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7. 失くしたくないから…ですか?
失くしたくないから…ですか? ③
しおりを挟む黒服の女性をあとを追って、沙和は電車に乗った。
郊外の駅で降り、今度はバスに揺られること十五分弱。
下車した彼女は真っ直ぐ花屋に入り、沙和は外で待っていた。花束を抱えた彼女は脇目も振らずに歩き出す。
付かず離れずの距離を保ち、舗装され曲がりくねった上り坂を歩くこと数分。辿り着いた所は緑に囲まれた霊園だった。
(お墓参り、か)
幽さんはやっぱり黙ったままで、彼女の後ろを付いて行く。
その後ろ姿が震えていて、泣いているように見えるのは目の錯覚だろうか?
黒服の女性は桶に水を汲んで、林立する墓石の間を迷うことなく歩いて行く。通いなれた道のように。
無性に胸が騒ついた。
この先にある物を見たくない―――どうしてそんな風に思うのだろう。
見てしまったら、引き返せなくなる気がした。
なのに、足が動いてしまう。
行きたくない。
見たくないのに……。
女性が立ち止まり、一基を前に向かい合う。沙和は喉を鳴らして彼女の行動を窺った。
外柵にバッグを置いた彼女は古い花を退けると、墓に柄杓で水をかけ、花を差し替える。その淡々とした動きを沙和は少し離れた所から眺めていた。
幽さんも茫然とした面持ちで彼女を眺めている。
女性は線香を供えて手を合わせると、瞑目した。そこでやっと幽さんが沙和を思い出したかのように振り返り、何か言いたげに開いた唇を引き結ぶ。沙和はゆっくりとした歩調で近付いて行った。
女性の後ろに立ち、墓石を目にする。
ドクンッ! と大きく心臓が鳴った。
瞠った目が墓石に刻まれた家名を捉え、沙和の唇が小刻みに震える。
「……うそ」
愕然とした沙和の呟きに、手を合わせていた女性が振り返り、驚いたように小さく声を漏らしたけど、沙和の耳には届かなかった。
女性を押し退けるように、沙和は墓に対峙する。
そうは多くない姓だと思う。
朧げな記憶が甦って来て辺りを見回すと、沙和の足が震え出した。
霊園なんて似たり寄ったりで、はっきりと覚えているわけではない。けれど、緑に囲まれた風景と、少し離れた所に聳え立つ象牙色の観音像には覚えがあった。
沙和は墓石に向き直り、怖ず怖ずと伸ばした指先を家名に這わせる。
墓石には “小出家之墓” と彫られていた。それは嘗て沙和も名乗っていた苗字だ。そして墓石の横に移動し、その名を見つけた。
見つけてしまったのだ。兄、椥の名前を。
知らず涙が溢れて来た。
“椥、享年二十三” の冷たさしか感じない硬質な文字を何度目で追っても、変わることはない。
「おにぃ……ちゃん」
夢を見た時から、そうなんじゃないかと予感はしていた。けど実際にこの目にすると、どうしようもなく涙が溢れて来る。
そのまま泣き崩れてしまいそうになる沙和に手を伸ばし、支えてくれたのは、眉を寄せ憐憫の眼差しで彼女を見つめる女性だった。
女性は尾田碧と名乗った。
椥とは、高校二年から付き合っていた婚約者だと自己紹介され、沙和が何とも言い難い顔で彼女を見たら、苦笑していた。
細面に白皙の肌は滑らかで、柳眉とアーモンド形の双眸に綺麗な弧を描いた二重。小さめの鼻はスッとしていて、形の良い唇には薄いピンクのルージュ。同性の沙和から見ても可愛い系の美人だ。
こんな可愛い婚約者を置いて、さっさと死んだ兄は馬鹿だと思う。
その碧は沙和が泣き止むまで、ずっと肩を抱いて付き添ってくれた。
先祖代々の墓の前に座り込んで号泣した沙和は、後からご先祖様へ謝罪の言葉と共に深々と頭を下げた。
「椥も幸せ者ね。何年も会っていなかった妹に、ここまで慕われて」
死んでしまっては、幸せもあった物じゃないと言いかけて、沙和は言葉を呑んだ。碧の寂し気な微笑みを見たら、何も言い返せなくなってしまった。
沙和がモゾモゾ居心地悪そうにすると、不意に碧の目線が沙和の胸元に落ちた。それを訝し気に見る沙和に、碧はしばし言い淀んでいた口を開く。
「心臓の、手術したのよね?」
「え?」
何で知っているのだろうと言う疑問に彼女は微笑み、
「ちょっと音を聞かせてくれる?」
「……はい?」
「ドナーね、椥なの。だから、元気で生きている音を、聞かせて?」
ついつい胡乱な目で見てしまった沙和に、碧がそう言った。
何を言われたのか直ぐには理解できなかった。けれど今にも泣きそうに目を赤くしている碧が、質の悪い嘘を吐くとも思えない。
沙和は胸に手を当てた。
いま沙和を生かしている心臓が、兄のものだと碧は言うのか。
確かな鼓動を感じる手に視線を落とした。
「お兄…ちゃんの?」
「そう。お義父さんの夢枕に立って、沙和ちゃんを助けてやってって言ったんですって。あたしの所には現れなかったのに。酷い男よね」
碧は頬を膨らませ、墓を振り返って睨みつける。沙和もつられて墓を見て、墓石の上に腰掛ける幽さんを発見すると、「罰当たりッ!」と口走っていた。まさかそんな事など微塵も思ってないだろう碧が「ホントよね」とクスクス笑っているのを見て、沙和が微妙な笑いを漏らし、目線を碧に戻した。
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