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2. 梓、過保護な兄たちに宣戦布告する

梓、過保護な兄たちに宣戦布告する ⑤

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 剛志は悉く停止するエレベーターの表示ランプを見て、途方に暮れた。
 こんな嫌がらせをするのは、知る限り郁美しかいない。
 子供の頃から郁美とはとことん反りが合わないのだ。
 剛志には翔たちの命令は絶対だったし、彼らに信用されて任されている事が誇りでもあった。だから梓の意思に反することをする剛志を、彼女は酷く嫌っている。剛志の方も敵意を剥き出しにされれば、自ずとそれに見合った対応になる訳で、出会ってから十八年犬猿の仲だ。

 正直、いくら妹が可愛くて心配だったとしても、ここまでする翔の気持ちが解らない。昔から妹を大事にしてはいたけど、二人の両親が事故で他界してから、さらに拍車が掛った様な気がする。
 剛志はまだ身近な誰かを失ったことがないから、翔の喪失感を理解できないのかも知れない。

 最上階で停まった表示ランプを見て、重たい溜息を吐く。
 最初に停まった四階から、順に探して歩くしかなさそうだ。

「先ずは報告だなぁ」

 言葉にした途端、胃の腑にずっしりとしたものを感じる。無意識に鳩尾を擦り、翔の個人番号に発信した。
 間もなく応答の声がし、剛志は背筋をシャキッと伸ばして正直に現状報告すると、翔の不快そうな波動が電波を介して鼓膜を揺すった。

『お前、何やってんの? 何のためのお目付け役?』
「そうは言ってもですね」
『なに。反抗的だな』

 ドスの利いたバリトンボイスが、脳を鷲掴んで直に揺さぶりを掛けて来るような錯覚。このまま聞き続けていたら、脳震盪を起こして卒倒しそうな破壊的な響き。
 剛志にとって翔は絶対王者だ。否は許されない。

「すみません。これからエレベーターが停まった四階以降の捜索を開始します」
『分かった。俺たちも追ってそちらに向かうから、絶対に逃がすなよ?』
「了解です」

 ついいつもの癖で電話の向こうの翔に敬礼すると、通行人に奇異な目で見られ、剛志はソロソロと隠れるように建物の端に寄った。
 電話が切れてホームに戻った画面に目を落として嘆息すると、エレベーターの前に立つ。もう一つ息を吐き出し、昇降ボタンを押した。

 翔との出会いは、幼稚園の年長から始めた空手道場だ。
 優しくて強い、憧れのお兄ちゃんだったし、目を掛けてくれるのが震えるほど嬉しかった。その彼が剛志に対して暴君に変わっていったのは、小学一年生になり、梓も空手を始めてからだ。

 飛び抜けて可愛かった彼女は、小学校でも道場でも男子の人気が半端じゃなかった。かく言う剛志もその一人で、梓が初恋だ。
 妹が男子の人気を集めている事が、翔にとったら心配以外の何ものでもなく、付き纏っている男子を悉く排除していた。本来なら剛志も排除される側だったのだが、難を逃れたのは偏に、翔に可愛がられていたからだろう。

 翔の目が行き届かない所で梓を守る役目を任されて、有頂天になった。
 一端のナイト気取りで、梓に近付く不埒者を遠避ける事に、快感さえ覚えた。
 時には剛志よりも体格のいい上級生相手にボコボコにされ、梓に助けられたことが翔の耳に入れば、『情けない』の一言と共に、かなり強烈な指導が入ったものだ。
 その甲斐(?)あってか、頭一つ抜けて強くなっていったから、翔の指導も無駄ではなかった。それが梓の為以外の何者でもないとしても。

 扉の開いたエレベーターに乗り込み、四階のボタンを押す。剛志は扉が閉まるのを眺めながら、厄介なことをしてくれた郁美に毒づくのだった。



 ハイスペックなお医者様たちとの会話や所作は、素晴らしく洗練されていて、梓を終始ドキドキさせてくれる。
 職業柄もあるのかも知れないが、全員が三十代で落ち着きがあり、片や二十代中盤の女性陣をさり気なく気遣ってくれるので、ちょっとしたお姫様気分を満喫していた。

 梓に話しかけてくれているのは、朱音の親戚の西田聖一。初めての合コンに参加している彼女を気遣ってくれる彼の言葉に、一々真っ赤になって反応してしまう。朱音が根回ししてくれたのだろうと察してはいるけれど、それでも嬉しいと思ってしまう自分が意外にも乙女脳だと気付いた。
 兄たちのせいで、こんな感情を知らずに来たこれまでの時間が、尽々勿体ない。

 聖一が梓のグラスにシャンパンを注いでくれる。小さな気泡が浮かんでいく様子をうっとりと眺めていた。
 大分酔っぱらっている自覚はある。
 この位のお酒、いつもならどうって事がないのに、きっと心地の良い雰囲気と会話が楽しいからだ。
 聖一と微笑を交わし合いながら、梓はグラスに口を付けた。

 バンッ!!

「「梓ッ!!」」

 扉を叩きつけた開閉音と同時に名前を呼ばれ、梓はシャンパンを思い切り吹き出した。飛沫が飛んだ先を目で確認しながら、身体が硬直していくのが判る。背中を這い上るような悪寒を感じた。
 闖入者に場の空気が凍り付いた。それを打ち砕いたのは香子だ。

「翔さま!? 怜さま!?」

 二人の乱入に驚きつつ香子の顔は上気し、席を立ち上がって二人に駆け寄らんばかりの勢いを削いだのは、他でもない翔と怜の冷ややかな視線。香子はピクリと肩を揺らして、その場から動けなくなってしまった。

「何なんだ、君たちは」

 一人が責める口調で問い質すと、翔と怜は真っ直ぐに梓の元に近寄って来る。二人に腕を引っ張られ、無理やり立たされた梓ががっくりと項垂れると、両サイドから舌打ちが聞こえた。

「うちの妹がお世話になったようで。大変申し訳ありませんが、本日はこのまま妹と失礼させて頂きます」
「な…ッ」
「郁美。香子。二人とも今度お説教だからね」

 怜の冷ややかな眼差しを浴びて、郁美と香子が凍り付く。
 後ろから付いて来た剛志に翔が目で合図すると、彼は急いで梓の荷物を抱える。それを確認すると、腕を取られて半分ぶら下がっている梓と共に二人が踵を返した。

 一体どういうことだ? 
 このまま連行されて行くのか?
 ハッとして、梓は脚をバタつかせ、必死に身を捩った。

「なんで二人がここに来るのよッ! ここ会員制で入れないんじゃないの!?」
「…何だ。知らなかったのか? ここの内装デザイン、怜の仕事だぞ? その付き合いで俺たちが会員になってる事は、お前にも言ってたと思うがな」
「…聞いてないよ」
「……そうか? それは悪かったな」

 ニヤリと笑う翔に怖気が走る。血の気が引いた梓の顔を楽し気に見下ろすと、翔は思い出したかのように「ああ…」と呟いた。

「妹がご無礼するお詫びに、ここの支払いは済ませておりましたので、ゆっくり楽しんで下さい」
「ちょ…お兄ちゃんたちが無礼なんじゃない!」
「アズちゃん。ここは大人しく帰った方が、お店に迷惑が掛からないと思うけど?」

 見目麗しい微笑みのその向こうに、本能が逆らうなと警告してくる。
 梓がぐっと言葉を飲み込むと、怜は「いい子だね」と今度は女神さまの微笑みで見詰めて来る。彼女は完全に観念した。

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