自然地理ドラゴン

どっぐす

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三章『天への挑戦 - 嵐の都ダラム -』

第30話 気候区分図 ー青い空よりも高く-

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 天井は比較的低めだが、柱は太く、壁には大きな絵画も多数飾られている。
 大国であるダラム王国らしい豪華な謁見の間。シドウとティアは、中央に敷かれた絨毯の上でひざまずいていた。

「シドウ・グレース、ティア・シェフィールド。お前たちについては、私も以前に資料を見て興味を持っていた。それでついさっき、城に来ているという話を聞いたものでな。急に呼び戻して悪かった」

 玉座の女王は微笑を浮かべながら、軽いウェーブのかかった長い銀髪を、優雅な手つきで後ろに流した。
 その顔はまだ若い。もちろんシドウたちよりは上だろうが、まだ三十代くらいのように見えた。

 先ほど呼びに来た兵士の話では、イストポート海竜事件およびシドウたちについての資料が、事件後すぐにダラムにも回されてきていたらしい。
 ティアまでこの場に呼ばれているのは、彼女がシドウの付き添いであることもその理由だが、女性冒険者というのが非常に珍しいので、女王としても「顔を見ておきたい」と思ったからだとか。

「いちおう確認する。ペザルの山にいるという生き残りのドラゴンと、人間との間にできた子――それがお前なのだな」
「はい」
「そして、ドラゴンに変身することができる。間違いないな?」
「間違いありません」

「ほう。ではお前が『今日から自分がこの国の王になる。逆らう者は皆殺し』などと言い出したら困るな。止められる者はこの王都にいないだろう」

 女王の表情は柔らかいままなので、本気で言ってはいないと思われた。
 だが、そんなことを考えたことすらないシドウは、ハッとしたように伏せていた目を上げ、女王に合わせた。

「大丈夫です。自分は母から『どんなときでも人間の味方をしろ』と言われています。そのような考えを持つことは絶対にありません」

 そう断言した。

「はーい。私もそう思いまーす。暗いしマザコンだしオタクだし、とても人の上に立とうという器じゃないでーす」

 援護になっているのか、いないのか。シドウはムスッとして言い返した。

「王になったら、誰かさんが毎日陳情に来てうるさそうだしね」
「誰がうるさいってー?」
「一人しかいないじゃないか」
「えー? 誰ー?」
「ほう。これはまた仲がよさそうだな。案外よい王と王妃になるかもしれぬ」

 王と王妃。シドウとティアは思わず顔を見合わせた。
 が、その言葉が意味するところを一瞬遅れて理解すると、ティアのほうはプイッと首を回転させ、シドウのほうは亜麻色の髪を掻きながら顔を前に戻した。

 女王は微笑みをさらに崩し、「次の質問に行ってもよいな」と話を続ける。

「変身は何度でもできるのか?」
「あ、はい。何度でもできます」
「……では、ずっと変身し続けることもか?」
「いえ、それは不可能です。体力とはまた違った力を消耗するようで、例えば一日中変身し続けるというのは無理です」

 その答えに、女王が吹き出す。

「?」

 なぜ笑われたのかわからないシドウに対し、女王は言った。

「私は素直な男は好きだ。だが一つ忠告しよう。あまりそうやって簡単に手の内を見せるべきではない」
「そうなのですか?」
「そうだ。お前はこの先もずっと人間の味方かもしれないが、人間がこの先もずっとお前の味方とは限らないぞ?」
「……」

 女王は笑みを浮かべたままだ。声の調子も穏やかである。
 だが、シドウはとても恐ろしいことを言われた気がして、背筋が寒くなった。
 その様子に気づいたのか、気づいていないのか。女王はまた次の話に入る。

「今日呼び出したのは、もちろんお前たちに対する好奇心ということもあったが。それだけではない」
「……?」
「資料にはお前の師匠のことも書いてあってな。ウラジーミル・ピーターという懐かしい名前を見た」
「私の師匠をご存じなのですか?」

「ああ。私はこの国の王になる前、農業ギルドの顧問をやっていたことがある。そのときに接点があったのだ。そうだな……冒険者ギルドの壁にこの世界の気候区分図が貼ってあっただろう? あれは私が当時あのジジイに依頼して作らせたものだ」
「そうだったのですか」

 ここにきて自分の師匠の話が出てくるとは思わなかったうえに、女王が『ジジイ』と呼んでいる。シドウは素直に驚いた。

「何年かかってもいい――そう言ったのだが、あのジジイは気候区分図をたったの三十日で作ってきた。しかも、どうやらかなり正確らしいものが仕上がってきてな。あの図は今でも、新規の農家や未知の地へ行く冒険者にとっては助けとなっている」

 呼び方はともかく、シドウの師匠に対する評価は、女王の中で高いようである。
 いまの言葉を聞けば、師匠も喜ぶのだろうか? とシドウは考えたが、やはり「ないな」と思った。シドウの知る師匠ウラジーミル・ピーターは、とても権力者からの評価で喜ぶような性格ではなかったためだ。

「だが、私はその種明かしを聞いておらぬ。あの偏屈なジジイは物を出すだけ出して、どこかに行ってしまった。もしお前が製作過程を知っているのであれば聞きたい」

 これについては、もちろん秘密にすることではない。

「はい、あれはその土地の植生に注目することで、効率のよい製作を可能にしたと聞いています」

 シドウは知っていることを説明していった。
 正攻法でいくのであれば、この世界のいたるところに無数の気象観測ポイントを設置し、降水量や気温の数値を取らなければいけない。しかも当たり前ではあるが、最低でも一年は観測を続けなければ年間データは取得できない。さらに言えば、実際には毎年の数値にブレがあるだろうし、できれば数十年間のデータが欲しいところだ。
 もちろんそれでは時間がかかりすぎるうえに、無数の人員が必要となる。現実的ではない。

 そこでシドウの師匠は、その地域の『植生』に注目した。
 それまで長い時間をかけて世界中で集めてきた、膨大な量の植物のスケッチや標本。植物は足がなく動けないため、その地域の気候をよく反映している。それをもとに各地の気候を推測し、区分図を作成したのである。

 説明を聞いた女王は、感心したように唸った。

「なるほどな……植物から気候を推測、か」
「はい」
「今までその発想に至った者はいなかった。やはりその辺はあのジジイならではというところか」
「もともと師匠は植物が大好きでしたので」

 修行時代を思い出しながら、シドウは言った。
 なお、隣のティアも話を聞いていないわけではないようだが、完全に専門外の話だ。内容についていけているかは定かではない。

「花や実、野菜が好きというのはわかるが……。それ以外の草や木まで好きというのは私には理解できん。どんなきっかけがあればそうなるのだか」
「それも師匠から聞いています」
「ほう。聞きたいな」
「では説明させていただきます。師匠がまだ若いころ、地表を雲よりもずっと高いところから見たらどう見えるのだろうかと、ふと考え――」
「雲よりもずっと高い?」

 いきなり遮られてしまう。しかし、それも当然かもしれないとシドウは思った。

「はい。ドラゴン姿でもそこまで高く飛ぶことはできませんので、自分もよくわからないのですが。城など人が造ったものが完全に見えなくなるくらいの高さから……おそらく、青い空よりも高く――ということだろうと思います」
「ふむ。それで?」

「はい。師匠は、それくらい高いところからこの世界を見たら、大変に美しい絵が見えるだろうと思ったそうです」
「……」

「絵を構成するものとして一番わかりやすいのは『海と陸』という単純な違いで、海のほうについては一様な濃紺に見えるだろうと考えました。一方、陸側のほうでは非常に複雑で美しい模様が見えるのではないかと思ったそうです。
 当時の師匠は、その模様を作っているのは、まずは『緑なのか、そうでないのか』であろうと考えました。緑でない……つまり植生に覆われていない理由としては、寒すぎるか乾燥しすぎているかのどちらかです。それを分ける要因となっているのは、気温・降水量ということになります。
 そしてさらに、緑の中でも、その色や質感に大きな違いがあり、それがまた模様の美しさの重要な要素だろうと思ったそうです。それは植物相の違いがもたらすもので、何が植物相を違わせるかと言えば、気温・降水量・土壌・動物相といった、この世界の自然そのものです。
 そう考えていくと、植物はこの世界を一番表現できている生物であり、同時に、世界という巨大で美しい絵に最大の寄与をしている生物でもあると気づいたそうで、そのときから急に植物が可愛く見えてきたと言っていました」

 説明の途中、女王は首を傾げながらうなずくという、なんとも器用なことをしていた。

「そうか。とりあえず話はわかった。その考え方自体は、まったく理解の及ぶものではないがな」

 そしてなかば呆れ気味に、そんなことを言った。
 ティアも女王に賛同したのか、「私もぜんっぜん理解できない~」と匙を投げている。

「まあ、感謝するぞ、シドウ。あの偏屈なジジイに手紙を出して聞くのは嫌だったからな」

 先ほどからの女王の言葉からは、シドウの師匠とかなり微妙な関係にあったことがよく伝わってきた。認めてくれてはいるが、性格はだいぶ苦手にしていたのだろう。

「しかし、青い空よりもずっと高いところ、か……。そこはいったいどんな世界になっているのだろうな。たとえばそこから下ではなく前を見たらどうなのか。そこからさらに上を見たらどうなのか。私には想像もつかぬ」

 謁見の間の天井に、女王は顔を向けた。
 そして戻す際に一つ、小さくため息をついた。 

「シドウよ。遠い未来、そこに実際に行ける日などは来るのだろうか?」

 その言葉を受けてシドウも想像を膨らませてみたが、よくわからなかった。
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