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第三部 崩墜のオブリガード
転章 五指が爪弾く鳩首烏集
しおりを挟む「ふふ……うふふふふ」
「あん? なんだ急に……お仲間が消えてどうかしちまったか?」
「いいえぇ……別に仲間とかじゃないですよ? どうせ何か企んでんでしょうし……」
紛う事の無いレッドネーム、国家手配のペアシニア《ロートグリュン》のナハトフクス――
その風貌から夜狐や焔髪と渾名される凶悪犯、フェアフォクス・フランメロートを前にして、
恐れる事も萎縮する事も無く、艶笑を漏らす王都ミストレス――シェーラ・クィーン。
彼女もまた炎の獣同様に、いやそれ以上に尋常では無かった。
「何度後ろから殴り倒してマウントで吐かせようと思ったか……うふっ うふふ」
「クソ気味悪ぃ女だな……得物も無しで俺とヤり合おうってか?」
フェアフォクスが外套の内から引き出した武器、それは――黒金のシックルソードだった。
歪曲し波打つ黒刃が光を吸い込むようなそれは、意図的に視認しづらく加工された物であり、
槍剣でも対処が難しい特殊形状をしている――がシェーラはその前提をも裏切った。
ガキーン、と山林に木霊する鉄の音は、美腕が叩きつけた両拳から鳴り響いた。
「おい……てめぇ、チャチな手甲で、俺の相手が出来るとガチで思ってんのか?」
「うふふ、剣は禁止されてますから……つい、ヤりすぎてしまうんですよ……」
「舐めやがって……地べた舐めさせて、じっくり可愛がってやんよ!!」
「あはっ!! 出来るならどーぞお好きに! どうかすぐにイかないでくださいね!!」
脚力に敏捷を乗算する跳躍で、一足飛びに距離を詰めたフェアフォクスは同時に発動させ、
風刃を乗せ黒鎌で薙ぐ――
風精術LV2カッターに移動を加算した一撃は空圧を解き放つ――
寸前に激しい衝撃が発現すらも掻き消した。
フェアフォクスの琥珀の双眸が、驚愕の稲妻に打たれ麻痺する瞬間に脳裏が捉えたのは――
斬撃に寸分狂わず合わせられた――ただの《右フック》だった。
正確に一点を打ち抜いて弾いた拳打の重みは、さながら大盾のパリィと見紛う反動を放ち、
散った火花の美しさに魅了される暇も無く、我に返って放つ連続攻撃は高速で撃ち落とされ、
やっと反応に思考が追い付いた時――フェアフォックスは、
自身の上に馬乗りになっている、虫も潰さなさそうな美女の恍惚とした面持ちに、
ただ釘付けになった。
「あはっ イきますよ? 頑張って耐えて下さいね。怪我なら気にしなくて大丈夫です!
全部私が癒して……差しあげますから!」
振り上げたシェーラの拳は、淡く光を帯びて――
鉄槌のような重量を伴い振り下ろされた。
***
コンコンコン
ノックで傾眠が覚醒するのと椅子から落ち書き殴った原稿が舞ったのは、ほぼ同時だった。
パラパラと、床に軟着地して行く紙片を無心で眺め我に返ったのは、次のノックが鳴る頃――
慌てて応答して起き上がり、腰を擦りながら扉を開けた。
「お? 居るじゃないか。久しぶりだね、アル」
「伯父さん?? どうしたんです、こんな朝早くから?」
「どうもこうも、戻ってるのに連絡して来ないから会いに来たんじゃないか」
「す、すみません。村のゴタゴタを頼まれて、掃除もまだだったんですよ」
ルール領主のランベルト・ローレンは、私――アクレイア・オータムーンの伯父に当たる。
故郷ミューズはルール管区に隣接しており近い為に、つい報告を後回しにしていた。
「ゴタゴタってのは? 何かこっちで力になれそうなことはあるかい?」
「あ、いえ。大した事でもないんですが、メガアイベックスに畑を荒らされていたようで。
討伐依頼で減ったものの、また増えて来たとか何とか」
「メガか……そういえば、去年メルセンス領で大規模討伐をやってたな?」
「ええ。生き残りが山越えしたのかと。標高が高くても繁殖するので根絶は難しいですね。
なので狼を飼うように勧めてテイマーギルドに交渉してました」
「なるほど……けど村に居るなら討伐してやればいいんじゃないか?」
「いえ……やりたい事があるので、またフラっと放浪すると思います」
「やりたい事って……それかい?」
書斎と化した作業机を指して、ランベルトは本題に入らんとばかりに簡素な卓に腰かけた。
「そういう事なら丁度良かったかもね。実は……アルに一つ頼みがあって来たんだ」
「頼み? 官僚は辞職したので、余り重要な案件は無理だと思いますが?」
「いや、それはむしろ好都合……実は師匠からの依頼なんだ」
「マスター? 来てるんですか?」
「この前フラッと訪ねて来たんだよ。実はイベリスの件はその時には聞かされて居たんだ。
あくまで上空から目撃しただけで詳細は分からないらしいんだが、ある場所へ行って欲しい。
実はね……アルが村に戻ったと聞いて、これはきっと運命だと思って会いに来たんだ」
そう言ってランベルトが差し出した小さな封書と中に入っていた小さな鍵。
それを携えて、全てが交わる地セントラルへ向かう、
それはすなわち《監視者》の委譲を意味していた。
***
ベーレン管区アーヴの南、アーヴ湿地帯を越えた場所にあるシアン洞は古い銀鉱山である。
近年枯渇気味ではあるが比較的安全な為、駆け出し職人に人気だった。
入口の外で準備をするパーティーは、洞内に入ると一目散に奥の採掘エリアへと向かう為、
意識の埒外となりやすい《入ってすぐ》に件の隠し通路はあった。
通路と言っても平坦では無く、渓流の断崖に闇へと消える細い斜道の降坂路があるのみで、
うっかり足を踏み外せば無事では済まないだろう。
その点においては、調査依頼のみという事で軽装で来たチルトの英断と言える。
ランタンを片手に、一方を岩肌に預けてソロリと座り降り、強くなる濁流に耳を奪われる。
視覚も聴覚をも失った状態で、カビ臭い湿気に耐えながら不安とも戦い最下部まで降りると、
傍を流れる河と崖の狭間に、細い通路が頼りなく伸びているのが見えた。
フェリックスの指示通り更に奥へと進むと、通路は洞穴へと繋がり小さな木の扉が現れた。
違和感を覚える自然洞の人工物の傍では、扉よりも不自然な木柵が河を堰き止めている。
柵の奥に何かしらがつっかえているのが見えるが、こちらからは判別出来ない。
幾つかの疑問を一先ず保留にして、依頼を果たそうと木扉の取っ手を静かに押し下げる――
手前に引くと丁番の劣化による強い抵抗を伴う軋む音を乗せ、ドアは重く動く――
『開いている』と確信し、安堵に包まれた――その瞬間。
バーン と開いた扉に押し倒され、跳ね飛ばされ、足を滑らせ、転倒した。
「痛っ な、な!?」
二の句を継ぐ前に襲い掛かる刃――斧――片手斧――フランシスカ。
転げまわり映る順に状況把握していくと、武器を持つ滑らかな腕が、女性のそれだと解る。
顔を確認しようと凝らすが、ランタンの灯火では看破に至らない。
ならいっそ――と、辛うじて手元に残っていたランタンを正体不明の誰かに投げつける――
敵が身を翻した刹那、フードから零れた濃紺の髪が深淵に溶ける前に、踵を返して逃げた。
暗闇の中の細道を記憶だけを頼りに、岩肌に手を擦りながら懸命に駆け抜け、あと僅か――
もう少しで登坂路に達するという、瞬間、背後から襲い来る――
手斧が肩口を強く掠めた。
「だよね……投げ斧……」
少し考えれば分かること――と、チルトの全身が諦めに支配された時。
右上から流れて来た金色の美髪が――軽装兵を抱き抱え――濁流へと身を投げ、消えた。
***
新緑の望楼――そんな異名を持つ《王城展望台》
王城の北西に存在する区域は、リーパー盆地の大草原を一望出来る風景からそう呼ばれた。
今や立入禁止となった因縁の地に佇むガゼボに、一人の男が腰を下ろし夕日を眺めている。
悲哀と憤怒が入り乱れた胸中を掻き消す足音に、男は平静を装って壁に背を預けた。
「……オーリオか。進捗はどうだ?」
「ども。順調っス。髭親父が裏で動いてますんで、王子は予定通りエスパニで幽閉っしょ。
最近城に来た不愛想な護衛が厄介っスけど、まぁ囲んでボコしゃ済む話なんで」
「やり方は任せる。が、女王には傷一つ負わせるな。失態があった時は……」
「分かってますって。そこはウチのボスにもキツく言われてるっスから。ご心配なく」
「……不肖の弟子からしっかり報酬は貰っているのか? 足りないようなら――」
「――大丈夫っス。心遣い有難く頂いときます。にしてもあの豚、小物とは思ってたけど、
あんなにあっさりくたばって……まさかここまでとはねぇ」
「イサークか。あ奴は昔から身の丈に合わない野心を隠せない男だった。
後先も考えずに、実兄を手に掛けるような粗忽者には相応しい末路だ」
「まぁでも幼稚な王子の相手には、お似合いの程度の低さだったんじゃないっスか?」
「エリアス王子か。女王へのつまらん反発を剣に込めるしか無い、取るに足らん青二才だ。
そっちの生死は問わん。好きにして構わんが、この城からは叩きだしてやれ」
「あらぁ……前王の忘れ形見なのに、姉と弟では随分思い入れが違うじゃないっスか?」
「……忌まわしい黒髪の子供なぞ王家にとっては不吉なだけだ。手を出せる立場にあれば、
とっくに私自らの手で処分している。官僚と言うのも中々自由が効かないものだ」
「そういうもんスかねぇ……それで《約束の日》ですが、手筈は?」
「無論だ。衛兵は全て出払う事になっている。城内で唯一警戒する官僚だった筆頭書記は、
丁度都合よく離職を考えていたからな。慰労金を弾んで盛大に送り出してやった所だ」
「あー、居たっスね。何考えてんのか分からない優男。サーシャが懐いてたみたいっスが、
居なくなったんなら薄甘いアイツも覚悟決めるっしょ」
「そっちの内情は知らん。邪魔になるようなら……自分で始末出来るんだろうな?」
「当然。お互い何の感情も持ってないんで。使えないなら切るだけっス」
「ならいい。そろそろ行け。以後報告は無用だ……当日まで接近するな」
フッと鼻息で答え去って行くオーリオ、断崖の陰に潜み揺れる白金の少女、遠望を睨む――
王国監察官アデラル・コルバート、三者三様の思惑は満天の夕焼けに溶けて行った。
***
「貴殿でしたかロータル卿! お久しぶりで御座います。ダミアン・ノイエンで御座います。
こちらは愚息のミシェル……以後お見知りおきを」
「硬い挨拶は要らないですよ? 3年ぶりですかね。お元気そうで何より」
「実に長く辛い日々でした……しかし! やっと我らの苦労が報われる時が来たかと思うと、
身が震えんばかりですよ!! 全身全霊努めさせて頂きます!」
ドンと自身の胸を叩くダミアン・ノイエンという男は、法務官マルセル・ノイエンの父で、
かつての政変で罪を問われターニュ砦に幽閉になった腐敗貴族の代名詞のような人物だった。
共に地位を追われ廃砦での苦渋を強いられた長男、ミシェル・ノイエンもまた負けず劣らず、
実妹への妬みを隠せず暴力を振るう矮小な存在だった。
そんな彼等がある商会からの誘いを受け、今回の作戦に乗った理由は偏に《復権》である。
領主に返り咲き、娘に迫り法務官に推挙させる。そんな大胆で稚拙な欲を抑えられなかった。
それが身を滅ぼす毒とも知らずに。
「ところで、例の帝国士官というのは……貴方ですか。若いですねぇ」
「え……あ、はぁ」
ロータルの言葉を受けて、少し離れていたロニーが軽く会釈で返す。
「まぁ押してますんで一つづつ要件を片付けましょうか。これが貴方にお渡しする物です。
ゼンベルク商会からで、中身は――」
「おお! ウィラン殿はご壮健でしたでしょうか!」
話に割って入るダミアンを無視して、ロータルは鬱陶しそうに続ける。
「……使い方は、まぁそこの扉で試してみれば良いでしょ。難しい物でも無いんだよね?」
ロータルが振り向いた先、森から現れたのは緑ローブの恰幅の良い中年男だった。
「じゃの……コツは要るが、挿して回すだけじゃ」
「そうそう。そういう事で、本題に入りますか」
「本題? ロータル卿、他に何かありましたかな?」
ロータルの背に問うダミアンに反応せず振り返ると、同時に振り上げ――降ろした剣筋は、
ダミアンの澱んだ胸襟を斜めに切り裂き――返す刃で硬直するミシェルを一閃に貫いた。
「ひぃ! な、何をしとるんじゃお主!! 何がしたいんじゃ!?」
突如の凶行に理解が追い付かないヴァルトは、自身を捕らえつつ生かして砦へ連れて来た、
ロータルの真意を測りかねて慄き、同様に瞠目に囚われるロニーを一瞥した。
「一番したかったことをしただけだよ。後は……貴方にも少し手伝って貰わないとね」
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