75 / 114
後編
24.最後の手段-2
しおりを挟む「皆さんは、通路を塞ぐように立ってしまっている友人を見て、どうしますか? 声をかけるか、自分がぶつからないよう避けて通るでしょう。その警察官も、正常なら同僚へ声をかけるに留まるか、大した問題はないので放置したはずです。しかし彼は、同僚を殺してしまうことで問題を解消しました。同僚が嫌いだったのではないかと思うかもしれません。ですがそれはおそらく真逆で、二人は子供のころからの友人でもあり、お互いの結婚式へ参列し、休日も家族ぐるみで付き合いがあったといいます」
イリスは、人の頭の中には、本能、感情、理性、記憶などが、多少揺らぎはすれど、おおむね均衡を保って存在していると考えている。そしてその均衡を保たせているのが、正気と呼ばれる箍なのだろうとも。
セムラクの反作用で増幅した感情に襲われ、警察官は正気を失った。記憶があるために目の前の任務を遂行しようとするが、同僚が少し邪魔に感じた。
その他の記憶の中の人を殺せば裁かれるという情報や、道徳的に許されないという理性、同僚は大切な友人だという感情。均衡を損なっているため、任務の記憶だけが前へ出て、他の要素は見えなくなっていた。
もはや同僚は、ただの障害物だった。だから、破壊した。今となっては分からないが、イリスはそう考えている。
「些細なことを、絶対に取り得ない選択肢で解決してしまったのです。それが、セムラクの術が破れる、ということです。あなたも実技試験中に、相手を殺してしまうかもしれません。もちろん、あなたの術の精度の方が勝り障壁は破れなかったり、破れても正気を失うほどの反作用にはならない可能性もあります」
「どうして、こんな魔術が精神魔術の教本の序盤に出てくるんですか……」
話に怯えた顔の生徒は、当たり前の疑問を呈した。
「教本に記載されている魔術の順序は、難易度と必要性から決められています。セムラクは比較的容易で、そして必要性が高いと判断されているのです。この国が戦争になった時や、例えば間近で犯罪者が周囲へ危害を加え始めた時、魔力を持つ私たちが真っ先に戦わなくてはなりません。それが力ある者の義務です。ですがいざという時、感情に気を取られ体が動かなければ、何も守ることができなくなります。この術は、あなたたちが成すべきことを成し、そして自分を守るために、早くに学んでいるのです。決して、怖いことから逃げるための手段ではありません。だから、セムラクは命の危険がある場合の、最後の手段にしてください」
彼らにそう説きながら、イリスは安易にセムラクへ頼り始めた、かつての自分を恥じた。イリスも当時の教師の心からの訴えを聞いている。だが、自分の命ではなく、心を守るために、誤った選択をしてしまった。
セムラクが何をもたらすのか、身をもって知っているイリスだからこそ、生徒たちには術の恐ろしさをよく理解してほしかった。
「……それに、セムラクは濫用すれば普通の感情を失わせます。努力して目標を達成しても、その喜びがわからないまま流れて行ってしまうでしょう。誰かが自分を思いやってくれても、それを受け取れなくなります。セムラクはいざというとき自分を助けてくれますが、恐ろしい一面があることを忘れないでください。皆さんには、不安なことや怖いことから逃げず、そして今しか得られない喜びを見過ごさないでいてほしいと思っています」
以前のイリスであれば、生徒たちに事例の話だけして突き放しただろう。使用自体は違法ではないから、自分で判断するようにと。
だが、治療が進み、セムラクを使わずに過ごす時間が増えるにつれ、イリスは彼らに安心して日々を過ごしてほしいと思うようになった。
相応しい話をできているのかは、まだよく分からない。それでも、自分の心を乗せた言葉をできる限り伝えるようにしている。
10
お気に入りに追加
132
あなたにおすすめの小説
【完結・R18】結婚の約束なんてどうかなかったことにして
堀川ぼり
恋愛
「なに、今更。もう何回も俺に抱かれてるのに」
「今は俺と婚約してるんだから、そんな約束は無効でしょ」
幼い頃からクラウディア商会の長である父に連れられ大陸中の国を渡りあるくリーシャ。いつものように父の手伝いで訪れた大国ルビリアで、第一王子であるダニスに突然結婚を申し込まれる。
幼い頃に交わしたという結婚の約束にも、互いの手元にあるはずの契約書にも覚えがないことを言い出せず、流されるまま暫く城に滞在することに。
王族との約束を一方的に破棄することもできず悩むリーシャだったが、ダニスのことを知るたびに少しずつ惹かれていく。
しかし同時に、「約束」について違和感を覚えることも増え、ある日ついに、「昔からずっと好きだった」というダニスの言葉が嘘だと気づいてしまい──…?
恋を知らない商人の娘が初恋を拗らせた執着王子に捕まるまでのお話。
※ムーンライトノベルズにも投稿しています
【R18】姫さま、閨の練習をいたしましょう
雪月華
恋愛
妖精(エルフ)の森の国の王女ユーリアは、父王から「そろそろ夫を迎える準備をしなさい」と命じられた。
それを幼いころから共に育った犬耳の従者クー・シ―(犬妖精)族のフランシスに告げると、彼は突然「閨の練習をしましょう」と言い出して!?天真爛漫な姫と忠犬従者の純愛ラブコメ。R18表現多。
第一部(姫と犬君が全話でいちゃらぶ)。第二部(姫の政略婚のゆくえ)。
お互いが大好きな可愛いい主従のいちゃらぶ。リクエストを頂き第二部も追加。
ムーンライトノベルズにも掲載。
【R-18】貴族嫌いのメイドはお仕えしている坊ちゃんに溺愛される
みどり
恋愛
貴族嫌いのメイド、ルーチェには秘密がある。それはルーチェが貴族の私生児だということ。ルーチェは父に復讐するため、貴族の屋敷でメイドとして働いていた。
憎しみを忘れない彼女を、なぜかお仕えしている家の坊ちゃんは気に入ったみたいで……
(R-18 1話完結です)
【R18】さよなら、婚約者様
mokumoku
恋愛
婚約者ディオス様は私といるのが嫌な様子。いつもしかめっ面をしています。
ある時気付いてしまったの…私ってもしかして嫌われてる!?
それなのに会いに行ったりして…私ってなんてキモいのでしょう…!
もう自分から会いに行くのはやめよう…!
そんなこんなで悩んでいたら職場の先輩にディオス様が美しい女性兵士と恋人同士なのでは?と笑われちゃった!
なんだ!私は隠れ蓑なのね!
このなんだか身に覚えも、釣り合いも取れていない婚約は隠れ蓑に使われてるからだったんだ!と盛大に勘違いした主人公ハルヴァとディオスのすれ違いラブコメディです。
ハッピーエンド♡
【R-18】【完結】皇帝と犬
雲走もそそ
恋愛
ハレムに複数の妻子を抱える皇帝ファルハードと、片足の悪い女官長シュルーク。
皇帝はかつて敵国の捕虜にされ、惨い扱いを受けた。女官長は彼を捕らえていた敵国の将軍の娘。
彼女の足が悪いのは、敵国を攻め滅ぼした際に報復として皇帝に片足の腱を切られたからだ。
皇帝が女官長を日々虐げながら傍に置く理由は愛か復讐か――。
・執着マシマシなヒーローがヒロインに屈辱的な行為を強要(さして反応なし)したり煮詰まったりする愛憎劇です。
・ヒーロー以外との性交描写や凌辱描写があります。
・オスマン・トルコをモチーフにした世界観ですが、現実の国、宗教等とは関係のないフィクションです。
・他サイトにも掲載しています。
【完結】生まれ変わった男装美少女は命を奪った者達に復讐をする
ユユ
恋愛
フロワ王国は北に位置する大陸だ。
半分は凍り付いて使い物にならない土地だった。
王国民は土地の加護により氷の魔法が使えた。殆どは冷やす程度の弱い魔力で強くても一部を凍らせるくらいのものだった。
国王は裏切りにより分断された中央、東、西、南の王国を手に入れ再度国を統一するためにある少年と契約をした。
五国統一に尽力し成し得た時にはひとつ何でも望みを叶えると。
ノアは反故にしないよう国王に誓約紋を刻んだ。
ノアの望みは仇を討つことだった。
* 作り話です
* 恋愛要素は最初は薄めです
* 魔法もこの話だけのもので勝手に作りました
* 完結しています
* 合わない方はご退室願います
【完結】それは本当に私でしたか? 番がいる幸せな生活に魅了された皇帝は喪われた愛に身を焦がす
堀 和三盆
恋愛
「ヴィクトリア、紹介するよ。彼女を私の妃として娶ることにした」
(……この人はいったい誰かしら?)
皇后ヴィクトリアは愛する夫からの突然の宣言に混乱しながらも――――心の片隅でどこか冷静にそう思った。
数多の獣人国を束ねている竜人の住まう国『ドラゴディス帝国』。ドラゴディス皇帝ロイエは外遊先で番を見つけ連れ帰るが、それまで仲睦まじかった皇后ヴィクトリアを虐げるようになってしまう。番の策略で瀕死の重傷を負うヴィクトリア。番に溺れるロイエの暴走で傾く帝国。
そんな中いつの間にか性悪な番は姿を消し、正気を取り戻したロイエは生き残ったヴィクトリアと共に傾いた帝国を建て直すために奔走する。
かつてのように妻を溺愛するようになるロイエと笑顔でそれを受け入れるヴィクトリア。
復興する帝国。愛する妻。可愛い子供達。
ロイエが取り戻した幸せな生活の果てにあるものは……。
※第17回恋愛小説大賞で奨励賞を受賞しました。ありがとうございます!!
【完結】モブ令嬢ですが、好きな人が悪役令嬢に惚れているので、襲います!【R18】
世界のボボ誤字王
恋愛
ごきげんよう、モブの皆さん。安心してください。わたくしもモブですわ。だって平民同様、魔力が無いのですもの。
わたくしが平民落ちしないためには、魔力の強い高位貴族と結婚するしかありませんの。
でも大好きな公爵令息は悪役令嬢に夢中なのです。
わたくし、どうすれば彼と結婚できるかしら……ねえ?
【悪役令嬢と呼ばれている私のこと、あなた本当は大好きなのでしょう?】のスピンオフになります。魔法有り世界です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる