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5 謝罪
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ビルとビルとの合間に覗かれる時計台の短針と長針とが最大数の上で重なり日付が改まった。ハンチングを目深に被った男が唾を吐きすて自転車で疾走していく。
「ここでホームレスやったら,すぐに通報されるよ」鳶色のほつれた長い髪に白いものが絡まっている。
見あげれば粉雪が舞っていた。
「これ――」踝まであるピンクのダウンジャケットを脱ぎ,両膝を抱く僕の肩にかける。「凍死したらヤバイじゃん」
「いいえ――」慌てて立ちあがり,ジャケットを返す。
「何で――気にいんない? ホームレスの世界じゃ,どんなのが流行ってんの?」
「ホームレスではありません……あれ,そうだ――確かに今夜泊まる場所は決まっていない」
鮮やかなネイルの尖る指を唇に這わせて笑う。「やっぱホームレスじゃん」
「違います。仕事中です」
「仕事? どんな仕事よ?」
「女性を待っています。女性が男性づれならば浮気の証拠としてお客さまに御報告するのです」
「あのさぁ――」白い息を吐きながらジャケットを着なおす。「お客っつうのは巣沼貢義じゃね?」
「そのとおりです」
「待ってる女性っつうのは星雲母じゃね?――ここに本人いまっす」頭の右上と,顎の左下に,親指と小指をのばした両手を構えてみせる。「あたし,全然駄目じゃん。地方じゃかなり売れてると思ってたのに――君みたく若い子に知られてねぇなんて,かなりショックなんすけど」
「僕はテレビもインターネットも見ませんから知らなくても当然です。それに若いといっても30歳を過ぎました」
「タメじゃん!」
「今後とも宜しくお願いいたします。昨日付けでデッフェの新しいスタッフになりました。九十九折斎薔薇と申します」
「……デッフェのスタッフ? 貢義が個人的に雇った探偵じゃないの?」
「違います」
「何だ,デッフェは貢義の側へついたんだ」不機嫌そうに眉を顰める。
「違います! 絶対に違います!」
「大きな声,立てないでよ――」人差し指を唇にあてる。「口喧しい住民ばっかなんだから」
「済みません――」小声で訴える。「でも本当に違いますから! 社長は巣沼さんの言い分を退けました。けれども僕は彼のお手伝いをするべきだと考えました。要するに会社の方針を無視して自己判断で彼に協力しているというわけです」
「貢義から何も聞いてない?」
「地元と縁を切ってほしいと希望しているそうですね」
「それだけ? それ以上は何も?」
「はい。ほかには特段何も聞いていません」
雲母は部屋にあがって暖をとるよう勧めてくれたが,巣沼の気持ちを考えて固辞した。
「話も聞いてほしいし……」雲母は重そうな睫毛を伏せた。
「いつでもデッフェでお待ちしております」
「おいっ,何してんだよ!」男の声が周囲に響きわたる。雪の積もりはじめた路地に巣沼が立っていた。
「げっ! ヤバッ!」雲母がジャケットのフードを被った。「なら,またデッフェで会お!」そう言いのこし,エントランスに走りこんだ。
「雲母!――雲母!――」巣沼がオートロックのドアを叩く。
「巣沼さん,周辺住民の迷惑になりますからやめましょう!――お願いですから,巣沼さん!」
ドアの遥かむこうでエレベーターの扉がゆっくり閉じていき,雲母の姿がのみこまれた。
巣沼が目を剝き,顔面を突きだす。
「何でしょうか……」
こちらが一歩後退すれば,相手も一歩接近してくる。
「雲母の部屋へ行ったのか?」
「ここで立ち話をしただけです」
「ストーキングがばれたのか?」
「自ら話してしまいました――済みません!」頭をさげた。
「無理難題をふっかけて済まなかった……」接近戦術を停止して口ごもりつつ呟く。
目をあげれば,7対3に分けた髪が風雪に乱れて境目が覚束なくなっていた。
「ここでホームレスやったら,すぐに通報されるよ」鳶色のほつれた長い髪に白いものが絡まっている。
見あげれば粉雪が舞っていた。
「これ――」踝まであるピンクのダウンジャケットを脱ぎ,両膝を抱く僕の肩にかける。「凍死したらヤバイじゃん」
「いいえ――」慌てて立ちあがり,ジャケットを返す。
「何で――気にいんない? ホームレスの世界じゃ,どんなのが流行ってんの?」
「ホームレスではありません……あれ,そうだ――確かに今夜泊まる場所は決まっていない」
鮮やかなネイルの尖る指を唇に這わせて笑う。「やっぱホームレスじゃん」
「違います。仕事中です」
「仕事? どんな仕事よ?」
「女性を待っています。女性が男性づれならば浮気の証拠としてお客さまに御報告するのです」
「あのさぁ――」白い息を吐きながらジャケットを着なおす。「お客っつうのは巣沼貢義じゃね?」
「そのとおりです」
「待ってる女性っつうのは星雲母じゃね?――ここに本人いまっす」頭の右上と,顎の左下に,親指と小指をのばした両手を構えてみせる。「あたし,全然駄目じゃん。地方じゃかなり売れてると思ってたのに――君みたく若い子に知られてねぇなんて,かなりショックなんすけど」
「僕はテレビもインターネットも見ませんから知らなくても当然です。それに若いといっても30歳を過ぎました」
「タメじゃん!」
「今後とも宜しくお願いいたします。昨日付けでデッフェの新しいスタッフになりました。九十九折斎薔薇と申します」
「……デッフェのスタッフ? 貢義が個人的に雇った探偵じゃないの?」
「違います」
「何だ,デッフェは貢義の側へついたんだ」不機嫌そうに眉を顰める。
「違います! 絶対に違います!」
「大きな声,立てないでよ――」人差し指を唇にあてる。「口喧しい住民ばっかなんだから」
「済みません――」小声で訴える。「でも本当に違いますから! 社長は巣沼さんの言い分を退けました。けれども僕は彼のお手伝いをするべきだと考えました。要するに会社の方針を無視して自己判断で彼に協力しているというわけです」
「貢義から何も聞いてない?」
「地元と縁を切ってほしいと希望しているそうですね」
「それだけ? それ以上は何も?」
「はい。ほかには特段何も聞いていません」
雲母は部屋にあがって暖をとるよう勧めてくれたが,巣沼の気持ちを考えて固辞した。
「話も聞いてほしいし……」雲母は重そうな睫毛を伏せた。
「いつでもデッフェでお待ちしております」
「おいっ,何してんだよ!」男の声が周囲に響きわたる。雪の積もりはじめた路地に巣沼が立っていた。
「げっ! ヤバッ!」雲母がジャケットのフードを被った。「なら,またデッフェで会お!」そう言いのこし,エントランスに走りこんだ。
「雲母!――雲母!――」巣沼がオートロックのドアを叩く。
「巣沼さん,周辺住民の迷惑になりますからやめましょう!――お願いですから,巣沼さん!」
ドアの遥かむこうでエレベーターの扉がゆっくり閉じていき,雲母の姿がのみこまれた。
巣沼が目を剝き,顔面を突きだす。
「何でしょうか……」
こちらが一歩後退すれば,相手も一歩接近してくる。
「雲母の部屋へ行ったのか?」
「ここで立ち話をしただけです」
「ストーキングがばれたのか?」
「自ら話してしまいました――済みません!」頭をさげた。
「無理難題をふっかけて済まなかった……」接近戦術を停止して口ごもりつつ呟く。
目をあげれば,7対3に分けた髪が風雪に乱れて境目が覚束なくなっていた。
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