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3. 架純 ~女の純情なめんなよ
架純 ③
しおりを挟む教室から杏里が出て来たところで、架純は彼を呼び止め手招きした。
首を傾げて近付いて来る杏里。ようやく引き留めることが出来て、架純は満足そうに口角を弛めた。
「何ですか?」
「うん。ちょっと訊きたいことがあって」
「訊きたいこと? 俺に? で、何が訊きたいんですか?」
満面に笑みを浮かべて頷く架純に、矢継ぎ早に訊いて来た。
目の前に立った杏里を見上げ、マジマジとその容貌に見入ってしまう。近くで見ると肌のキレイさまで丸分かりで、喉を鳴らして唾を飲んだ。
喉がゴキュッと鳴って上下したものだから、杏里が眉を寄せて警戒する眼差しを向けて来た。
(あ……誤解させた、かも)
折角呼び止める事に成功したのに、このまま行かせてしまう訳にはいかない。
「お肌キレイだけど、どんな手入れしてるの?」
咄嗟に出た言葉に、心中で『バカ』と己を罵る。他にも話の振りようがあっただろうに、これだから貴美たちに直情的だの、考えなしだのと言われるのだ。
「…訊きたいことってソレですか?」
胡乱な目で見られて、思わず引き攣った笑いを漏らしてしまう。杏里に眉を顰めて見下ろされ、変な奴の烙印を押されている事を何となく察知した。
「ごめん。脱線した。えっと、訊きたいことなんだけど……」
そこまで言ってから、周囲の視線が集まっていることに気が付いて、杏里の腕を掴んで階段の方に引っ張って行く。階段を上がって、途中の踊り場で彼に対峙した。それでも視線は付き纏うのだけど、傍で聞き耳立てられるよりかは少々マシだ。
「それで?」
性急に話の続きを求められる。
午後の授業が始まるのだから、それもそうかと小さく頷いた。
「訊きたいことは……」
いざ訊こうとなると、怖気づいて喉が張り付いた。「訊きたいことは?」そう言って催促する杏里に向かって左の掌を向けて翳し、“ちょっと待って” の合図をする。
これ以上杏里に、変な誤解を招きたくない――と思うのに、思うように声が出てこない。
杏里から顔背けて咳払いし、あーあーと発声する。
その間じっと黙って待っていてくれた杏里にニコッと笑い、鼻で大きく空気を吸い込んだ。
「ごめんね、待たせて」
「いいえ。ただ、急かして悪いんですけど、もう授業始まるんで」
「そうだよね。じゃあ一個だけ」
「はい」
「あ――――ぁ、金子くんって、女の子嫌いなの?」
杏里がきょとんとした顔で架純を見、直ぐにブッと吹き出した。
(そこ、笑うトコか?)
架純がムッと唇を尖らせると、杏里は「ごめんなさい」と笑い涙を拭いつつまだ笑っている。
何がそんなにウケているんだろうと怪訝に見上げれば、笑いを引っ込めようとしている杏里の唇が震えていた。小刻みに肩も震えている。
それでも悪いと思ってか、杏里は口元を覆い隠しながら口を開いた。
「黒珠は別に…女の子嫌いじゃ、ないよ。巷で言われているような、人非人でもないし。ただ、告白してくる子は、警戒してるかも。どうしてかは、俺には言えないけど。どうしても知りたいなら、本人に訊くしかないね」
「完全にスルーされてるんだけど」
しょんぼり肩を落としてボヤくと、杏里はじっと架純の顔を見て「あーうん」と一人で納得し、彼女の両肩にポスっと手を落とす。
「黒珠の好みとは違うから、難儀するとは思うけど、まあ頑張って」
「ねえ。好みって?」
「……清楚? 地味顔?」
「って、あたし真逆じゃん!」
清楚と言うには程遠いガサツな性格と、猫娘な派手顔。目の色なんて、光の加減で変わって見えるアースカラーだ。ベースは琥珀色でも、瞳孔の周りにブルーが混じっている日本人には珍しい瞳だ。両親曰く、隔世遺伝のせいだと言っていた。
前途多難な言葉に、大きな溜息が漏れる。
「好きで派手顔してないのに」
「その気持ちは理解できる。俺もこの顔で散々味わったし」
「そうなの?」
「好きな子に、女の子と間違われた時が一番堪えた」
「それは、ツライ」
綺麗な顔には綺麗なりに苦労があるんだと知って、杏里の肩をポンポンする。慰めにもなっていないだろうけど。
そんな遣り取りをしていたら、あっという間に時間が経っていたようだ。
チャイムの音が鳴り、杏里が「やべっ」と焦った顔をする。
「引き留めてごめん。ありがと」
「じゃ俺行きますね」
杏里が階段をひとつ飛ばしに駆け上がって行く。それを数秒見送って、架純も自分のクラスに走り出した。
黒珠は女嫌いではなかった。
架純はベッドの上をゴロゴロしながら、今日杏里から聞いた話を思い返す。
杏里を呼び止めて良かったと思う反面、眼前に立ち塞がった課題の大きさに溜息ばかりが口を突く。
(目はカラコン。性格は、努力で何とかカバーするとして、顔は……整形しかないか。お金、どのくらい掛かるんだろ?)
顔を明るく見せる整形は聞いた事あるけれど、地味にする手術は可能なのだろうか、ふと疑問に思って検索して見るも、それらしい情報に触れなかった。
派手顔をナチュラルにメイクする方法はあった。けど化粧をして学校に行く選択肢は架純にない。化粧をしている女子は多いけれど、不器用な自分がメイクしてみたところで、下品になるだけだろうと察しは付く。無駄な足掻きはしない主義だ。
(というか、どうせ長続きしないし)
女子たちの化粧直しを見る度、工程にげんなりする架純だ。
それにしても。
(金子くんの好みをとやかく言いたかないけど、なんで真逆なのよ!!)
杏里も『可能性はないから諦めろ』と言ってくれたら良いのに、『難儀する』とか言いながら『頑張って』と無責任に言ってくれたりして、変えようがない顔を前面に押し出して、どう頑張れと言うのか。
架純は途方に暮れ、また大きな溜息を吐いた。
***
黒珠には相変わらずスルーされっ放しで、季節は夏を迎えていた。
夏休みの前に控えている期末に憂いは感じるけど、日々を淡々と過ごしている。
初めて杏里に声を掛けてから、彼と目が合うと薄っすら微笑んでくれるようになったが、何故だか無言のプレッシャーを感じてしまう。
この時は知らなかったけれど、杏里も結構大変な恋をしていたから、架純を応援したかった――と後から聞いて、物凄く申し訳ない気持ちになるのだけど。
取り付く島も与えて貰えないのに、どうやって活路を拓いたら良いのだろう。
赤点を辛うじて免れ、冷や冷やした思いも喉元を過ぎれば綺麗さっぱり忘れて、夏休みに突入した。
しかしそこは受験生。遊んでいる暇などない。
赤点にビビってる時点で、幸先にかなり不安がある。しかし架純よりも母親が気を揉んでいて、勝手に『夏期講習に申し込んで来たからね』と宣った時には、チラリと殺意を感じた。
(お母さん、好きだけどね。それとこれは別)
正直、進学しなくても良いと思っているくらいだ。それでも母親がせめて短大だけでもと言ってくれば、その気持ちを汲んでやるのも親孝行か、などと絆されてしまった。
勉強は、苦手……というか嫌いだ。
好きなことを調べたり学んだりするのは嫌いではないけど、必要性を感じない事まで勉強するのは、苦痛だ。
誰しも乗り越えていくことだと解ってはいるけど。
嫌々通い始めた夏期講習だった。
けれど、そのせいで架純は知らなかった黒珠に遭遇することとなった。
果たして幸か不幸か。
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