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08.初夜-1

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 時が経つのはあっという間で、慌ただしく年を越す準備をしているうちに、気が付けば年初を迎えていた。
 盗賊を装って町を襲撃した東の隣国も、戦況が好転したからなのか、あれ以来こちらへ何か動きを見せることはなかった。民衆はあれを本当に盗賊からもたらされた悲劇だと思っている。貴族院の議会の参加者たちは、国境を越えてきたのが実際には東の国の兵士だと知っているが、引き続きそれを外部へ漏らすことはしていないようだ。

 一年の最初の日中は、特段大がかりなものではないが、新年を祝うささやかな式典を催して時間が過ぎていった。
 そして夜。イザークは、ヴィオラと共に、城の客室のベッドの上で向かい合って座っていた。

「……体調は、悪くないか?」
「変わりはございません」

 ヴィオラの返事は、淡々としたものだった。

 明かりは、ベッドの傍らの小さな棚へ置いたランプ一つだけ。そのぼんやりした光が、カーテンを開けてある天蓋付きのベッドの上と、ヴィオラの姿を照らしている。

 涼やかな目元と温かな琥珀色の瞳は、常と変わらずイザークを真っ直ぐ見つめてくる。普段は結い上げられている黒に近い紫色の髪は、今は流れ落ちて淡く光を受け、まるで濡れているようだ。凛として引き結ばれ、時折柔らかくほころぶ口元は、今はどこか固く閉ざされて見える。
 イザークや寝具のものではない、花のような艶やかな香りがふわりと鼻腔へ届く。入浴を済ませたばかりの高い体温に飛ばされた、ヴィオラの肢体の匂いだ。侍女が湯に香油を入れたのだろう。いつもの彼女の香りとも異なる。ただ、それがヴィオラから立ち上っているのだと思うと、これから触れる素肌を想像してしまい、イザークは生唾を飲み込んだ。

 緊張や、嫌がっている様子はない。ひたすら静かだ。
 ヴィオラは出会った当初から落ち着き払っていて、イザークよりも余程度胸のある人間だった。それは、彼女の元来の性質もあれど、幼くして病を得て、彼女の父の公爵が言っていたように、早くにままならないことを知ったからなのだろう。先日の隣国との騒動が、久々に彼女が感情を揺るがせた出来事だった。

 一方のイザークは、表に出さないよう全身全霊をかけているだけで、ひどく緊張している。これから背徳の罪を犯し、同時に唯一愛する人を抱こうとしている。罪悪感と期待感で、日中どう過ごしたか記憶がない。
 先ほどヴィオラに体調を尋ねたのも、冷静に彼女を慮ったのではなく、単に何を言えばいいのか分からなくなって、無難な話題を出しただけだ。結局、続く会話もなく、お互いまた黙り込んでしまっている。
 今頃オフェリアとグスタフも、別の部屋で同様に年初の行為を迎えているはずだが、自らと同じ心持ちなのだろうかと想像した。

「……陛下」

 沈黙を破ったのは、ヴィオラの方だった。

「私、まだ経験が少ないので、不慣れなところがあるかと存じます。ですので、陛下にお任せしてもよろしいでしょうか」

 そう切り出して、座り直すように身じろぎする。薄手の夜着の裾が流れた。その奥の肌は透けないが、滑らかな素材は体の稜線を露にしている。

 ようやく、合意のもとに触れられる。
 それよりもイザークは、ヴィオラの言葉に気を取られた。

 王妃がイザークとの初夜の前に誰かで処女を捨てることが求められているように、結婚した男女はお互いで処女童貞を捨てることは基本的にない。人生兼その年における初回を、やはり他人と済ませる。女性の場合は婚姻してからそれを済ませることが多い。
 ヴィオラの夫であるベラーネク伯爵は高齢ではあるが壮健なようで、男性機能が衰えているとは限らない。高齢だからと夫婦の初夜がないものと想像して、初回を他人で済ませなければ、むしろそういった想像をしていると宣言するようなものであり、侮辱的と考えられている。そのため年の差がある婚姻で、現実的に性行為をしないだろうと考えられる場合でも、若い方の配偶者は通常他人と初回を済ませておく。なお、事前に夫婦生活がない旨を年長者側が申告していれば、その限りではない。二回目以降が起きないのだから、一回目を消化しておく必要もなくなる。
 年初の行為を行ったあと、配偶者とは妊娠の兆しが分かる程度の期間を空けて初夜を執り行う。ヴィオラが結婚しておよそ九か月。これだけの期間があれば、彼女はとっくに他の男と初回を済ませ、そして伯爵とも性交渉を持っているだろう。伯爵領へ戻ったのは数えるほどであったため、彼女の言う通り経験が少ない事には違いないだろうが。

 いくら秘書官として常々共に過ごしていても、イザークが恋焦がれた女性は、もう身も心も他人のものなのだ。そして、彼女の体を知る男は、少なくとも二人いる。
 イザークの知らない姿を見て、その肌へ触れた男がいる事実を、彼女の言葉で改めて思い知らされた。婚姻後に初回を済ませるにあたり、ヴィオラの結婚のための休暇は短かった。伯爵領で、近場の男として、例えばベラーネク伯爵の息子たちに協力を仰いだかもしれない。以前見かけた三男は年も近いし、未婚なので配偶者の了解を得る必要もなく都合がいい。
 胸の中に、じくじくとした不快感のようなものが染みだしてくる。

「ああ……、わかった」
「よろしくお願いいたします」

 イザークの返答に、ヴィオラはどこかほっとしたように、微かに息を吐いた。
 ヴィオラが期待する通り、イザークはおそらく彼女よりは経験がある。昨年の年初の行為だけでなく、成人した王族の男は実技を含む性教育を受けている。無知や拙さに起因して女性へ負担をかけることがないようにという配慮と、年初の行為に失敗すれば一からやり直しになるためだ。

 膝立ちになり、ヴィオラのすぐ前までにじり寄って腰を下ろす。

「もう、触れても構わないか」

 手を伸ばし、肩へ触れるか触れないかのところで、止める。
 ヴィオラはその手を視線だけ動かして確認すると、やがて頷いた。
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