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4. 怜、不測の事態に困惑し、結果突っ走ることにした
怜、不測の事態に困惑し、結果突っ走ることにした ⑧
しおりを挟む怜を引っ叩いた後、梓は急いで帰り支度をした。
彼は引き留めなかった。引き留められても困るから、助かったけど。
あの麗し過ぎる女神さまのような怜の顔を平手で張る日が来るなんて、想像もしなかった。
(グーじゃなかっただけマシよね)
悪いのは怜だ。
彼のマンションから徒歩十分が、正直辛かった。所々で塀に寄り掛かって休んでいたら、通行人に変な目で見られたり、心配して声かけられたり、申し訳なさと怜に対する怒りでどうにかなりそうだった。
帰宅して真っ先にやった事は、シャワーを浴びる事だった。
鏡に映った自分を見ると、次から次へと涙が溢れて来る。
肌に刻まれた所有印。
未だ怜に侵されているような異物感。
痛いだけ。
最初は逃げ出したいほど痛かった。なのに何度も愛されているうちに、身体が快楽を拾うようになり、気持ち良くて怜に縋りついてしまった。それが悔しい。
今は心が痛い。
誰よりも慈しんでくれた兄を結果的に裏切ってしまった事が、途轍もなく切なくて消えてしまいたくなる。
梓は稀有な存在と言っていたけど、そんな事があっていい訳がないじゃないか。
父と母は理想の夫婦だった。
それに次いで翔と怜の仲の良さは理想の恋人だった。
だから一時の感情で壊して欲しくない。
けど――――
下腹に手を当てた。
もし梓が望まない方向に向かってしまったら、自分は何を選ぶだろう。
翔の顔を真面に見られなかった。
何かにつけて理由を作り、躱し続けるのも辛い。家でも会社でもこんなだから、最近翔は苛々したように梓を睨み、絡んでくるから困った。
そのくせ不意に優しくなって、どうしたのかと心配されるから、良心の呵責が半端じゃない。
城田のことも頭が痛い。
告白をされた翌日、心配するメールを既読スルーし捲っていたら、鬼のような着信に心が痛くなった。彼には迷惑を掛けたくないし、でもなんと説明したらいいのか分からなくて、ごめんなさいメールで済ませてしまった。けど理由も解らないで納得するわけない。このまま呆れて諦めてくれたらいいのにと、狡い事を考えてしまっている自分に、ほとほと愛想が尽きる。
城田は全然悪くないのに理不尽な目に遭わせてしまって、彼にも良心の呵責を拭えない。
そして問題は怜だ。
翔の目がない時に、諸悪の根源はやたら接触してくる。
怜の用件は分かっているから、絶対に掴まる訳にはいかない。
彼が大石宅に来た時は、すぐさま自室に籠って鍵を掛けた。翔の目があるから無理にどうこうしようとしないのだけが救いだ。
いよいよ明日からお盆休みと言う時になって、恐怖の大魔王が背後に立ったのを感じた。けれど梓は顧客と電話中で逃げるに逃げられなく、話をしたまま隣の席に座る由美の傍に椅子をコロコロ転がして移動すると、助けを求めるように彼女の腕を握った。
由美は背後で仁王の様に立つ怜を一瞥し、梓の肩を抱いてくれた。それだけでほっとする。
しかし。
(電話を切るのが怖いなんて初めてだよぉ)
相手も仕事があるだろうから、梓の都合で話を延ばすわけにいかない。わかっちゃいるけど、後ろの人が怖すぎる。
電話が終わって、梓は途方に暮れた目をした。肩をがっしり掴んだ怜の指が微妙に食い込んでいるのは気のせいではないだろう。
「終わったね? ちょっと僕の部屋まで来て貰えるかな?」
疑問符が付いてるけど、お伺いなんかじゃない。これは命令だ。
社員が見ている中で上司命令なんて、卑怯にも程がある……と逃げ回っている自分を棚に上げて思う。
喉がゴキュッと鳴る。横目で由美を見て助けを求めた。
「アズちゃん。ごめん。喉がいがらっぽいんで水分欲しいんだけど、いま手が離せなくて。お願いしてもいい?」
「も、もちろん。すぐ行ってきますっ」
「なら僕「あんたはちょい待ち」
怜の言葉に被せて由美が制止し、彼を捕まえて梓に行くように合図すると、一目散で給湯室に向かった。
「姉御。放して」
慌てて逃げ去った梓を見送ると、半身を返して由美を見下ろした。
「ああっ!? あんたに話があるのよ」
「僕はな……何でしょうか。先輩夫人」
由美がスマホをチラつかせた途端、怜が大人しく言う事を利く姿勢を見せた。
スタッフたちには最早見慣れた光景だ。体育会系ルールは死ぬまで遵守が鉄則であり、如何に理不尽であろうとも、先輩は神である。故に先輩の奥方を軽んじるとその後が怖い。因みに姉御と言うのは高校の頃の由美のあだ名だ。
いう事きかないと旦那に連絡するぞアピールに、怜は従うしかないのだ。
「怜、あんたアズちゃんに何したの? 怜くん大好きっ子がここまであんたを避けるなんて、普通じゃないでしょ」
この数日、スタッフ全員が思っていたことを代表して言う。
怜がふと目線を上げると、スタッフたちが一斉に注視している。これにはちょっとたじろいだ。
目線を下ろせば由美が腕と脚を組んで、椅子に踏ん反り返っている。
(代表より偉そうな事務社員って……)
頼んで入って貰った手前、強く出られないのが口惜しい怜である。
AZデザイン事務所で最強は、この鈴木由美以外に居ない。
さっさと白状しなと目で脅しをかけて来る由美に、「言えない」と返した。彼女は不快そうに片眉を持ち上げる。
「言えないって、つまり人様に言えない事をした訳?」
「……ぅ、と…その。アズに口止めされてる」
「ふ~ん。口止めねえ。そう言えば、翔ともギクシャクしてるわよね? アズちゃん。それにも怜、関係してるの?」
「ここでそう言うツッコミ止めてくれるかな?」
「なんなら怜の部屋でとっくと聞かせて貰おうかしら?」
「だから言えないって」
先ずは怜が解決しなければならない事だ。だから必死に何とかしようとしているのに、肝心の梓が逃げ回っている。
思わず深い溜息が漏れた。
「まあ怜がとんでもなく悪いことをアズちゃんにしたことは理解したわ」
「お前ホント嫌な奴」
「何とでも仰い。でなきゃあんた達と何年もツルんでられないわよ。とにかく今は何したって無理でしょ。もう少しほとぼりが冷めるまで待つことね」
いつも澄ました顔をしている怜が、年下の女の子に振り回されている様子を、高みの見物と決め込むのは、第三者の由美からしたらなかなかない娯楽だ。
心底途方に暮れている怜を、由美は残酷なほど愉し気に笑うのだった。
由美が何と言って怜を大人しくしてくれたのか、彼は纏わり付いてくるのを止めた。
しかし。一難去ってまた一難。
エレベーターが開いた瞬間、正面に見えた人物と目が合って、梓はエレベーターの開閉ボタンを連打した。
こんな不意打ちで来られるなんて思ってなかった。けどよく考えたら、Cooと仕事をしている以上、先輩の城田が会社を突き止められない訳がない。
そしてまた何で、こう言う時に限ってドアの閉まりが遅いのか。
(こっちが乗ろうとしたら、無情な早さで閉まるくせにッ!)
閉まり掛けたドアの隙間に城田の爪先が入り込み、些か怒った顔をした城田が乗り込んできた。彼の背後でドアが閉まる。
「やっと会えた」
梓の顔見て、城田はほうっと息を吐き出した。その安堵したような表情に、梓は思わず俯いてしまう。
(ごめんなさい。あたしはお会いしたくなかったです。少なくとも今は)
何せここは伏魔殿。いつひょっこり三人と出会すか分かったもんじゃない。
それだけは絶対に回避しなければと思う。
特に怜とバッティングするのだけは勘弁して欲しい。
梓は直近の階数を押し、城田を見上げると「場所を変えませんか?」と提案する。彼は「ちゃんと話してくれるなら、何処でもいいよ」と頷いた。
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