郁美に、梓は眉尻を下げて苦笑し、何気にグラスへ手を伸ばすと、郁美に手をパンパン叩かれた。

「痛いぃ郁ちゃん」
「おバカ。はっきりするまでお酒は禁止。産むならもっと先まで禁止!」
「え~ぇ」
「え~じゃない。今お茶持ってくるから。あと塩分控えめの何か作ってあげるから、酒は飲むなよ?」

 眉を寄せて怖い顔で睨まれれば、梓は大人しく頷くしかない。彼女の心配は凄く嬉しいし、一人じゃないって心丈夫になれる。
 分かったと頷くと、梓のグラスを片付けて部屋を後にする。思わず舌打ちをしてしまったが、ちょっと嬉しくて顔がにやけた。

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