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01.秘書官の心-1

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 この王国には古くから、『何事も初回は悪い』という言い伝えがある。
 交渉は初対面ではなく二度目に顔を合わせた時にした方が上手くいく。一番初めに実った果実より次に収穫した物の方が美味しい。初婚でない方が長く続く。長子は出来が悪い、等々。

 もちろん必ずしもそうではないと理解している国民が大多数ではあるが、何か悪いことが起きた時、やはり初回だったからだ、と結びつけてしまい、後悔に繋がる程度には意識へ刷り込まれている。

 しかしこういった言い伝えは回避するための風習があるもので、例えば長子が生まれる前に、簡単な子供の人形を赤子に見立てて傍に置き、実際に生まれた長子をしばらく会話の中では次男次女として扱う。戸籍は生まれた子が当然長子で、周囲もそのように認識している。おまじないの一種に過ぎない。その他、結婚して即離婚、同じ相手と即再婚するという初婚対策もある。これも届け出はしない小芝居だ。
 身分の高い人間ほどこういった風習はしっかり守り、庶民向けに簡略化された方法ではなく、より原型の方法を取る傾向にある。前述の長子対策は墓まで作って後処理をし、初婚対策は初回と再婚時で結婚式を二度挙げる。

 さて、この国で娼館が最も混み合う時期は年始である。
 その理由は前述の風習によるもので、性行為も一年の初回の相手とは良くない結果を生むと考えられており、初回では行為そのものが上手くいかなかったり、良い子供が実らなかったりするといわれている。
 だから、配偶者や恋人とではなく、それ以外の安全な相手とサクッと済ませてから、するべき相手とする。相手の確保と安全性の観点から、娼館に客が集中するというわけだ。ちなみに年初の一回以降を他人とすれば、普通に不貞と捉えられる。また、少数派だが配偶者等と初回から行う場合もある。
 この風習の所為で、周辺諸国からは貞操観念がないと陰口を叩かれているが、国民からすれば相手は吟味しているし他国にとやかく言われる筋合いはないという心境だ。



「ベラーネク伯爵夫人」
「はい。陛下」

 机で書類仕事をしていたヴィオラ・オルドジシュカ・ベラーネクは、呼びかけられて反射的に返事をした。
 ヴィオラは二十代半ばの、黒に近い紫色の髪と琥珀色の瞳を持った、涼やかな印象の女性である。

 そこは国王の執務室。王の机が出入り口の正面突き当りに、部屋の両脇に秘書官の机が一つずつ、全て部屋の中央を向くように設置されている。秘書官の机の一つは、筆頭秘書官であるヴィオラのもので、対面のもう一つは他の秘書官が使うが、今は誰もいない。部屋には王とヴィオラの二人だけだ。

 ヴィオラはペンを置いて、王ことイザーク・シルヴェストル・ニーヴルトへ顔を向ける。
 後ろへ流したダークブロンドの髪と、瞳孔の周りが少し橙になった緑色の瞳。年齢はヴィオラと同じで二十代半ば。野性味のある精悍な顔立ちで、ペンより剣が似合う。実際本人は体を動かす方を好んでいると、ヴィオラは知っている。

「私はあと少しすれば終わりそうだ。そなたはどうだ」
「はい。私は最後の書簡を書き終えましたので、これを託せば本日すべきことは終了します」
「そうか……。新年早々このような時間まで、すまなかったな」

 イザークは窓の外へ目を向けた。普段は眼下に庭園が広がっているが、夜中でかつ曇り空のため、見えるのは暗闇だけだ。

「何を仰るのですか。秘書官として当然のことです。それに、私どもは交替の人員がおりますので」

 北方の辺境伯領地において、例年を超える豪雪により都市と町村を繋ぐ道が寸断される被害があった。復旧のため王都からも人員や物資を送っており、その手配に関する指示と調整で、イザークは年末から年始初日の今日まで働きづめだ。
 筆頭秘書官のヴィオラの方で、可能なだけ平常業務を引き取ったり、適切な他の官僚へ委任の段取りを付けたりと捌いたものの、イザークの顔には疲労の色が窺える。

「そう言う割には、他の秘書官と替わらず私に付き切りであったろう」

 イザークの言うとおり、結局気になってしまって、彼が机に向かっている間はヴィオラもこの部屋に詰めていた。

「私どもの仕事は、陛下の担われるお役目に比べれば、座して待つだけと申しても過言ではありません」
「ハハ。そなたの働きをそう評しては、他の秘書官の面目が立たないな。だが、流石の筆頭秘書官も、これほど長く待つのはくたびれたようだ」
「あら、顔に出ておりましたか」

 どうやらヴィオラも、笑いを零したイザークからすれば疲れた顔をしていたようだ。

 イザークとヴィオラは幼馴染で、もう十年以上、八歳の時から一緒にいる。
 普段は厳格な王と無私の秘書官だが、二人の時は他愛もない話をすることもあるし、他人にわからない微妙な表情の変化にも気が付く。

「疲れているようだから、明日にまわすとしよう」

 イザークは笑みを収めて、視線を手元の書面に落として、独り言のようにそう言った。
 それが何のことか、明言されずともヴィオラにはわかる。

 この国では、新年最初の性行為は、伴侶や恋人とは行わないのが一般的である。愛する人と行う前に、安心安全な娼館に行くか、信頼のおける人間と済ませておく。その慣習に従うのは国王も例外ではなく、代々身元の確かな既婚者が合意の上で相手を務めている。
 ヴィオラはもう何年もイザークの年初の相手を任されており、彼が明日にしようと話しているのはその件だった。

「私はこれからでも問題ございません。それに、明日の午後から伯爵領へ戻らなくてはなりませんので、可能であれば本日にしていただけますと幸いです」

 イザークが目を逸らして呟くように述べる言葉は、指摘したことはないが、大概逆の願望だとヴィオラは認識している。彼の仕事もひと段落したようなので、今日の内に済ませて明日は王妃や幼い子供たちと家族でゆっくり団欒したいのだろう。
 ヴィオラは夫の所領へ戻るのはもう一日後にしても構わないが、彼が希望しているなら、気を使わせないように自身の都合として本日にしてもらうべきと考えた。

「わかった……。ならば、先に客室で待っていてくれ。後から向かう」

 少し嬉しそうにも感じられるイザークの眼差しに、ヴィオラはやはりこれで正しかったようだと納得した。

「かしこまりました」

 ヴィオラは席を立ち、礼をしてから退室した。
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