上 下
2 / 115
2. 梓、過保護な兄たちに宣戦布告する

梓、過保護な兄たちに宣戦布告する ①

しおりを挟む
 

 その日、小学一年生からの親友、松本郁美からの着信で目が覚めた。
 枕元に無造作に転がったスマホを手にすると、「もひもひ」と第一声目は何とも気の抜ける声が出た。

(もひもひって何だ、もひもひって)

 セルフツッコミをしていると、電話の向こうで深く吐き出された溜息。そして辛辣な言葉が続く。

『あんたって、ホンッ…ト残念な女だよね。いつまでも寝惚けてないでシャキッとしなさい。朗報よ』

 朗報の言葉に彼女、大石梓はベッドから跳び起きて、居住まいを正した。

「待ってました」
『本日、十九時から医者との合コンが決定しました。なお場所は後ほど、地図を貼付してメールするから、兄たちにバレないようくれぐれも抜かるなよ?』
「か…かしこまり。郁ちゃん愛してるよ~ぉ」
『やめれ。あんたが言うと冗談じゃ済まなくなる』
「あははっ」
『笑い事じゃないから。もお…じゃあ今晩ね』
「うん。わかった」

 通話を終了し、枕の上にスマホを投げると、天パで猫っ毛が見事に絡まり合ったショートボブをわしゃわしゃ掻き混ぜ、大欠伸をしつつも軽快な足取りで、クローゼットに向かった。
 今日の天気はどうだったか、大きな瞳を上向けて昨夜の天気予報を思い出す。
 一日晴れ渡り、気持ちのいい初夏を感じさせてくれると、お天気お姉さんが言っていた。
 相手はお医者様だ。下手な格好をして行って、見下されたりしないようにしないと、そこまで考えてふと手を止めた。

 余り気合いを入れても不味い事を思い出した。
 気合いの入れ過ぎは破滅を招く。
 しかし入れねば今宵は壁の花。

(あ、そっか。着替え持ってこ……いやダメだ。そんな物持ち歩いたりしたら、速攻で手荷物検査だわ)

 そしてその理由を納得するまで延々と問い詰められ、就業後は身柄を拘束されて強制送還となる。
 これまで幾度となく、苦汁を無理やり呑まされて来たではないか。
 あの兄たちに!
 お陰で二十四にもなると言うのに、交際歴なし、完全無欠の処女ときた。キスすら未経験なんて、同じ年頃女子には恥ずかしくて話せない。
 友人同士の恋バナをいつもにこやかに聞きつつ、自分に振られたらやんわり微笑んで、さり気なく話を濁すこともそろそろ限界だ。
 このままでは世俗に在りながら、永遠の処女を余儀なくさせられそうで怖すぎる。
 それが強ち冗談では済まなさそうだから、実に頭が痛い。

(それだけは絶対回避ッ!)

 梓は考えた末、いつも通りの格好で出ることにし、会場に行く前に見栄えのする服を購入することにした。

(ちょっと痛い出費になるけど、背に腹は代えられないもんね)

 そうと決まれば、後はバレない様に一日を恙なくやり過ごす。
 一度クローゼットを閉め、梓は支度を整えるために洗面所へと向かった。



 洗面を済ませ、ぐちゃぐちゃに絡まっていた髪を四苦八苦して解きほぐし、ハーフアップにすると、パジャマ姿のままでリビングに行った。

「おはよ~」

 声を掛けると、同時に二つの声が返って来た。

「おはよう」
「おはようアズちゃん」

 ソファに座って新聞を読んでいる兄、かけるからキッチンの方に視線を流した。

「怜くん来てたんだ?」

 にこやかに微笑む美貌の青年を見留て、梓は締まりのないふやけた笑顔を浮かべた。
 栗色の絹糸のような少し長めのストレートヘアがサラサラと揺れる。目にかかりそうな前髪から覗く柳眉と綺麗な弧を描くアーモンド型の双眸は榛色はしばみいろ。スッと通った鼻梁は程良い高さで、口角がやや上がった唇は艶やかな桜色。

(神が作りたもうた秀逸の作品だよ、怜くんの美貌は!)

 女神さまのように麗しい事この上ない尊顔を惜し気もなく晒し、梓一人に向けて来る微笑は至高の宝。それを朝一番(厳密に言うと二番だけど)に拝めて、一気にテンションが上がる。

「うん。アズちゃんはいつも通りの半熟でいい?」
「はぁい。怜くん今日も麗しいわ」
「ありがと」

 苦笑しながら、熱したフライパンに卵を二つ割り入れる。
 朝から怜が家にいるという事は、昨夜は遅かった兄と共に帰宅して泊ったという暗黙の了解。
 そして翌朝、決まって怜が朝食の準備をする。

 大石の両親は、梓が高校一年の時に事故で他界している。夫婦仲が良くて梓の理想だった両親は、暇を見つけてはよく旅行に出かけていた。その旅先での事故だった。
 以来、六歳上の兄が彼女の保護者となり、養ってくれた。

 当時、芸術大学でデザインの勉強をしていた翔は、同じくデザインの勉強をしていた怜と起業し、ネットでプロダクツ、インテリア、各種デザインの提案と提供をし、着実に顧客を掴んでいた頃だった。
 少しずつスタッフを増やし、建築、工業製品、ゲームグラフィックと多岐に渡って拡張し、現在ではAZアズデザイン事務所の二枚看板となっている。
   余談だが、“AZ”は最初から最後までと言う意味でもあるが、シスコン兄たちが梓の名前から取ったものであることは、社員全員が知っている。
 梓もまたそこで働く社員となっていた。

(他の所に就職する選択肢が、最初から絶たれていただけだけどね)

 一度に両親を失い、翔が異常に心配するようになったせいで、就職はおろか、バイトもずっと兄の下で働いている。なので顔だけは古参の社員と変わらない。
 正社員になってまだ二年目だけど、任されることは結構多いのだ。



「アズちゃん。お願い」

 呼び掛けられ振り返った先に、出来上がった朝食が並んでいる。梓はそれをダイニングテーブルに並べていく。

「お兄ちゃん」
「おうっ」

 翔が新聞を折り畳み、ダイニングまで伸びをしながら歩いて来る。定位置にどっかりと腰かけ、入ったばかりのコーヒーを熱そうに啜った。
 この八年、見慣れた光景ではあるけれど、毎度思ってしまう。
 翔は父親で、怜は母親。そして二人に愛される娘の自分。
 実際二人の過保護ぶりには閉口している。

(ホントこの夫婦は……)

 ごく自然に梓の隣に腰を下ろした怜をチラ見し、正面の翔を見る。
 翔は全員が着席したのを確認し、合掌すると「いただきます」と号令をかけ、梓と怜もそれに倣った。子供の頃からの習慣は、この兄に引き継がれて健在だ。
 惜しむらくは、この先この場に子供の声が響くことはないだろうと言う事。

(このまま一生結婚しないで、三人で暮らすのも悪くないとは思うけど……)

 一度くらいは恋愛をしてみたい。
 二人にではない、誰か特別な人に愛されてみたい。

(二人ばっか狡いよ)

 その思いを抱くようになって随分経つ。



 明るめの黒髪をふんわりと後ろに流している兄を見る。
 凛々しい眉、涼やかな切れ長の双眸、絶妙な高さの鼻梁と意思の硬さを窺わせる引き結んだ唇は、意外にも笑顔が良く似合う。それに陥落する婦女子の多さと来たら、数え上げたらキリがない。

 中性的な怜とは対照的に、男性的の言葉が似合う翔。しかし実は中身が真逆だ。
 女性と見紛うばかりの怜はバリバリの漢で、普段の柔和な容姿からは想像も出来ない事をやらかすし、冷徹な鬼になる。反対に肉食系と思われがちな翔は温厚で、易々と笑顔を崩すことがない。人の話をよく聞き、相談にも気軽に乗る彼は理想の上司だ。

 この二人が共通して変貌するのは、決まって梓のことである。
 年の離れた妹を守ってね、と言う母の呪縛を疑う事も知らず、翔は子供の頃からひたすら完遂しようとしてくれるのだ。
 そこはもおそろそろ緩めようよ? ――――この言葉が何度無残に散っていったか。 
 母の呪縛、恐るべし。

 そして怜だ。何もわざわざ翔に付き合ってやることなどないのに、初めて会った小学四年の頃からずっと、翔と共に梓の周辺を守り固める双璧と化している。
 鉄壁と言ってもいい。
 二人は高校の頃、翔は空手部の主将で、怜は副将だった。実力は互角だったらしいが、怜がトップを嫌って副将になったと聞いている。

 兄の性癖を知ったのは、彼らがまだ高一の頃。
 遊びから帰宅して、母に怜が来ていることを聞くや、兄の部屋に急いだ。勢いよく部屋の扉を開け放ち、目に飛び込んだ光景に愕然とした。
 二人はベッドに腰掛け、キスを交わしながら互いの身体を弄り合っていた。
 これが男女でも小学生には衝撃的だと言うのに、それが男同士、しかも兄と怜の二人がそんな関係だと知った時の衝撃は、言葉にして余りあると言うもの。
 梓はこの日、ショックのあまり熱を出して寝込んだ。

 見てはならなかった場面が繰り返し、夢の中を蹂躙する。
 目が合った時の二人の驚きと、すぐに取って代わった気まずさに歪んだ顔。
 見たこともなかった二人の雄の顔に、困惑し、怯えた自分。  

 翌朝『お母さん倒れちゃったら大変だから、怜とのことは内緒だよ?』と少し悲し気な微笑を浮かべた翔に口止めされ、黙って頷いた。
 何となく、兄はどこか違うと感じ取っていたのかも知れない。
 一晩泣いて寝て、起きたら意外にもすっきりしていた。

(大好きなお母さんを悲しませたくなかったしね)

 そこは梓が大人な対応で、二人の関係を胸の奥に仕舞い込んだ。
 二人ともそれ以外は普通だったし、凄くいいお兄ちゃんだったから、彼らを悲しませたくはなかった。
 それから十四年、二人は変わらない関係を築いている。
 兄にさっぱり彼女が出来ないことをよく零していた母に、ついペロッと言ってしまいそうになったのは一度や二度ではない。知らないまま天に召された両親は、ある意味幸せだったかもと思う。

しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

彼氏に別れを告げたらヤンデレ化した

Fio
恋愛
彼女が彼氏に別れを切り出すことでヤンデレ・メンヘラ化する短編ストーリー。様々な組み合わせで書いていく予定です。良ければ感想、お気に入り登録お願いします。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...