自然地理ドラゴン

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三章『天への挑戦 - 嵐の都ダラム -』

第39話 天へと駆けのぼる国、ダラム

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「シドウが元気になりますように」

 ティアはシドウの頭を撫で続けた。
 激しい雨のせいで鱗はずぶ濡れ。顎や耳からは、雨水が流れ続けている。

「……俺、元気だよ。ケガもしてないし」
「元気ってのはね、単にケガとか病気とかをしてないって意味じゃないよ。体と心がどっちも健やかなのを元気って言うの!」

 ティアは「ま、わたしの師匠からの受け売りだけどね」と付け加える。
 この世界で唯一生き残ったドラゴンの、その息子であるシドウ。その彼が絶滅前の個体のアンデッドに会う。しかもそれを自ら手にかけるという、おそらく本人的には衝撃的であろうと思われる展開。心配してしまうのは当然だった。

「恥ずかしいからやめて。みんな見てるし」
「いいのいいの」

 シドウは頭を振るうようにしてティアの手から一度逃れたが、そのまま遠ざけたわけではなかったため、ティアは抗議を無視して撫で続けた。
 そのうち諦めたのか嫌がらなくなり、代わりに力が抜けたように、顎の下を濡れた地面にベタッと着けた。

 そこに、腰が抜けていたままだった魔法使い軍団から一人の男が立ち上がり、寄ってきた。
 リーダーとおぼしき男だった。

「お兄さん、というかドラゴンさん?」

 シドウは魔法使い軍団のために体を張った。
 それが明らかであるせいか、すでに怯えの色は薄れていた。

「シドウ・グレース、冒険者です。もしかしたら聞いたことがあるかもしれませんが、ペザルの山に生き残りのドラゴンが一匹住んでいまして、俺はそのドラゴンと人間の間にできた息子です」
「いちおうチラっと噂は聞いたことはあるが……まさか君がそうだったとは……。まあ、なんだ……悪かった」

 男がフードを取って、ずぶ濡れの頭を下げた。
 ティアが気配を察知して撫でていた手を離すと、シドウは頭を少し持ち上げ、少しお辞儀するような仕草を見せた。

「あ、いえいえ。俺はいいんですが。でも彼女には謝ってもらえるとうれしいかな、と」

 シドウが顎でヒョイヒョイとティアを指し示すと、男は素直にティアにも同様に謝罪した。

「お嬢ちゃん。申し訳なかった。許してほしい」
「ティア、これで大丈夫?」

 シドウもまるで男と一緒に謝るように、頭を伏せながら言い添えてくる。

「もちろーん」
「ありがとう、お嬢ちゃん」
「ありがとう、ティア」

 男は謝罪を受け入れてもらったことに礼を述べ、そしてホッとしたように息を吐いていた。
 しかしシドウまでも同じようなことを言い、同じようにドラゴンの頭を垂れながら息を吐いたため、ティアはそれを咎めにかかった。

「だからー。シドウ。気を遣ってくれるのは嬉しいんだけど、わたしのことは本当に気にしなくていいって。
 ああいうのはね、前によくあったから慣れてるの。シドウと組むようになってからは全然なかったけど、女の冒険者って珍しいからね。
 もちろん気分は悪いけど、『あっそ』って思って無視するだけ。それでもしつこく来る人はこうやって蹴っちゃう。手なんて縛られてても全然平気なんだから」

 ティアは手を縛られたまま高くジャンプし、きれいな形のフライング・ハイを披露する。
 それはシドウの顔面に命中した。

「痛い」
「痛いのがいいんでしょ!」

 魔法使い軍団のリーダーは、豪雨のなかにもかかわらず、目を丸くしてやりとりを見ている。

 ティアはシドウをからかいながら、思った。
 生前の知識を有するドラゴンのアンデッドを手にかける。それ自体が彼にとって精神的に負担であったことはおそらく間違いない。多少なりともショックはあったはずだ。

 だがもしも……万一、あれの洗脳処理が不十分で、情まで残っているアンデッドドラゴンだったらどうだったのだろうか……?
 その仮定を考えると、ティアは怖かった。今回は不幸中の幸いであった可能性すらあると思った。

「まあ、安心はするかも。この痛み」

 そう言いながら、シドウは爪を器用に動かし、ティアの手を縛っている紐を切った。
 ティアは「でしょ?」と言って、笑った。
 そして魔法使い軍団に声をかける。

「魔法使いさんたち! わたしは貸さないけど、シドウは貸せるんで。灯台の中でドラゴン見学会開くよー。雨天決行どころか豪雨決行だよー」
「中の安全が確認できて、変身できそうなスペースがあれば構わないけど……。なんかアランさんみたいなこと言い出すね」
「ここにいたら絶対言ってるね!」

 ティアはまた笑った。

 彼――シドウは喜怒哀楽が乏しいわけではない。ここまで一緒に旅をしてきて、それはよくわかる。
 なのに、それをあまり表に出すことはない。特に、負の感情についてはそうだ。そのようなものが湧き起こったとしても、自身の中で無理やり消化しようとする。
 おそらく、親に言われたことを守ろうとしてきた結果であり、何事も基本どおりにしようとしてきた結果だ。多分この先もずっとそうなのだろう。

 その彼の性質、姿勢は、必ずしも良い面だけではないとティアは考えていた。
 このドラゴンの巨体。なぜかティアにはあまり大きく見えたことがなかった。様々な感情を溜め込める容量は……実際それほど大きくはないのかもしれない。

 では、容量を超えてしまったらどうなるのか。
 例によって爆発や暴発はしないのだろう。
 が、自壊して潰れる可能性は十分にある。

 そう考えていくと、彼と一緒にいる自分の責任は、けっして軽いものではないのかもしれない――。
 ティアはあらためて気を引き締めた。



 * * *



 嵐から一晩が明け、前日の天気が嘘のような青空が広がっていた。
 風はまだ強いが、凶暴さはなくなっていた。

「暑いけど、いい天気!」
「そうだね」

 気持ちよさそうに両手を挙げるティアに、シドウは相槌を打った。
 潜んでいた旧魔王軍の残党は、結局アンデッドドラゴンを連れていた人型モンスター二人だけだったようである。大灯台の中には誰もおらず、ドラゴン見学会も一階にあったホール状の部分で無事に開催され、大灯台の中では平和な一晩を過ごした。

 びしょ濡れだった二人の服も、魔法使い軍団の火魔法と風魔法で乾かしてもらった。ティアのタンクトップとカンフーパンツ。シドウのみすぼらしい服。どちらも爽やかな着心地に戻っている。



 シドウたちと魔法使い軍団は、後片付けをしてから王都へと帰ることになった。

 真っ青な空のもと、瓦礫の撤去や飛散した荷物の回収を手伝っていたシドウとティアであったが、突然の来訪者が現れた。

「シドウ。久しいな」
「えっ? あっ? お久しぶりです。え、どうしてここに」

 現れたのは、高齢で灰色の髪を短く刈っている男性。シドウ本人としては、ここで会うことが大変に意外な人物だった。
 そして混乱した頭を、木の杖で物理的に叩かれた。

「あ、痛っ」
「たまたまダラムに来ていたんだが、この実験の話を聞いてな……。経緯はすべて魔法使いたちから聞いたぞ。お前がこの国にいながら、なぜこのような馬鹿げた実験がおこなわれた? しかも現地にいたとはな。なぜとめない」
「痛っ」

 また一発。
 手にしているのは木の杖だが、その男の腰や背中はピンと伸びていた。足が悪いという理由で持っているわけではなさそうだ。背丈はシドウよりも高い。発声も明瞭。
 高齢なのは間違いないが、老人という雰囲気はまったくない。壮年と言ってよい印象で、全身がみなぎっているように見えた。

「ちょっと! 誰だか知らないけど! 頭叩いたらシドウが馬鹿になっちゃうでしょ!」
「誰だお前は」

 慌ててとめに入ったティアにも、邪魔するなと言わんばかりである。

「わたしはシドウのパーティメンバーよっ! あんたこそ誰よ」

 すると、老人の顔はやや柔らかくなった。

「ほう、そうだったのか。それは失礼した。私はウラジーミル。学者だ」
「……。んー? あれ? どこかで名前を聞いたような」
「俺の師匠だよ」
「思い出した! そうだ! シドウの師匠だよ! 初めて見た! ……えっと、初めまして?」

「初めまして、お嬢さん。もう一発叩くのでどいてなさい」
「だから馬鹿になっちゃうからダメ!」
「大丈夫。お嬢さんの心配は無用だ。こんな実験を目の前でやらせてしまっている時点で、すでに十分馬鹿だ」

 ティアの制止もむなしく、三発目が落ちた。

「痛っ。あ、いや、とめようとはしたのですが。とまらなくて」
「変身して脅せばいい。すぐとまるだろう」
「いや、そんなことをしては……」
「事故死続出よりはマシだろう?」
「……マシ、ですね」

「小さな基本に忠実であろうとして、大きな基本がおろそかになったな。
 お前は母親から『どんなときでも人間の味方を』と言われていたな? それを間違って解釈してはならない。ときには人間に嫌われ怖がられることが人間に味方することになる場合もある。今回はまさにそうだったかもしれん」
「……」
「今後に生かせ。学術の徒は嫌われてなんぼなところもある。いざというときは勇気を持って嫌われろ」
「はい」

 シドウはぺこりと頭を下げた。そしてシドウの師匠はこう続けた。

「私も、だいぶ〝あいつ〟には嫌われたからな」

 そう言って、後ろを振り返る。
 シドウとティアも、彼の後ろのほうに目をやった。

 気づかないうちに、魔法使い軍団以外の人間が大量に来ていた。その恰好や控えている馬たちから、どうやら兵士たちであろうということがわかる。

 そのなかから一人こちらにやってきたのは、美麗な容姿に高貴な格好の女性。
 なんと、ダラム王国の女王だった。二人にとってはダラムに到着したときに謁見して以来である。
 驚く二人に、女王は頭を下げてきた。

「さっき聞いたが、大臣に収賄疑惑があるらしいな。すぐに調査するよう指示は出したが、今回の件は私の責任もあ――痛っ」
「そうだな。大臣よりも上位であるお前の責任は重大だ」
「ジジイ、しゃべっている途中で叩くな」
「フン。お前も今回の件、書類にサインしていたのだろう? どうせ中身もろくに見ずにサインしたのだろうが……。天候を人の手で操ろうなど、愚かにもほどがある」

 シドウの師匠は真っ青な空を一度見上げた。

「この青い空よりも高いところから世界を見ると、どう見えるだろう――。私は子どものころ、そう考えたことがある」

 女王は黙ってしまった。
 シドウの師匠は知るべくもないが、その話は奇しくも、謁見のときにシドウが女王にしていたものだった。

 そして、彼は視線を空から女王へと戻す。

「当然今はそんなことはできぬし、私の生きているうちにはありえないだろう。だが、国さえしっかりしていれば技術は進歩し続ける。遠い未来、いつかは実現するはずだ」

 シドウの師匠は続けた。

「この国ほど空と密接に付き合ってきた国はない。私は、青い空よりも高いところへ到達する最初の国となるのはこの国だろうとも思っている。そして期待もしている。だから天気の研究はどんどんやればいい。
 だが、自然とは戦う対象ではないことを忘れてはならない。うまく付き合い、その力を利用させてもらう対象だ。そこを間違えるとこの国は不幸になる。いいな」

 そこまで言うと、女王の頭をもう一度杖で叩いた。
 女王が叩かれた部位を押さえているが、後ろにいる兵士に動じる気配はまったくない。なかには顔を崩している者までいた。

「さてシドウ。お前はこのあとどうするのだ?」
「あ、はい。このあとは、掃除が終わったらこの魔法使いさんたちを王都まで送って、それから……」

 そこで一呼吸置き、シドウはティアのほうを見た。
 彼女は無言で、だが意思を持ったしっかりとした表情で、うなずいた。それを確認してシドウは続ける。

「もう、グレブド・ヘルに行くしかないと思っています」

 グレブド・ヘル。
 周囲を断崖絶壁に囲まれた高地。そして、旧魔王城がある地でもある。
 シドウからその言葉が出ても、師匠は意外だというような表情は見せなかった。

「私も不穏なアンデッドの事件が起きているのは聞いている……。何やら尋常ならざる動きがあるようだな」
「はい。俺、一連の事件に偶然首を突っ込んできたんですが、あれらは新魔王軍を名乗る人型モンスターのグループが犯人みたいなのです。
 今もアンデッドの技術開発を続けていて、最終的には大魔王の遺骨をアンデッドとして蘇らせることを目標にしているようです。規模自体はまだ大きくないと思いますので、早めに行けばとめられるかなと」

 なるほど、とシドウの師匠はうなずいたが、そこでシドウにとって予想外な提案をしてきた。

「場所が場所だ。行くのであれば、ぺザルの母親に一度顔を見せていくといい」
「え、でもぺザルはだいぶ遠いですし。状況を考えると、あまりゆっくりもしてられないと言いますか……」
「空を飛んで行けばいいだろう。ならば一瞬で着く」
「それ、騒ぎになりますって」
「柔軟に考えろ。こいつを使えばいい」

 また女王の頭を杖で、今度は軽く叩いた。

「女王よ。戻ったらぺザルまでの領地内に大至急で連絡を回せ。近く、空にドラゴンが飛ぶとな」

 女王はシドウの師匠をひと睨みすると、一転柔らかい微笑みをシドウに向けた。

「そのとおりにする。シドウよ、気兼ねなく空を飛ぶとよい」
「あ、すみません女王様。よろしくお願いします」
「気にするでない。お前というドラゴンと人間の間にうまれた子のためだ。このジジイのためでないなら喜んでやらせてもら――痛っ」

 また強く叩かれたようだ。



 師匠と女王がセットで登場、そして現場の検分を始める。
 突然すぎてシドウは経緯がつかめていなかったが、検分中に詳しい話を聞いた。

 どうやらシドウの師匠は偶然ダラム王都を訪れており、これまた偶然に今回の嵐を消す実験の話を耳にしたようだ。
 そしてすぐに王城に乗り込んで女王を叱責。「派手に失敗するはずだ。その目で確認しろ」と、そのまま強引にここまで連れ出したということだった。護衛の兵士たちは慌ててついてきたらしい。

 普通の人間であれば絶対に許されないことであるが、シドウの師匠は女王の恩師にあたる存在でもあるため、お咎めはないだろうとのこと。



 一通り現場の確認が済んだ女王とシドウの師匠が、王都へ戻ることになった。
 女王は人型モンスター・エリファスが言っていた大臣の疑惑の件の対応があるし、師匠は師匠で用事があってダラムに寄っていたそうで、あまりのんびりもできないそうだ。

 シドウとしては久しぶりの師弟再会でもう少しゆっくり話したい気持ちもあったが、事情があるなら仕方がない。
 ということで、ティアとともに二人を見送ることに。

「では行くかの、女王よ」
「ああ。シドウ・グレース、ティア・シェフィールド。また会おう」

 女王が馬車に乗り込む。
 次にシドウの師匠が続こうと片足をあげて、一度取りやめた。

「そうだ。お嬢さん、ちょっといいか」
「え? わたし? 何?」

 呼ばれてそばまで行ったティアが、何かを耳打ちされた。
 そしてシドウのもとへと戻ってくる。
 シドウのほうには、耳打ち後の「任せなさーい」というティアの元気な声だけが届いた。



 女王と師匠、兵士たちの馬車を見送ると、シドウは首をひねった。

「女王様と先生、仲があまりよくなさそうだったけど……大丈夫なのかな」

 ティアは手を腰に当てると、シドウの顔を覗き込むように返してきた。

「ふっふっふ、素人のシドウくん」
「何、急に」
「あの二人、全然仲悪くないよ」

 のけぞりながら一歩下がったシドウに、ティアは断言した。

「え? そうは見えなかったけど」
「わかってないなー。あれは仲悪いどころか、ものすごくいいんだよ。良すぎてああなの」
「本当?」
「ほんと!」

 自信満々に、そう言う。
 素人呼ばわりされたシドウとしては、ティアを信用するしかない。

「ふーん。で、さっき先生がティアに何か耳打ちしてたけど。なんて言ってたの」
「知りたい?」
「うん」
「ふふっ、内緒!」
「ひどいな」
「だって、シドウに聞かれていい内容なら耳打ちしないでしょ? 耳打ちしたってことは多分言わないほうがいいんだと思うよ」

 ティアはニヤニヤしながら、瓦礫の片付けに戻っていった。





(三章『天への挑戦 - 嵐の都ダラム -』 終)
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