上 下
30 / 65
6. 心残りは何でしょう?

心残りは何でしょう? ④

しおりを挟む
 

 母が会社の上司の紹介で再婚するまでの二年弱を過ごした町。
 両親が離婚する時に、三歳上の兄と別々に引き取られた。

 母は忙しすぎる父には任せられないと、兄も引き取る心算でいたそうだけど、一人にしたら危なっかしい父親に付いて行くと言ったそうだ。
 一緒に暮らせないのは悲しかったけれど、兄は毎日のように沙和に会いに来てくれたから寂しくはなかった。

 ずっと一緒に居てあげるからね、そう言った兄はとても優しく沙和を可愛がってくれたのに、ある日を境に顔も見せてくれなくなった。
 何を言っていたのか、まだ幼かった沙和はよく覚えてない。ただ普段は静かな兄が酷く激昂し、母を詰ると泣きながらアパートを飛び出して行った。それっきり兄には会っていない。

 母の話では、暫くの後、父の転勤で海外に引っ越したそうだ。
 海外から毎日通うなんて無理だと、世界地図を見ながらぼんやり考えていたことを思い出す。
 けど大人の事情なんて関係ない。
 沙和は兄に裏切られた気持ちが強くて、兄の話をしなくなると、母も自然と避けるようになった。

 憶測ではあるけど、その頃ちょうど母の再婚が決まったので、兄が怒りだした事と関係しているのかも知れないと今なら思う。だけど、その時から棘が胸に刺さったままで、思い出すとまだ悲しくなるのだ。

 そうとは知らない幽さんが嬉々として前を歩いている。
 周囲の風景を見るでもなく、沙和はただ彼の後を付いて行く。
 商店街を抜け、しばらく歩いたところで幽さんが立ち止まった。
 とあるマンションを無言で見上げたままの幽さんに声を掛ける。

「見覚えある?」
『……どうかな』

 そう言って彼はマンションのエントランスに歩いて行き、慌てて沙和も付いて行く。幽さんは勝手知ったる風にエレベーターに乗り、無造作に六階を押した。躰が覚えているのか淀みのない動作だ。
 エレベーターの自動ドアが開き、やはり躊躇なく右側に曲がり、ある一室の前で立ち止まった。
 入り口に表札の類はない。
 幽さんは『待ってて』とだけ言って、部屋の中に消えて行った。
 玄関の前で待つこと数分。

「どうだった? 何か思い出した?」

 幽さんを見るや空かさず聞いた沙和を見返すと、彼は首を振って『ダメ』と答えた。ガックリする沙和に、幽さんが続ける。

『中は段ボールだらけだし、家の人間は誰一人いない。引っ越して来たばかりなのか、これから引っ越すのかも分からなかった』

 どちらにしろ、幽さんが知っている状態ではなかったようだ。
 ちょっと期待していただけに、気が落ちる。
 でもほぼ間違いなく、幽さんはこの町に住んでいたことがあるのだろう。先刻の一連の動作で、沙和は確信めいたものを感じていた。
 幽さんとは何とも言い難い因縁がありそうで、沙和の表情が微妙に歪んだ。



 マンションを後にすると、再び幽さんの後を追って歩く。
 次に幽さんが立ち止まった所は、見覚えのある小さな公園。
 遊具と言ったらブランコと滑り台だけ。あとは小さな砂場しかない。
 子供の頃、ここでよく遊んだ記憶が甦って来る。当時住んでいたアパートはすぐ、目と鼻の先だ。
 日がな一日飽きもせず、ここで兄と遊んでいた。

「ここって、こんなに小さかったっけ」

 何とはなしに漏れた言葉に幽さんが振り返った。

『沙和は、この辺に住んでいたのか?』
「…ん。すぐそこに見えるアパートの二階に住んでた」

 沙和が指さした方に幽さんが目を向けた。
 築三十年は優に超えているだろうモルタルのアパート。そこに母と二人で住んでいた。

(これって、どんな偶然よ……)

 幽さんは目的をもって歩いていたように見えなかった。
 興味の赴くままって感じだったのに、気が付けば沙和の幼い記憶に辿り着いているとは、出来の悪いの冗談みたいだ。
 幽さんは数歩踏み出して、付いて来ない彼女を振り返る。

『近くに行って見ないのか?』
「いいよ別に」

 投げやりな言い方だったと思う。せっかく幽さんが気を遣ってくれたのに。
 それでも近くに行くどころか、早くこの場から離れたくて仕方ない。
 泣きながら走り去る兄を理由ワケも分からず見送った玄関前の通路を見て、沙和は顔を顰めた。
 あれが兄を見た最後の光景。

『どれ。行こうか?』

 そう言ってやんわり笑った幽さんは、沙和の頭をよしよしと撫でてくれる。
 きっと今にも泣きだしそうな顔をしているのだろうと、沙和は思うのだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ガラスの世代

大西啓太
ライト文芸
日常生活の中で思うがままに書いた詩集。ギタリストがギターのリフやギターソロのフレーズやメロディを思いつくように。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

罰ゲームから始まる恋

アマチュア作家
ライト文芸
ある日俺は放課後の教室に呼び出された。そこで瑠璃に告白されカップルになる。 しかしその告白には秘密があって罰ゲームだったのだ。 それ知った俺は別れようとするも今までの思い出が頭を駆け巡るように浮かび、俺は瑠璃を好きになってしまたことに気づく そして俺は罰ゲームの期間内に惚れさせると決意する 罰ゲームで告られた男が罰ゲームで告白した女子を惚れさせるまでのラブコメディである。 ドリーム大賞12位になりました。 皆さんのおかげですありがとうございます

騎士団寮のシングルマザー

古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。 突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。 しかし、目を覚ますとそこは森の中。 異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる! ……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!? ※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。 ※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。

希望が丘駅前商店街~黒猫のスキャット~

白い黒猫
ライト文芸
ここは東京郊外松平市にある希望が丘駅前商店街、通称【ゆうYOU ミラーじゅ希望ヶ丘】。 国会議員の重光幸太郎先生の膝元であるこの土地にある商店街はパワフルで個性的な人が多く明るく元気な街。 その商店街にあるJazzBar『黒猫』にバイトすることになった小野大輔。優しいマスターとママ、シッカリしたマネージャーのいる職場は楽しく快適。しかし……何か色々不思議な場所だった。~透明人間の憂鬱~と同じ店が舞台のお話です。 ※ 鏡野ゆうさんの『政治家の嫁は秘書様』に出てくる商店街が物語を飛び出し、仲良し作家さんの活動スポットとなってしまいました。その為に商店街には他の作家さんが書かれたキャラクターが生活しており、この物語においても様々な形で登場しています。鏡野ゆうさん及び、登場する作家さんの許可を得て創作させて頂いております。 コラボ作品はコチラとなっております。 【政治家の嫁は秘書様】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/210140744/354151981 【希望が丘駅前商店街 in 『居酒屋とうてつ』とその周辺の人々 】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/274274583/188152339 【日々是好日、希望が丘駅前商店街-神神飯店エソ、オソオセヨ(にいらっしゃいませ)】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/177101198/505152232 【希望が丘駅前商店街~看板娘は招き猫?喫茶トムトム元気に開店中~】  https://ncode.syosetu.com/n7423cb/ 【希望が丘駅前商店街 ―姉さん。篠宮酒店は、今日も平常運転です。―】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/172101828/491152376  【Blue Mallowへようこそ~希望が丘駅前商店街】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/427152271 【希望が丘駅前商店街~透明人間の憂鬱~】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/427152271 【希望が丘駅前商店街~黒猫のスキャット~】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/813152283

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...