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9. ずっと一緒だよ。

ずっと一緒だよ。⑥

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 一周忌を過ぎた頃からだろうか。椥はこれまで自分を繋ぎ止めていた足枷が外れたような軽さを感じていた。
 そしてふと気付く。
 半径五十メートルの行動範囲から、容易く抜け出している自分に。

 椥は自宅の方を振り返った。
 はてと首を傾いで自宅に向き直り、そのまま後ろに下がって遠ざかって行く。
 常ならば、罰ゲーム宜しく物凄い勢いで強制的に帰宅となるのだが、後ろに下がった分だけ離れて行った。
 高度を上げ、小さくなった自宅を見つめる。
 もうすぐお役御免となりそうだ、そんな感慨と共に一抹の寂しさを感じる。
 椥の心臓は、沙和の中で確かな強さで鼓動している。もう心配する必要もないという事なのだろう。

(……いや。まだ心配な案件が残ってるな)

 篤志の顔を思い出して、椥は渋面になった。
 可愛い妹の傍に、不埒な輩は近付けたくないのが椥の偽りのない思いではあるのだが、枷が外れた今の状況から鑑みても、そう遠くはない未来で、沙和と永遠の別れがやってくる事になりそうだ。
 せめて、沙和が嫁に行くまで守らねばと思うのだが、果たしてそれまで一緒にいられるのだろうか。
 男女交際の一切を認めていない癖に、随分と勝手なことをと思わず自嘲する。

 沙和が積極的ではないのを良いことに、いま彼女の交際範囲を狭めているのは椥だ。けれど沙和に一生独身で生きなければならないような、可哀想な仕打ちはしたくないとも思っている。何とも悩ましい事に。
 椥が居なくなった後のことを隼人に頼めば、姉が大好きな彼のことだから、ずっと傍に居てくれるかもしれない。けれど、隼人だって何れは愛する人を見つける。椥が碧と出会って、生涯を共にしたいと思ったように。
 沙和だとて例外ではない。多分。

『分かっちゃいるんだけどなぁ』

 椥のエゴで沙和がおひとり様街道まっしぐらなのは、一応悪いと思っている。

『けど、当の本人があまり気にしてないから、ついつい甘えちゃってるよな』

 それでも。
 沙和が “どうしてもこの人じゃなければダメだ” と言うような男が現れたら、断じて認めたくはないが、めちゃくちゃ寂しいし、何発か……ボッコボコに殴ってやるが、最終的には相手の男に沙和を託す心算でいる。

 しかし、どうやら沙和は沸点が何処にあるのか分からないくらい、恋愛に対して温度が低い。
 篤志と仲違いした時にあれだけ落ち込んでいたのは、一体何だったのか。
 少なくとも、篤志は沙和の特別なんだろうとは思っている。恋愛感情云々を抜かして、ではあるが。

(長年使っていた物に、愛着持つようなもんか……?)

 脱力しそうになる篤志の笑顔を思い出し、椥は肩を落として溜息を吐く。
 中学の頃から沙和一筋の篤志のことは、それなりに評価している。
 篤志ならば絶対に浮気しそうもないから安心感はある。
 が、唯でさえ篤志の顔を見ると腹が立って来るのに、好きという感情だけで動ける学生のうちに、大事な妹を任せる気は毛頭ない。
 恋愛も人生経験として必要かも知れないけれど、上手く行かなくて沙和が泣くのは見たくないのだから仕方ないじゃないかと、開き直る。
 あの魔の一ヶ月は、椥の心を酷く痛めつけてくれた。

(自業自得なんだけどさ)

 沙和の心の変化に言いようもない焦りが生まれた。
 だから彼女の心を汲み取る振りして篤志を追いやったのに、その篤志が今までになく態度を硬化させてくれたもんだから、椥は胆を冷やす羽目になった訳で。
 篤志の我慢の限界が一ヶ月で済んで良かったと、切実に思う。

『沙和に口利いて貰えないとか、ホント針の筵だったな……はぁ』

 長年会えなかった反動で、シスコンが暴走する痛い奴だと自覚はあるのだ。これでも一応。
 それでもまだ、篤志を認められない。
 沙和の泣く姿は見たくないが、かと言って、ほいほい大事な妹を篤志なんかに任せるなんて、考えるだけでも癪に障る。
 そんなジレンマに悶えるも、ここで絶対に態度を緩めることはせず、お友達の延長線上での付き合い程度に止まらせる心算だ。それだって椥にしたら充分な譲歩だろう。
 兎に角、沙和には悪いが恋愛経験値を上げることは、すっぱり諦めて貰うしかない。椥の心の平安のために。

『まあ篤志の事だから、沙和のためだったらそれでも我慢するだろう。いや。俺が絶対そう仕向けるっ!』

 沙和に注いだ愛情の分の見返りを、篤志は性急に求めない。
 決して欲がない訳ではないし、出来れば沙和と男女の仲になりたいと思っていても、嫌われたくないが故に、常に沙和のペースを守ってくれる。さすがヘタレだ。
 それを椥の良いように扱ったとしても、篤志に対してこれっぽっちも罪悪感を感じない。

『こと恋愛に掛けちゃ、沙和ののんびりはナマケモノかスローロリス並みだからな』

 篤志のアプローチが沙和に届くまで、実に八年の歳月を掛けている。これが椥だったら当に我慢の限界を越えて、キレ捲っている事だろう。篤志が我慢強くて良かったと心底思う。
 同じ男としては、同情を禁じ得ないが……。
 しかし。
 沙和のこの鈍さについて、椥は常々考えていた。
 彼女は自分の容姿に自信がない。特に身長はかなりのコンプレックスを抱いているようで、自分なんてと思っている節がある。

(けど、それ以上に……)

 椥はゆっくりと自宅へ移動し始めながら、バイトへ行く支度をしているだろう沙和に思いを馳せる。重い溜息を吐き出した。

(沙和の恋愛温度が低いのって、父さんたちの所為もあるよな。多分)

 低いどころかマイナスのような気がする。
 そこに追い打ちを掛けた椥にも、責任の一端はあるだろうなと思う。
 沙和は別離に対してかなり臆病だ。だから無意識にセーブしている。
 決め手の何かが起こらない限り、きっと沙和は変わらないんだろうなと溜息を吐いたタイミングで、沙和の椥を呼ぶ声が頭に響いた。

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