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第三部 崩墜のオブリガード
57.端倪鉏鋙の帰着点
しおりを挟む「おーい!! ヴィーノさん! こっち! 俺っス!!」
「お? ルッチか!?」
「ご無事で何より……って、なんスか、その子ら」
足取りが重そうな二頭の馬が背負っている二人の少女は、各々別の理由で気を失っていた。
長旅で寝落ちたクロエとは異なり、ヴィルマが未だ目覚めないのは何かしら別の問題を抱え、
何かに囚われてているからだろう――と、
外傷がない点からもヴィーノは静観していた。
「あー、まぁ色々あったんだろ? 逃げて来る道中拾って来たんだが……それよりルッチ、
その様子だとダルシアは――ダメだったか」
ルシアノが答えるよりも早く表情で察したヴィーノは、気遣って語尾で先回りした。
それに気づいたのかルシアノは苦笑いしながら、セローナへ連なる一本の長い線を眺める。
「けど、こうやってルメールの仲間もダルシアの住人も大勢逃げれたっスから」
「……そうだな。馬が何頭か居りゃピストン輸送出来たんだがな」
「ピストン? いや、助かったっス。親父に代わって礼を言わせてもらいます」
深々と頭を下げるルシアノを気恥ずかしそうなヴィーノが遮る。
「よせよ、まだ避難は終わってないぞ? 追撃が無いのが不思議だが油断は出来ない」
「そのことっスけど……ダルシアに避難を伝えに来たウィルフって敵兵が言ってた話じゃ、
ルメールに攻め込んで来た部隊の隊長ってのが余り乗り気じゃないらしいんス」
「乗り気? それ信用して良いのか? つーか何の為にやってんだ、その隊長は」
「詳しくは知んないスけど、代理で来て監視されてるってんで仕方なくとか、そんなんス」
「ちょっと待て、監視ってなんだ?」
「帝国の……第五師団? だか、どっかの隊が監視してるとか何とか――」
「――おいルッチ、マズいぞ」
「え? 何がっスか?」
「そりゃまんま『督戦隊』じゃねぇか。気乗りしねぇつっても時間稼ぎに限度はあるぞ?
怪我人や女子供は先に送ったからよ、お前は最後尾を鼓舞しながら先を急げ!」
「け、けどヴィーノさんはどうすんスか!? 流石に一人じゃ無理っスよ!?」
「いざとなりゃ逃げる! それよりコイツ等を頼む。お下げ髪は寝てるだけだから良いが、
こっちは気を失ってる……落とすなよ!?」
「な、良く分かんないっスけど分かりました! 送ったら急いで戻ります!」
手綱を引いて小走りで去って行くルシアノを見送り、後方の静寂に確信を得るヴィーノは、
腰の剣を抜いて綻びを探し、切っ先を鞘へと叩き納めて――山際の朝日を見据えた。
***
「っふぁ!? ね、寝てませんよ!」
首筋から垂れ下がり馬のお下げのようになっていた波髪を振り乱し周囲を見るギルド嬢は、
最後に怪訝そうな顔で振り返った王子を馬上から見下ろした。
「いや、寝てたろ。寝とけつったんだから別に構わん」
「……寝てませんよ? ちょっと考え事してただけです」
「何だその見栄。お互い限界だったんだ、交代で休めば良いだけだろ」
「寝てませんって……それより王子、追手はまだ来ていない感じですか?」
「気配は無いな。単に知らない土地を夜に進軍するのは避けただけじゃないか?」
「今、来られると少々厳しいですね……最後尾は未だにロレル橋にすら到達してませんし、
橋を制圧されたら後続が逃げるのも叶わなくなります」
「今逃げて無い奴等なんか気にしても仕方ないだろ? 指示に従わなかった結果だからな。
いざとなれば遠慮切り捨てる。自業自得だ」
「はぁ。それは否定しませんが……ラウル様はどう仰るでしょうね」
心情的にではラウル寄りだが職務で考えた場合、オフェリアはエリアスの主張に追従した。
それは僻地を含む全ての民を避難させる事も、収容する事も不可能だと理解しているからだ。
指示に逆らって居残る選択をした民までをも想定した行動は、別の者の危機を招くだけだと。
性格も身分も合わない二人の論理思考は、合理の一点において奇妙に一致していた。
「ラウル? アイツには決断できないだろ。全員逃げるまで戦って命を落とすのがオチだ。
そもそもセロナ橋を落とすように指示を出したから、西に居るなら知らないぞ?」
「ラウル様はこの列の前方にいると思いますが……それにしても思い切った事をしますね。
あの橋は大昔に苦労して張られた物だと習いましたが」
「らしいな。開拓時の遺物で今同じ物を作ろうとしても中々難しいと昔に習った事がある。
とはいえ橋は所詮橋、敵を止める為に《落とす》一択だ」
「否定は出来ませんが……賛同も出来ませんね。後の事を考えると頭痛がします」
「後の事は後で考えれば良い。それより女、今からロレル湖に行くぞ? 案内しろ」
「はい? ロレル湖? 何の為にです?」
「お前が言ってたんだろうが。放流してないからどうとか」
「放流……貯水池をですか? えっと、つまり……王子、本気ですか??」
開いた口を閉じたオフェリアは『俺はいつでも本気だ』と言わんばかりの双眸に気圧され、
降りた馬を避難民に譲ると、渋々山道へ重い足を向ける事になった。
***
貯水池へ向かうエリアスとオフェリアから北、月明崖の最終曲線をヴィーノは走っていた。
最終局面は予測通りに――緩慢な追撃と遅滞する避難が互いの距離を次第に距離を詰め始め、
土精術を駆使した煙幕も嫌がらせにしかならなかった。
「くっそ!! 流石に退かねぇか……ego spero pertam crystallo!!」
後方に振り払った拳の先に、屹立する岩肌から結実する無数の瓦礫は、巨大化を待てずに、
自重でガラガラと音を立てて滑り落ち――背後に迫る歩兵隊の前方を塞ぐ。
元来精霊術に頼らず生活を送って来たヴィーノの土精術は、手慰み程度の初歩でしかなく、
時間稼ぎの悪あがきに過ぎなかったが、他に取れる手段が無かった。
しかしその無駄な足掻きが――僅かな時間を繋いだことも事実だった。
「うおっ!! なんだ!! こっちもか!?」
ヴィーノがセロナ橋の袂に達した時――左の道から突っ込んでくる騎馬隊が視界に入った。
諦めの境地に達するよりも早く――騎馬は追手の帝国第一師団鷹剣隊を横撃した。
「いっけぇええ!! 止まるな!!」
質素で汚れた衣服を纏った大柄な男が、僅かな手勢を率い先陣を切って前軍に切り込むと、
ヴィーノのすぐ脇を歓喜の笑みを浮かべた複数の老兵が駆け抜け周囲に散った。
兵数差は圧倒的に不利だったが士気の違いが大いに影響し、僅かにだが前線を押し返すと、
先頭で蛮刀を振るう男は討ち漏らしの兵を追えずに叫ぶ。
「そっち行ったぞ! 早く渡っちまえ!! こっちは俺等が引き受ける!!」
「無茶だ! 幾ら何でも数が違い過ぎる!!」
「良いから急げ!! 俺等もそう長くは保たねぇ!!」
「っ……何とか粘ってろよ!! 援軍を呼んでくる!!」
踵を返したヴィーノは揺れる木桁を蹴ってセローナへと走った。少しでも助けを呼ぶ為に。
そして橋の半ばを過ぎた辺りで、フラフラと揺れながら向かって来る一人の男に気づいた。
「おい!! 何してんだ! 敵が迫ってるぞ! 引き返――」
後から前へと首を振ったその時――棚引くウェービーヘアーを青い炎が掠め焦がし、迸る。
「どっわっ あぶねぇ!!」
揺れる橋で蹌踉めくヴィーノの脳裏に、よく似た炎と大柄な褐色肌の記憶がスパークする。
《フレイムラッシュ》と呼ばれる応用槍術を目にするのは、数十年ぶりの事だった。
「な、なんだ!? なんの音だ!!」
振り向いたモルドの背後に昇る淡い煙を気に留めたのは、彼一人では無かった。
「あー……やっぱそうなんのね、ウィルフ。さ~て、どうしたもんかしら」
帝国兵の後方から現れた妖艶な士官は斜めに立ち、正対した馬房騎士を指差す。
「ちょっと、そこの良い感じのお兄さん! そこどいてくんない!?」
「ああ!? ダベってる暇あんのか!? お仲間は次々やられてんぞ!?」
「仲間? 知らないわよ、勝手に先行したおバカさん達なんて。てゆーか偉そうな割りに、
思いっきり後ろ抜かれてるわよ? ウチの子らが橋に殺到してんじゃないの」
「んああ! くっそ! 追うか!? けど挟まれりゃ……」
焦るモルドを士官は艶めかしく睨め上げ、上体をくねりながら一歩二歩と距離を詰める。
「お兄さんちょ~っと良い身体してるから、少ぉしだけ味方してあげても良いわよ」
「ど、どういうつもりだ!? アンタ、コイツ等の隊長じゃないのか?」
「隊長だから部下全部が大事? んな訳ないでしょ。ガストン様には叱られるだろうけど、
命に背いて功に走るような膿は、むしろスッキリ絞り出してしまいたいのよねぇ」
「い、意味が分からん……お前らの仕事は俺らの殲滅じゃないのか!?」
「分からなくて結構。任務は掃討であって殲滅じゃ無いの。貴方も逃げて構わないわよ?
ま、他の師団に見つかったら知らないけどね」
「何を……手前ぇ等がイベリスを破壊したんだろうが!! 俺の妻も……息子も!!」
「あー……何を言っても貴方には意味無いかも知んないけど~アタシは知らなかったのよ。
街を制圧している間に門を塞げって言われただけでね」
「どういうことだ!! 説明しろ!!」
「どうもこうも命令で門を塞ぎに行ったら衛兵と戦闘になって? ソイツらが苦し紛れに、
揚鋲機をぶち壊しやがったのよ。お陰でアタシが門代わり……死ぬかと思ったわよ」
両手を開き溜息を吐いた士官は、斜めに立って腕を組むと少し目を伏せて続けた。
「つまり……少なくともアタシ達はイベリスを破壊するなんて何も聞かされていなかった。
第一以外は知らないけどね。まぁ言い訳する気はないけど、勘違いされてもウザいし」
「そ、そんな勝手な話を――」
「――別にどう……、もう追いついて来たわね。お兄さん、アタシの言う事を信じるなら、
今すぐ橋の主塔をぶち壊しなさい。後悔したくないんならね!」
背後を見ずに目配せする妖艶な士官を真っ直ぐに見て、表情に偽りを見なかったモルドは、
吊橋の袂へと駆け出し――大きく蛮刀を振り上げ、猛った。
「くっそおお! 走れええええ!!」
***
セロナ橋の柱がメキメキと音を立てて倒れ、深い渓谷へと吸い込まれんとする――その時。
円湖の畔に達したエリアスとオフェリアは、呼吸を整えて眼下の紺碧を望んでいた。
「女、この貯水池はそもそも何で作られたんだ? 利水する街がないだろ」
「王子、いい加減名前で呼んで貰えませんか? 私はパルベルギルド嬢のオフェリアです」
「ああ、分かった分かった。質問に答えたら呼んでやってもいい」
「……ロレル湖は治水の為と聞いてます。水源が集まり水量の多いロレル河を堰き止めて、
橋を架けやすくしたという説が有力です」
「なるほど……それで、こんな大きな堰堤どうやって開けるんだ?」
「えっと……あそこです。堰の天端が遊歩橋になっているのが見えますか?
満水時には、溢れた水が橋の下を通って流れて行きます。
底部に水量調整の隙間があるそうですが」
「は? 潜って開けろってことか?」
「そんな訳ないでしょ……いえ、無いでしょう王子。堰の奥側に迂回水路があるはずです。
そこの水閘門を開ければ……」
「開けられるのか? ここの管理は……いや、待て」
遊歩道を先行するエリアスが、佇むフード姿の子供に気付きオフェリアの行く手を遮る。
「おい、そこの。こんなとこで何をしている?」
フイと無感情に目を向けた子供の相貌は、エリアスが良く知っているそれに酷似していた。
「……! お前!? なぜここにいる? トゥールに向かったんじゃ……」
「ん~? なぁに? お兄ちゃん」
「いや……違うのか? 似てはいるが……お前、何者だ!? そこで何をしていた?」
「なにって……お兄ちゃんは? 教えてくれたら……僕も教えてあげるよ」
「……俺達は貯水池の放流に来ただけだ。用が無いなら危ないから離れていろ」
「あ~そうなんだぁ。あははは、気が合うね、お兄ちゃん。僕も目的は同じだよぉ」
顔を隠したままクスクスと笑う子供に、オフェリアが膝を付いて手を差し伸べる。
「ね、ねぇ、貴方お名前は? お父さんやお母さんは近くに居ないの?」
差し出された手を咄嗟に跳ねのけた子供は、悪意のない言葉に暗い双眸を叩き返した。
「そんなのどうでも良いだろ! お兄ちゃんお姉ちゃん、ここを《開けたい》んだよね?
なら僕が手伝ってあげるよ……surgite venti magnos adsurgite flammas…」
Tempest!!
振り上げた短剣の柄で輝く碧玉は、辺り全ての風を搔き集めるかのように煌めき始める――
直後巻き起こった旋風は周囲の木、水、風を巻き込み、そして炎をも乗せて――
堤を破壊した。
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