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04.報復-1
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後宮で妃に呼び出されていたシュルークは、その用事を済ませ、皇帝が主に活動する第一宮殿へやってきていた。
歴代の女官長は部下の女官を引き連れて出歩いたらしいが、シュルークは一人で動くことが多かった。自分の行き先は他の女官に伝えてあるし、シュルークが即座に大勢の人手を指揮しなくてはならない事態は起きないので、常に誰かを傍に置く必要がない。右足は悪いが杖さえあれば他人の手を借りずに歩ける。
だから、この時も一人きりだった。
等間隔でない足音と高く響く木の杖の音だけが、人気のない廊下に存在する。
シュルークが扉のない物置部屋の前を通り過ぎた直後のことだった。
「――女官長」
男の抑えた声に呼ばれた。シュルークは足を止め、振り返る。
薄暗い物置部屋の中に、人影があった。目元の布越しでも視認できる。
見知った人物だったのでシュルークは反射的に名前を呼ぼうとしたが、彼が口の前に人差し指を立てて静かにするよう手振りをするので、周囲に誰もいないことを確認してから部屋に入った。
「何かご用でしょうか、キアー様」
なだらかに湾曲した刀剣を腰に佩く体格の立派なその若者は、近衛兵のキアーだった。褐色の肌に、銀色に見える金髪の色彩が対照的だ。
女官長とどちらの階級が上になるのか明確に定めがないため、少し年下だがシュルークは彼を呼び捨てにすることはない。
「女官長、その……、回廊の中庭での……」
高い位置の窓から暗い室内へ差し込む日の光が、キアーの苦悩に歪んだ顔を照らしている。
彼は皆まで言わなかったが、シュルークは何の話かすぐに察した。
「ああ、『散歩』のことでしょうか?」
普通の言葉のはずなのに、シュルークが全裸で首輪をつけられ犬のように歩かされた光景を思いだしたのか、キアーの緑色の瞳が揺れ、伏せられた。
キアーは優秀で真面目な仕事ぶりを認められて最近近衛兵に取り立てられた。そして皇帝について回る初日に、あの散歩に遭遇したのだ。見慣れた、もしくは一切動揺しないように戒めることのできた他の側近たちとは違い、若い彼が狼狽えていたことは、シュルークも視界の端で捉えていた。
「陛下が、配下にあのような……、それも足の悪い女官長に……。陛下は、どうかしてしまったのでしょうか」
どうやら、ファルハードからシュルークへの仕打ちの理由を聞きに来たようだ。敬愛する主君がおかしくなったのか、それともあれが本性なのかと。
だからシュルークは、キアーが望むとおりに事実を話すことにした。引き続き彼がファルハードに迷いなく仕えられるように。
「いいえ、陛下は正常です。あの散歩も、今日が初めてのことでもありません」
キアーの顔が引きつる。彼はシュルークの言葉の端々から、的確に意図を読み取っている。
歴代の女官長は部下の女官を引き連れて出歩いたらしいが、シュルークは一人で動くことが多かった。自分の行き先は他の女官に伝えてあるし、シュルークが即座に大勢の人手を指揮しなくてはならない事態は起きないので、常に誰かを傍に置く必要がない。右足は悪いが杖さえあれば他人の手を借りずに歩ける。
だから、この時も一人きりだった。
等間隔でない足音と高く響く木の杖の音だけが、人気のない廊下に存在する。
シュルークが扉のない物置部屋の前を通り過ぎた直後のことだった。
「――女官長」
男の抑えた声に呼ばれた。シュルークは足を止め、振り返る。
薄暗い物置部屋の中に、人影があった。目元の布越しでも視認できる。
見知った人物だったのでシュルークは反射的に名前を呼ぼうとしたが、彼が口の前に人差し指を立てて静かにするよう手振りをするので、周囲に誰もいないことを確認してから部屋に入った。
「何かご用でしょうか、キアー様」
なだらかに湾曲した刀剣を腰に佩く体格の立派なその若者は、近衛兵のキアーだった。褐色の肌に、銀色に見える金髪の色彩が対照的だ。
女官長とどちらの階級が上になるのか明確に定めがないため、少し年下だがシュルークは彼を呼び捨てにすることはない。
「女官長、その……、回廊の中庭での……」
高い位置の窓から暗い室内へ差し込む日の光が、キアーの苦悩に歪んだ顔を照らしている。
彼は皆まで言わなかったが、シュルークは何の話かすぐに察した。
「ああ、『散歩』のことでしょうか?」
普通の言葉のはずなのに、シュルークが全裸で首輪をつけられ犬のように歩かされた光景を思いだしたのか、キアーの緑色の瞳が揺れ、伏せられた。
キアーは優秀で真面目な仕事ぶりを認められて最近近衛兵に取り立てられた。そして皇帝について回る初日に、あの散歩に遭遇したのだ。見慣れた、もしくは一切動揺しないように戒めることのできた他の側近たちとは違い、若い彼が狼狽えていたことは、シュルークも視界の端で捉えていた。
「陛下が、配下にあのような……、それも足の悪い女官長に……。陛下は、どうかしてしまったのでしょうか」
どうやら、ファルハードからシュルークへの仕打ちの理由を聞きに来たようだ。敬愛する主君がおかしくなったのか、それともあれが本性なのかと。
だからシュルークは、キアーが望むとおりに事実を話すことにした。引き続き彼がファルハードに迷いなく仕えられるように。
「いいえ、陛下は正常です。あの散歩も、今日が初めてのことでもありません」
キアーの顔が引きつる。彼はシュルークの言葉の端々から、的確に意図を読み取っている。
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