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09.愛犬-3

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「さあ、今日から外に出られるわよ」

 上機嫌で地下牢へ下りてきたシュルークは、ファルハードに語りかけながら鉄格子にくくりつけた首輪と繋がる紐を解いた。
 外へ出られると言われても、ファルハードは怪訝な顔で彼女を見上げるしかなかった。

 この地下牢は、使用人の往来もある裏庭らしき場所の片隅にある。そして屋敷は周囲を塀に囲われており、門には兵士が立っている。連れてこられた時に見た。
 当初はシュルークを人質にして逃げる算段もしたが、突破は容易ではない。運よく屋敷の外へ出られたとしても、ファルハード自身の体力が衰えており、土地勘もない場所で逃げ回ることは不可能だ。見つかってすぐ殺される。
 なので引き続きシュルークに従いつつ体力を回復し、脱出の機会をうかがわねばならないのだが、大っぴらに地下牢から出ては使用人に見つかってしまう。屋敷の娘が虜囚に好き勝手していると将軍に伝われば命取りだ。

「今なら大丈夫よ。早く行きましょう」

 シュルークは首輪につけた赤い紐を引いて、ファルハードを急かす。裏庭に使用人がいない時間帯などの理由があるのかもしれない。
 ファルハードは抵抗感を覚えつつ、彼女について行くために立ち上がった。するとシュルークは声を立てて笑った。

「あなたもご機嫌なのね! でも後ろ足だけで立つのは控えなさい。腰に悪いと聞くから」
「なに?」

 腰に悪いもなにも、人間は両足で立つ生き物である。しかし彼女が言っているのは、『犬』が後ろの二本の足で立つと悪いという話だ。
 シュルークとしばらく接しているうちに、ファルハードはとんでもないことに気がついてしまった。どうやら彼女はファルハードを本気で犬だと認識しているようなのだ。

 最初は捕虜を犬扱いして貶める悪辣な女だと思っていた。
 シュルークがファルハードを撫でる部位は、人間としてよくある頭の上ではなく、耳の後ろや首や、腹が多い。これらは犬が撫でられると喜ぶ場所だ。
 さらに、犬にしては毛が薄いだの歯が尖っていないだの、心底不思議そうに口にする。
 そしてファルハードの違和感を決定づける事件があった。ある日、食事の中に人間は問題ないが犬に食べさせると最悪死ぬという木の実が入っていた。それに気づいた彼女は血相を変えて器を取り上げ、走って地下牢から出ていった。後になって見張りの兵士が零していたが、食事を用意した料理人を、弱みとして握っておいた悪事の証拠を使い、屋敷から追い出したという。どうかしている。
 これらは、人間を犬扱いではなく、本気で犬と認識していなければしないことだ。

 今のファルハードの姿もシュルークには、散歩が嬉しくて前足をあげて喜ぶ犬に見えているに違いない。

「まさか四つん這いになれとでも言うのか!?」

 怒鳴りつけると、シュルークは突然無表情になって虚空を見つめ始めた。これまで何度もあった反応に、ファルハードは苛立ちながら嘆息する。
 シュルークは、ファルハードが例えば何度も語りかけるなど犬らしくない行動を続けると、精神の糸が切れたように無反応になるのだ。少しすれば戻ってきて、その間のことは何事もなかったかのように接する。自分の思い通りにならなければ現実逃避とは、わがままにもほどがある。

「くっ……」

 その事実に気づいたときは、戻ってくるまで放っておけばよいと考えていた。
 しかし彼女は、犬扱いを徹底しなかった迂闊な料理人を追い出した人間である。
 もしファルハードが彼女の望む犬としての振る舞いを拒絶し続ければ、ここに来なくなるだけならまだ良い方で、何らかの理由を捏造し、将軍にファルハードをすぐさま処刑させるかもしれない。
 そういうわけでファルハードは、自分の身を守るためにもシュルークの幻覚に付き合わなくてはならなかった。

「殺す……」

 歯を食いしばって地面に手と膝を突き、これで満足かとシュルークを睨みつける。
 するとシュルークは少しして、いつの間にかファルハードが足元に跪いたかのように驚いてみせた。

「あら、ごめんなさい。早く外に出たいわよね。行きましょう!」

 散歩を待ち望んでいたことにされたファルハードは、噛みしめた奥歯のぎりぎりという音を聞きながら、彼女に紐で引かれるまま地上への階段を上っていった。
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