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7. 失くしたくないから…ですか?

失くしたくないから…ですか? ⑨

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 碧と別れ、帰宅すると真っ先にしたことは、母に憤りを打るける事だった。
 椥が亡くなっていた事、そしてドナーであった事をこの先もずっと沙和に隠していく心算だったのか、それだけは確認しておきたかったから。

 夕飯の支度をしている母が手を止めて、カウンター越しの沙和を凝視している。間もなくして母は震える唇から言葉を繰り出した。

「どうして…それを……?」

 沙和の口から聞くとは思っていなかったのだろう。母が酷く動揺しているのを隠そうと、冷蔵庫に身を翻し背中を向ける。

「お兄ちゃんの婚約者、碧さんに聞いた」
「な……っ」

 振り返った母は瞠目し、取り出した麦茶を持つ指先が白くなっていた。それを見るともなしに見、母の考えを先読みすると、溜息混じりに言葉を紡ぐ。

「彼女を責めないでね。碧さんは悪くないから。あたしが、ううん。幽さんが彼女を気にしているようだったから、後を着けたの。着いた所は小出家の墓前だった。今日、お兄ちゃんの月命日だったんでしょ?」

 焦点が定まらない母の瞳を覗き込んだ。頬を僅かに引き攣らせた狼狽ぶりに、沙和が薄く微笑む。

「幽さんが、引き合わせてくれたの」
「どうして幽さんが?」

 察しは付いている筈だと思う。
 母から差し出された麦茶で口を潤し、沙和の部屋辺りに視線をチラリと送って、目を戻す。

「幽さんね……」

 そう言って短く息を吸い込み、麦茶のグラスをカウンターに置いた。

「幽さんの正体、お兄ちゃんだったよ。記憶も取り戻した。だから下手に誤魔化したりしないで、本当のこと教えて?」

 手にしていた冷水筒を調理台に置き、母は溜息を吐くと「そう」と呟いた。しばらく何事か考えていた彼女は視線を上げて、沙和を見ると薄っすらと微笑んだ。

「なぎ……あの子が、沙和を守ってくれてるの」

 二階に視線をやり、沙和に戻した瞳は微かに潤んでいる。

「いずれは、言わなければと思ってたのよ? 沙和の心臓が、もう少し落ち着いたら、椥が亡くなったことは伝える心算だったの。大好きなお兄ちゃんが死んだことを隠し続けるには、無理があるものね」

 沙和が兄の身を心配した時に、尽々実感したらしい。
 死んでも妹を心配していた椥と沙和の繋がりを改めて知ることになり、仲の良かった兄妹を引き離した事の呵責を母が漏らした。

 両親は子煩悩だった。けれど子供ために自分を殺して、偽りの夫婦でいる事は難しかったようだ。
 結婚はおろか、恋愛経験がほぼないに等しい沙和が、夫婦のことに口出すことは憚れた。子供の立場からしたら、離婚などして欲しくはなかったけれど。

「椥と、こんな別れ方をするなんて……疎まれても、もっと、椥に会いに行けば良かった」

 母の涙がぽたぽたと落ちる。
 調理台に出来る水溜りをぼんやり見ながら、沙和は自分の胸に手を当てた。心なしか、心臓の音が早く大きくなったようだ。

(聞こえてる? ……お兄ちゃん)

 母を許せるかは別として、彼女の気持ちは兄に届いている。
 嬉しいような切ないような、複雑な心境に戸惑っている椥を感じて、沙和は兄の蟠りが早く溶けていくことを願った。

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