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6. 心残りは何でしょう?
心残りは何でしょう? ④
しおりを挟む母が会社の上司の紹介で再婚するまでの二年弱を過ごした町。
両親が離婚する時に、三歳上の兄と別々に引き取られた。
母は忙しすぎる父には任せられないと、兄も引き取る心算でいたそうだけど、一人にしたら危なっかしい父親に付いて行くと言ったそうだ。
一緒に暮らせないのは悲しかったけれど、兄は毎日のように沙和に会いに来てくれたから寂しくはなかった。
ずっと一緒に居てあげるからね、そう言った兄はとても優しく沙和を可愛がってくれたのに、ある日を境に顔も見せてくれなくなった。
何を言っていたのか、まだ幼かった沙和はよく覚えてない。ただ普段は静かな兄が酷く激昂し、母を詰ると泣きながらアパートを飛び出して行った。それっきり兄には会っていない。
母の話では、暫くの後、父の転勤で海外に引っ越したそうだ。
海外から毎日通うなんて無理だと、世界地図を見ながらぼんやり考えていたことを思い出す。
けど大人の事情なんて関係ない。
沙和は兄に裏切られた気持ちが強くて、兄の話をしなくなると、母も自然と避けるようになった。
憶測ではあるけど、その頃ちょうど母の再婚が決まったので、兄が怒りだした事と関係しているのかも知れないと今なら思う。だけど、その時から棘が胸に刺さったままで、思い出すとまだ悲しくなるのだ。
そうとは知らない幽さんが嬉々として前を歩いている。
周囲の風景を見るでもなく、沙和はただ彼の後を付いて行く。
商店街を抜け、しばらく歩いたところで幽さんが立ち止まった。
とあるマンションを無言で見上げたままの幽さんに声を掛ける。
「見覚えある?」
『……どうかな』
そう言って彼はマンションのエントランスに歩いて行き、慌てて沙和も付いて行く。幽さんは勝手知ったる風にエレベーターに乗り、無造作に六階を押した。躰が覚えているのか淀みのない動作だ。
エレベーターの自動ドアが開き、やはり躊躇なく右側に曲がり、ある一室の前で立ち止まった。
入り口に表札の類はない。
幽さんは『待ってて』とだけ言って、部屋の中に消えて行った。
玄関の前で待つこと数分。
「どうだった? 何か思い出した?」
幽さんを見るや空かさず聞いた沙和を見返すと、彼は首を振って『ダメ』と答えた。ガックリする沙和に、幽さんが続ける。
『中は段ボールだらけだし、家の人間は誰一人いない。引っ越して来たばかりなのか、これから引っ越すのかも分からなかった』
どちらにしろ、幽さんが知っている状態ではなかったようだ。
ちょっと期待していただけに、気が落ちる。
でもほぼ間違いなく、幽さんはこの町に住んでいたことがあるのだろう。先刻の一連の動作で、沙和は確信めいたものを感じていた。
幽さんとは何とも言い難い因縁がありそうで、沙和の表情が微妙に歪んだ。
マンションを後にすると、再び幽さんの後を追って歩く。
次に幽さんが立ち止まった所は、見覚えのある小さな公園。
遊具と言ったらブランコと滑り台だけ。あとは小さな砂場しかない。
子供の頃、ここでよく遊んだ記憶が甦って来る。当時住んでいたアパートはすぐ、目と鼻の先だ。
日がな一日飽きもせず、ここで兄と遊んでいた。
「ここって、こんなに小さかったっけ」
何とはなしに漏れた言葉に幽さんが振り返った。
『沙和は、この辺に住んでいたのか?』
「…ん。すぐそこに見えるアパートの二階に住んでた」
沙和が指さした方に幽さんが目を向けた。
築三十年は優に超えているだろうモルタルのアパート。そこに母と二人で住んでいた。
(これって、どんな偶然よ……)
幽さんは目的をもって歩いていたように見えなかった。
興味の赴くままって感じだったのに、気が付けば沙和の幼い記憶に辿り着いているとは、出来の悪いの冗談みたいだ。
幽さんは数歩踏み出して、付いて来ない彼女を振り返る。
『近くに行って見ないのか?』
「いいよ別に」
投げやりな言い方だったと思う。せっかく幽さんが気を遣ってくれたのに。
それでも近くに行くどころか、早くこの場から離れたくて仕方ない。
泣きながら走り去る兄を理由も分からず見送った玄関前の通路を見て、沙和は顔を顰めた。
あれが兄を見た最後の光景。
『どれ。行こうか?』
そう言ってやんわり笑った幽さんは、沙和の頭をよしよしと撫でてくれる。
きっと今にも泣きだしそうな顔をしているのだろうと、沙和は思うのだった。
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