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3. 架純 ~女の純情なめんなよ

架純 ⑳

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 忙しくなってきて、次第に黒珠の事は頭の端に追いやられ、そんな時不意に黒珠と目が合った。
 すると彼は唐突に薄ら寒い微笑みを面に張り付け、その瞬間から架純はもとより、スタッフ全員を怯えさせることになる。

(怒ってる。間違いなく怒ってる。微笑みわらいながら怒ってるって怖過ぎるんですけど……って、うん。多分これ、この状況、あたしの所為、なんだけどね! 自業自得なんだけどねっ! けど、こんな時ばっかり黒珠を押し付けようとするのもどうかと思う!)

 余りの居た堪れなさからか、「架純さんお願い」とぐいぐい背中を押して生贄に差し出そうとする彼女らには、チラッと本気の殺意を覚えたことは黙っておく。 “いつもなら業務連絡だって邪魔するじゃん!” って言葉も飲み込んでおく。 

 思い付き行動は架純の十八番で、今度も自ら招いた窮地だ。当然回収するのは架純の責任である。しかし判り切った危険に身を晒すなんて勇ましさは、微塵も持ち合わせていない。

(無責任と罵られようとも、ちょっと落ち着くまで回避させて頂くッ!! だってコレ取っ掴まったが最後の死亡フラグだしっっっ)

 黒珠にとっ捕まった自分を想像して、架純はぶるると身を震わせた。 
 テーブルチャイムが鳴ったのをいいことに逃げ出したものの、何処に居ても追いかけて来る視線に冷汗が止まらなかった。

 そんな理由わけで、黒珠が早番で上がってくれた時には、口には出さなくても全員が心底から安堵したけれど、みんながみんな精神的にガリガリ削られて、いつもより疲労の色が濃かったのは見なかったことにした架純である。



 閉店作業を終えてスタッフルームに戻って来た架純は、開けたばかりの扉をそのまま静かに目の前で閉ざした。

「…………」

 息を詰めたまま、くるりと方向転換する。その僅か数秒後。背後から腕ごと腹部を圧迫するように持ち上げられて、架純は断末魔のような悲鳴を上げた。
 一瞬でパニック状態に陥り、ギャーギャー喚きながら闇雲に繰り出される蹴りが彼女を羽交い締めにする相手にガツガツ当たっていても、架純はまったく気付かないし、蹴られている方も彼女を放す気配すら見せない。
 思考らしい思考も出来ない状態で、うっすらと脳裡を掠める絶望。
 必死に抗って、喉も裂けよとばかりに声を張り上げる。

「架純さんっ!?」

 逸早く慌てた表情の店長がホールから駆け付け、後から他のスタッフたちも駆け付けると、困惑した顔になって足を止めた。

(なんでっ!? 目の前まで来て足止めるとかって、ナシでしょーッ)

 躊躇を見せられて、急速に冷えた頭がダメ出しの言葉を打ち出した。
 店長やスタッフたちの目が、状況を理解できずにウロウロしている。

(そこは先ず要救助者確保するとこだよね? 悩んじゃダメなとこだよね!?)

 あれだけ盛大な絶叫を上げたにも拘らず、まさかとは思いたいけど、このまま見て見ぬ振りする心算ではなかろうか、と不安になる。
 胸中がヒヤリとした。
 我慢ならずに声を繰り出そうとして、けほっと咳き込む。あらん限りの力で叫んだ所為か、スカスカの空気みたいな声しか出ないけれど。   

「てんちょ…た、たす」

 助けてと、自由にならない手を伸ばし、言いかけた言葉は塞いだ大きな手に依って口中に消えた。
 片腕だけで架純を抱き上げている今がチャンス、とばかりに身を捩る。が、それもすぐに両腕でがっしりとホールドされ、「ぐえっ」と乙女に有るまじき声が漏れた。
 涙目の架純はバシバシと遠慮なく締め上げる腕を叩く。

「ぐ……ぐるじぃ……て、ゆるめ…て」
「逃がさないよ?」

 首筋に唇を埋めるように囁かれ、ぶるりと震えた。けれどその言葉とは裏腹に腕が僅かに緩んで、架純はホッと息を吐いた。と同時にチロリと生温かい感触。

「っ……ぬおぉぉぉぉ!?」

 ムンクの “叫び” バリの形相で奇声を発すれば、躊躇していた面々が当然慌てた。

「かっ架純さん!? 大丈夫かっ」
「金子くん! 落ち着いてっ。落ち着いて話そう!」

 店長と厨房のチーフが半歩身を乗り出し、架純はハッと正気を取り戻して肩越しに黒珠を振り返った。

「どさくさに紛れて何するぅっ!!」
「補給だけど」

 シレッと言われて、架純から怒りと羞恥の綯交ぜになった表情がスコンと落ちた。
 黒珠の言葉を理解できない、周囲をも巻き込んだ困惑の沈黙が流れる。

 黒珠を見上げたまま、暫く硬直していた架純の唇が小刻みに震えながら、何度も開閉する。それを安定の無表情で見下ろしていた黒珠の双眸が、スッと細められた。
 背筋をザワッとしたものが駆け抜け、肌が粟立つ。
 口元を引き結んだ架純の面に恐怖の色が浮かんだ。

「どうやら俺は、自身が思っていた以上に狭量で独占欲が強いらしい。架純に避けられるのはどうにも我慢できない。架純は、俺の彼女になったんだよね?」

 確認するような彼の言葉に顔を引き攣らせそうになったのと同時に、黒珠の背後から複数の絶叫が聞こえた。架純はギョッとなって目を剥き、反射的に身を捩って声の方に目を向けると、先に上がったはずの女性陣が阿鼻叫喚の体を晒しており……。

 同じくスタッフルームで時間を潰していた男性陣は、何だかとても嬉しそうに頷きながら黒珠を見ている……と言うか見守っている風で。

 錆びたブリキの人形の如くギギギと首を回して正面に向き直ると、唖然とした店長と感嘆の声を上げた厨房スタッフたち。

(あかん……どうにもこうにも言い逃れ出来んヤツだ)

 進退極まってふと遠い目になる。

「俺の彼女になったんだよね?」

 繰り返された低い声が耳を擽り、甘い波動が腰を直撃した。漏れそうになった声を必死に堪えたのに、黒珠の腕の中でプルプル震えた架純の耳殻に歯を立てられ、意図せず鼻にかかった甘い吐息交じりの声が漏れてしまう。

「早く答えないと、もっと悪戯するけど」

 笑いを含んだ囁く声が、架純を煽り立ててくる。
 けれど、いま口を開いたら間違いなく変な声が出てしまいそうで。
 涙を滲ませた双眸で黒珠を振り仰ぎ、小さく首を横に振る。彼の右眉がピクリと動いて、不穏な色を刷いた瞳が細められた。

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